K=ウォン「覆った定説 ネアンデルタール人は賢かった」

 『日経サイエンス』2010年9月号の記事です。イギリスのブリストル大学のジルホー教授(河合信和『ホモ・サピエンスの誕生』では「チルハン」と表記されています)へのインタビュー記事で、ネアンデルタール人の現代的行動・象徴的思考能力について、ジルホー教授の見解が語られていますが、この記事で述べられたジルホー教授の見解は、今年の1月に『アメリカ科学アカデミー紀要』に掲載されたジルホー教授らの研究に基づいています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201001article_14.html

 ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)に「現代的行動」が可能だったのか否かという問題は、古人類学界において関心の高い問題なのですが、1990年代前半に現生人類(ホモ=サピエンス)のアフリカ単一起源説が有力と考えられるようになってからというもの、ネアンデルタール人の絶滅理由を説明しやすいということもあり、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調し、ネアンデルタール人の認知能力を低くみようとする傾向が強くなり、ネアンデルタール人の「現代的行動」についても、否定するか、できるだけ低く評価しよう、という傾向があります。

 しかし近年になって、ジルホー教授らの以前からの主張と、上記のブログ記事で述べた新たな研究もあり、ネアンデルタール人の認知能力を見直そう、という動きが強まっているように思われます。この記事はそうした傾向をさらに強めるもので、この記事でジルホー教授は、ネアンデルタール人の認知能力が初期現生人類と同等以上だった、と指摘しています。

 その場合考えられるのは、現代的認知能力・現代的行動が、
(1)現生人類とネアンデルタール人という2つの異なる系統で独立に出現した
(2)ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先に備わっていた
(3)ネアンデルタール人と現生人類とは別種ではなく、解剖学的違いにも関わらず認知能力に差がないのは当然かもしれない
という3つの可能性だ、と指摘するジルホー教授は、(3)を支持する、と述べています。またジルホー教授は、現代的行動は、人口密度の上昇を要因として、知識がゆっくりと、おそらくは断続的に集積した結果であり、指数関数的に発達する現代的行動は、初めのうちは例が少ない、と指摘しています。

 こうした現代的行動は脳の変化を前提としますが、ジルホー教授は、200~150万年前頃、遅くとも100~50万年前頃に、そうした変化が生じたのではないか、と述べています。50万年前頃には、脳の平均的大きさが現代の水準に達した、と指摘するジルホー教授は、50万年前頃に生きていた人のクローン胚を作り、代理母が出産した後に現代人として育てれば、その50万年前頃の遺伝子を持つ人は、飛行機を操縦できるだろう、と述べています。さらにジルホー教授は、二枚貝の殻に穴を開けたり動物の歯に穴や溝を掘ったりした装飾品は、ヨーロッパに通説のようにネアンデルタール人が現生人類から入手したか学んだのではなく、現生人類がネアンデルタール人から入手したのではないか、とまで述べています。

 さすがに、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を強調しすぎではないだろうか、とも思うものの、私の考えはジルホー教授の見解にかなり近く、近年のネアンデルタール人見直しの傾向は、おおむね妥当なのではないか、と考えています。しかし、以前このブログで取り上げた、『5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった』や
https://sicambre.seesaa.net/article/200710article_30.html
『一万年の進化爆発 文明が進化を加速した』
https://sicambre.seesaa.net/article/201006article_10.html
のように、上部旧石器時代のヨーロッパにおける「創造の爆発」(こうした認識自体に疑問が呈されているわけですが)などの「文化的発展」を、遺伝子の変異と直結させる見解は根強く、今後も論争が続きそうです。

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