大河ドラマ『風と雲と虹と』第49回「大進発」

 純友は紀淑人を呼び、仲間にならないか、と誘います。純友は、同志である海賊たちとともに公を滅ぼすために決起することを、はっきりと淑人に伝えます。純友は、公の病根は深く、根元から腐っているから、叩き潰すのだ、と力説します。しかし、それからどうするのだ、と淑人に訊かれた純友は、その先は分からない、叩き潰した後のことを考えるのは苦手なので、それができる淑人を必要としているのだ、と答えます。友人である将門も決起し、常陸国府を占領したが、自分はこれを待っていたのだ、と純友は言い、東で将門が決起し、西から自分が攻めれば、今の公に防ぐ力があるだろうか、と淑人に問いかけます。あと一押しで公は滅ぶ、と純友は力説しますが、淑人は、自分は静かな海が好きで、合戦で惨たらしく殺し合うくらいなら、素直に殺されるほうがましだ、滅びるべき公と共に滅びさせてください、と答えます。

 天慶2年12月半ば(939年、ユリウス暦では正確には940年となりますが)、日振島に集結した海賊船団は、純友の指揮下、ついに出動しました。そのなかには、武蔵や季重や美濃もいました。純友は、一気に都に進撃する前に、白蟻どもを震え上がらせてやろう、と力強く言います。武蔵と季重は都を攪乱することになり、玄明もやがて都に来るだろう、と武蔵は言います。玄明がそなたの弟だということは、やがては自分の弟だ、と言って純友は笑います。今度会うのは白蟻どものいなくなった都でのことだ、と純友は武蔵に言います。

 坂東制圧というか、将門の主観としては国司からの坂東の解放は順調に進み、将門は石井の館に帰還します。道中、将門は多くの民人から歓迎され、将門も民人と気安く接します。将門は、一刻も早く石井の館に帰還したかったのですが、興世王が使者を派遣し、帰還は翌日にしてもらいたい、と言ってきます。将門は自身がなんと考えていようと、これまでの将門とは違い、板東の王者なのだから、凱旋にあたってはしかるべき支度もある、と興世王は考えていました。将門も員経も清忠もこの時点では、興世王のいつもの癖でもったいぶった趣向が用意されているのだろう、と軽く考えていました。

 ところが、石井の館に近づくと、民人は将門を平伏して出迎え、どうしたのだ、顔を上げて立ってくれ、と将門は言います。しかし、民人は平伏したままで、将門を帝として崇め始めます。これは、一足先に石井の館に戻った興世王の画策によるものでした。そこへ興世王が現れ、将門は興世王を問いただします。興世王は、これは民人の心なのだと答え、将門は憮然として館に戻ります。館のなかでは、老郎党をはじめとして家人たちが平伏して将門を出迎えました。興世王は、凱旋の儀式は厳かに行なわなければならない、と言います。将門は、顔を上げていつものように陽気に出迎えてくれ、と笑顔で言いますが、郎党・家人たちは平伏したままです。興世王は、将門の権威を広く天下に示すための第一の手立てだ、国を治めるには権威が必要だ、と将門に言います。そこへ良子が、いつものように明るく、あなた、と言いながら現れます。興世王は慌てて良子に近寄り、ご対面はしかるべき儀式を、と言い、なぜ用意した装束を着ないのだ、と問いただしますが、あんなものは暑苦しくて仕方ない、と良子はあっさりと答えます。その返答に平伏していた人々も笑いだし、老郎党をはじめとして民人も、いつもの将門だ、と言って立ち上がり、場の緊張した雰囲気は一気に解けます。興世王はこの状況に不満な様子ですが、もはや止めることはできません。

 都にも将門の板東制圧の知らせが届き、貴族たちは対策のために会議を開き、板東の境となる地域の警護を厳重にすることを決定します。そこへ、純友が率いる海賊たちが周防と安芸の国府を襲い、備後・備中・讃岐の国府へと向かっている、との報告が届きます。紀淑人も抑えきれなかったか、と人臣最高位にある藤原忠平はつぶやきます。将門と純友は示し合わせているのではないか、公を滅ぼそうとしているのではないか、と貴族たちは怯えます。貴族の一人が、ご機嫌を伺うように蹴鞠の予定を伝えると、忠平は不機嫌な様子で、取りやめよ、と一喝します。朝廷は、寺社に祈願と調伏を依頼することだけをまず決めました。都では、武蔵たち盗賊が再び跳梁するようになり、高官たちの館が襲われ、大納言でさえ襲撃されました。

 純友率いる海賊たちは、日振島を出て7日後、備前の沖合にいました。この年の春から備前介には藤原子高が赴任しており、純友配下の藤原恒利は、見境なく人々の鼻を削ぐ子高の残酷さを皆に語ります。純友は恒利に言われるまでもなく子高のことをよく知っており、純友配下の者たちも、仕掛けるのは難しいから避けようか、と言いますが、純友はその進言を退けます。恒利は、公を倒した後の位は働きによって決まると言い、誰か子高を討ちに行かないか、と煽ります。公を倒した後の帝は純友だ、と言う恒利にたいして、自分には似合わない、と純友は答えます。純友は将門のことを考えますが、先のことは分からない、と言います。純友は、公を倒した後は見たこともない世の中になり、見たこともない政治が行われるはずだが、自分は前に進むだけだ、と言います。恒利は不満な様子で、先のことはともかく、今は備前をどうするかだ、と言います。

 すると、子高を毛嫌いしている美濃が名乗り出ます。子高は備前国府に近い館にいて、傀儡の女性たちを招いて宴を開いていました。酔った子高は美濃を寝所に連れ込み、美濃は隙をついて子高を殺そうとしますが、子高に見破られ、殺されて鼻を削がれます。その報告を配下の者から受けた純友は激昂し、子高の鼻を削いでやる、と言います。純友の配下は、やはり備前は避けよう、私情に走ってはならない、と進言しますが、純友の怒りは収まらず、私の怒りをないものにした反逆があるか、と激昂して言います。

 国司がいなくなった板東では、貢物を納めなくなったのはよいが今後どうするのか、盗人にどう対応するのか、民人が考え始めていました。そこへ将門と将平が現れ、民人が開墾する様子を見ています。将門は、督励しなければ人は働かないというのは嘘で、人は生まれながらにして大地に親しいのだ、と将平に言います。将平は思い詰めた様子で、強く素晴らしい将門を皆が新皇・帝だと敬うのも道理だが、その将門のことが怖いのだ、と言って泣き出します。将門は優しく将平を見守りますが、心中穏やかではないようです。

 将門と将平が石井の館に戻ると、興世王が現れ、自分は大王の臣なのだから、興世王とおよび捨てください、と言います。将門と郎党たちは、安房の国司も印鎰を差し出したとの報告を受け、板東八ヶ国が統一されたことを喜びます。この時、清忠が将門殿と呼ぶと、「我君」と呼ぶように、と興世王が窘め、清忠は面白くありません。新年の拝賀の儀は、と興世王が言いかけると、ぱっと派手にやるのですかな、と員経がからかいますが、興世王は大真面目に、厳かに、と言って一堂は笑います。しかし、将平の表情は暗く、将門は将平のことが気になります。

 将門が坂東を制圧したとの知らせは、藤太にも届きます。将門のいる石井の館に自ら行くのがよいのではないか、と藤太の郎党の佐野八郎は進言します。将門が親皇と呼ばれていることを八郎から聞いた藤太は、将門自らがそう称し始めたのか、と尋ねます。それは分かりませんが、と八郎は答えます。上手い手だ、と藤太は言いますが、八郎には藤太の意図が分からないようです。藤太は、危険だが成功すればこれ以上の妙策はない、人の親しみや敬愛の念は当てにはならない、頼りになるのは畏れを込めた信仰だ、と考えます。これは、第11回
https://sicambre.seesaa.net/article/200911article_4.html
における、儀式に明け暮れ、民人の生活を顧みない腐った朝廷が倒れないのは、民人の側に朝廷への信仰があるからだ、との紀豊之の発言や、第41回
https://sicambre.seesaa.net/article/201005article_27.html
における、なくてはならないものは冷たさなのだ、との藤太発言と対応しています。兄が恐ろしいという将平の発言は、民人に愛されている将門が、藤太のような民人に恐れられる存在になり得た可能性を示しているのでしょう。藤太は、親皇と称したのが支配の機微を知り抜いている誰かの画策なのか、それとも将門自身なのか見極めるために、年が明けたらすぐにも将門を訪ねる、と郎党たちに言います。それはよいことです、北下野を広く我々が治めている件が将門側の機嫌を損ねているとの噂もある、と八郎が言うと、どんなことがあろうとも、お前たちの主はこの田原藤太だ、わしが死ねと言えばただちに死ぬのだ、忘れるな、と言って家臣団を引き締めます。

 将門と玄明は玄道の墓を訪れ、兄の玄道は幸せな一生だったのかもしれない、と玄明が言い、良い男だった、と将門が言います。玄明は、都に行くと将門に告げます。玄明は、純友が都に攻め上っているだろう、と言います。将門は、久しく純友のことを意識していませんでした。純友は、将門が板東でしたように、諸国の国司を追放していく、と将門に言い、そのためにお主は姉の武蔵とともに働くのだな、と言います。将門は、ご健勝にと純友に伝えてくれ、と玄明に言います。玄道は賊だったが、賊でなくなって死んだ、と将門は言い、玄明はゆっくりと肯き、すべての賊が賊でなくなる日が来ます、と言います。また会えるな、と笑顔で言う将門に、玄明も笑顔で、会います、と返します。

 今回はこれで終了ですが、終盤になっても失速感がなく、楽しんで見ていられます。終盤になっての主題は、夢・理想と現実との対立というか対比だと思いますが、それが、一見すると順調である将門と純友の双方に影を落としています。純友陣営で、将門陣営の興世王に相当するのは恒利でしょうが、興世王と恒利の考えに象徴される「現実」の前に、将門と純友の「美しい理想」は敗れ去る、という構図になっているのでしょう。もう一人、「現実」を代表しているのは藤太ですが、藤太には郎党たちを一喝できるだけの威厳があり、郎党や民人に畏れられているようですので、恒利や興世王に見られる小物感は見られません。主人公である将門にとって最終・最大の敵は藤太ということになるでしょうから、こうした人物描写でよいのだと思います。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック