大河ドラマ『風と雲と虹と』第48回「坂東独立」
将門は民人たちに、自分は国司に代わるつもりはない、貢物を納める必要はなくなった、と言います。民人の一人から、国司はいなくなっても公は存在している、と指摘された将門は、国司は公の代理で、国司がなくなったということは、公がなくなったということであり、お主たち働く人々があるだけだ、それでよいのだ、と言います。自分たちだけでやってみようではないか、との将門の宣言に、面白いが夢のようだ、と民人は言います。だが、夢を見ているのもよいかもしれない、と言って民人は笑います。郡司はどうするのだ、と民人に訊かれた将門は、国司の手先になったような郡司については、民人がどうするか決めるべきだ、と言います。玄明が、郡司は必要なのか、と将門に尋ねると、それも民人の決めることだ、と将門は答えます。
では、どこまで行くのか、と将頼に問われた将門は、民人の力が決することだ、と答えます。広い板東平野で近隣の国府が攻め寄せてきて、つねに合戦の準備をしなければいけないことを民人と兵は心配し、板東の各国府を攻め落とそうと進言し、それは自分の考えていたことだ、と将門は力強く言います。そこへ興世王が進み出て、板東八ヶ国の豪族に送る檄文の草案を将門に見せます。それは、中央の藤原氏の専横・悪政を批判し、中央の手先となって民人を虐げてきた国司を討とう、というものでした。難しい表現なのでもっと易しくならないものか、と将門は言いますが、このような場合には自ずとそれなりの調子がある、と興世王は言います。檄文の草案を読んでいる興世王を、玄明と螻蛄婆は冷ややかな様子で眺めています。
その檄文は藤太にも届き、思い切ったことをする、と藤太は言います。藤太の郎党の佐野八郎は、板東の心ある住人なら誰しも胸に抱いていた鬱憤だ、と言います。しかし誰もこうは行動には移せない、と藤太は言います。藤太は、鷹狩りと湯治のために那須に行く、と言って檄文を破り、この檄文を読む前に那須に立ったということにして、下野国府からの助力を頼む使者も無視せよ、と八郎に命じます。八郎は存念を述べようとしますが、藤太は八郎を一喝し、将門が自分の思う通りの人物なら、自分を粗末に扱うはずがないから、安心せよ、と八郎に言います。八郎は、将門が藤太を敬い好感を抱いており、幼少時に藤太と会ったこともある、と藤太に伝えます。
下野守の大中臣全行は、将門軍が明日にも下野国府に攻めてこようというのに、藤太が旅に出たことを知り、狼狽します。天慶2年12月12日(939年、ユリウス暦では正確には940年1月23日となりますが)、将門軍は下野国府に到着し、将門は、3年前に良兼・良正を追って下野国府近くまで来たことを思い出し、それから3年しか経過していないことに感慨深げです。下野国府の役人が将門に言上しようとすると、直接申し上げてはいけない、自分を通じて言うように、と興世王は命じます。使者の役人は、将門に降伏する旨を興世王に伝えるのですが、古来より降伏には作法があるのに無礼だ、と興世王は使者を叱ります。将門は興世王を窘めますが、都育ちの役人の扱い方は自分のほうが心得ており、この方が簡単で穏やかにすむのだ、と興世王は言います。将門は、それ以上は興世王を咎めませんでしたが、違和感をぬぐえません。将門は、平伏する下野守の大中臣全行に、立ち上がるよう促し、興世王は不服ながらも将門の指示に従い、全行に立ち上がるよう命じます。全行は国府の支配の象徴とも言うべき印鎰を将門に差し出します。将門は、納得しかねる様子で興世王から印鎰を受け取ります。
12月15日、将門軍は上野へと向かい、道中、豪族がますますはせ参じてきて、総勢1万を超える軍になっていました。12月18日、上野国府でも将門に印鎰が差し出されました。その夜、上野国府で宴が催され、こうした場合、国府の隣にある上野総社の巫女たちが接待役に駆り出される慣習となっていました。その宴の場に、下野から将頼が到着しました。将門が下野国府を立った翌日、藤太も使者を派遣してきた、と将頼は将門に報告します。藤太自身ではなく、使者なのか、と興世王は咎めるように言います。将頼は、北下野に揉め事が起きたので抑えにいった、との藤太の口上を興世王に伝えます。藤太はどさくさに紛れて所領を拡大しようとしているのではないか、と興世王は言いますが、将門は笑って藤太を信じようとします。興世王は、板東八ヶ国の主になろうとしている将門が、「藤太の殿」などと言うべきではない、と諫めますが、将門は笑い、自分は板東八ヶ国の主になる気はないが、板東八ヶ国を国司から解放したい、と言います。
興世王は、板東八ヶ国から国司を追放すれば、坂東は一つの独立国になるのだ、国には主がいるが、それは将門以外考えられない、と将門に言います。将門は、そうだろうか、と言って微笑みます。血筋・力からいって他に誰がいるだろうか、と興世王は将門に食い下がります。将門は、そもそも国に主がなくてはいけないのか、と言いますが、それは夢だ、と興世王は言います。すると将門は、夢を見てみよう、との常陸国府での年老いた民人の発言を引用します。そこへ玄明が現れ、武蔵守の百済王貞連が都へと逃げ出した、相模の国司も同様だろう、と報告します。この情勢を見て、将門自身ではなくその配下が少数の兵を率いて行っても各国府を制圧できるのではないか、と興世王は言い、将門も同意します。
興世王は、坂東に公のない今、ここで除目を行なおう、と言います。将頼や多治経明や文室好立は、たとえば上野守や下野守や安房守になるのはどうだろう、との興世王の戯言にすっかり舞い上がってしまいますが、将門はその様子を冷めた感じで見ています。しばらくして将門は、国司に替わるために軍を起こしたのではない、と言って興世王を窘めます。しかし興世王は、威をもってあたる我々の方策が下野・上野で功を奏した、と言い、方便ということを心得るよう将門に進言します。興世王は、将門の夢に殉じる意志は自分にも他の配下の者たちにもあるが、そのためには坂東をしっかりと固めねばならず、それまでは権威を持たねばならない、と将門を説得しようとしますが、それは違う、自分は権威というものが嫌いだ、威をもって人を従わせるのはもっと嫌いだ、と将門は言います。
興世王は、好き嫌いの問題ではない、それでは天下のことは片付かない、と将門に食い下がりますが、将門は興世王の進言を退けます。将門は、自分は自分でしかないと言い、いかに理があろうとも、興世王の進言には従えない、と言います。将門は、公を追い払ったのに、公の真似事のようなことを言うな、と厳しい口調で命じます。興世王は、座興だと言って場を取り繕おうとし、将門も、宴の席に戻ろう、と笑いながら言います。将門が宴の席に戻った後、守とも国司とも言わなくても、しょせんは同じ役割を果たすものが必要になるが、今は将門には言うまい、と興世王は員経に言います。
将門が宴の席に戻ると、宴に加わっていた、将門が上野国府に来た時から将門に熱い視線を注いでいた総社の巫女が、神がかった状態になっていました。その巫女は、自分を八幡大菩薩だと言い、将門に、帝の位を授ける、早く帝になれ、と告げます。将門も郎党たちも民人も、この様子を呆然として見ていました。興世王と将頼は興奮しますが、むしろ信仰が篤いと言ってもよい将門は、このお告げは巫女の願いなのだ、と悟っていました。神は神、自分は自分だ、と将門は考えます。
その頃、将門の常陸国府占領の知らせを、純友は武蔵から得ていました。純友は、伊予守の紀淑人に手紙を送り、朝廷を倒すべく海に戻る、と伝えました。武蔵は伊予国府に赴き、淑人に純友の考えを伝えようとします。淑人は、純友に会いたい、と言います。武蔵は、純友もそうだと言い、かつて淑人が兵を連れずに純友に会ったように、純友も一人でやって来ている、と淑人に伝えます。純友は、淑人を海岸で待っていました。純友は淑人に、自分の仲間にならないか、と誘います。
碓氷峠の守備に文室好立を任じ、武蔵・相模に将頼を送り、将門軍は帰路につきますが、その兵はなお1万いました。上野国府でのお告げはすでに広く知れ渡っており、将門は帝になるだろう、と民人は噂していました。興世王は、将門を迎えるべく先に石井の館に帰りました。もったいぶったことが好きな人だから、と言って員経は笑います。道中、将門は多くの民人から歓迎を受け、将門も嬉しそうに応える、というところで今回は終了です。
今回は、板東の制圧、といっても将門の主観としては国司からの解放ということなのですが、これが順調に進む一方で、将門の「夢」と興世王に代表される「現実」との葛藤が一貫して描かれていました。この作品の主題の一つとして、美しい理想・夢とその挫折があるのでしょうが、その対比がよく描かれていた、と思います。興世王の存在感は抜群で、期待通りの怪演に満足しています。公と将門の争いに巻き込まれないようにしようとする藤太の慎重な態度は相変わらずですが、これも、鋭い洞察力に裏付けられたものなのでしょう。しかし、さすがにそろそろ藤太も傍観しているわけにはいかない状況になってきました。複雑な個性の藤太が、どのような心境で将門を討つ側についたのか、残り少なくなりましたが、今後の描写に注目しています。
では、どこまで行くのか、と将頼に問われた将門は、民人の力が決することだ、と答えます。広い板東平野で近隣の国府が攻め寄せてきて、つねに合戦の準備をしなければいけないことを民人と兵は心配し、板東の各国府を攻め落とそうと進言し、それは自分の考えていたことだ、と将門は力強く言います。そこへ興世王が進み出て、板東八ヶ国の豪族に送る檄文の草案を将門に見せます。それは、中央の藤原氏の専横・悪政を批判し、中央の手先となって民人を虐げてきた国司を討とう、というものでした。難しい表現なのでもっと易しくならないものか、と将門は言いますが、このような場合には自ずとそれなりの調子がある、と興世王は言います。檄文の草案を読んでいる興世王を、玄明と螻蛄婆は冷ややかな様子で眺めています。
その檄文は藤太にも届き、思い切ったことをする、と藤太は言います。藤太の郎党の佐野八郎は、板東の心ある住人なら誰しも胸に抱いていた鬱憤だ、と言います。しかし誰もこうは行動には移せない、と藤太は言います。藤太は、鷹狩りと湯治のために那須に行く、と言って檄文を破り、この檄文を読む前に那須に立ったということにして、下野国府からの助力を頼む使者も無視せよ、と八郎に命じます。八郎は存念を述べようとしますが、藤太は八郎を一喝し、将門が自分の思う通りの人物なら、自分を粗末に扱うはずがないから、安心せよ、と八郎に言います。八郎は、将門が藤太を敬い好感を抱いており、幼少時に藤太と会ったこともある、と藤太に伝えます。
下野守の大中臣全行は、将門軍が明日にも下野国府に攻めてこようというのに、藤太が旅に出たことを知り、狼狽します。天慶2年12月12日(939年、ユリウス暦では正確には940年1月23日となりますが)、将門軍は下野国府に到着し、将門は、3年前に良兼・良正を追って下野国府近くまで来たことを思い出し、それから3年しか経過していないことに感慨深げです。下野国府の役人が将門に言上しようとすると、直接申し上げてはいけない、自分を通じて言うように、と興世王は命じます。使者の役人は、将門に降伏する旨を興世王に伝えるのですが、古来より降伏には作法があるのに無礼だ、と興世王は使者を叱ります。将門は興世王を窘めますが、都育ちの役人の扱い方は自分のほうが心得ており、この方が簡単で穏やかにすむのだ、と興世王は言います。将門は、それ以上は興世王を咎めませんでしたが、違和感をぬぐえません。将門は、平伏する下野守の大中臣全行に、立ち上がるよう促し、興世王は不服ながらも将門の指示に従い、全行に立ち上がるよう命じます。全行は国府の支配の象徴とも言うべき印鎰を将門に差し出します。将門は、納得しかねる様子で興世王から印鎰を受け取ります。
12月15日、将門軍は上野へと向かい、道中、豪族がますますはせ参じてきて、総勢1万を超える軍になっていました。12月18日、上野国府でも将門に印鎰が差し出されました。その夜、上野国府で宴が催され、こうした場合、国府の隣にある上野総社の巫女たちが接待役に駆り出される慣習となっていました。その宴の場に、下野から将頼が到着しました。将門が下野国府を立った翌日、藤太も使者を派遣してきた、と将頼は将門に報告します。藤太自身ではなく、使者なのか、と興世王は咎めるように言います。将頼は、北下野に揉め事が起きたので抑えにいった、との藤太の口上を興世王に伝えます。藤太はどさくさに紛れて所領を拡大しようとしているのではないか、と興世王は言いますが、将門は笑って藤太を信じようとします。興世王は、板東八ヶ国の主になろうとしている将門が、「藤太の殿」などと言うべきではない、と諫めますが、将門は笑い、自分は板東八ヶ国の主になる気はないが、板東八ヶ国を国司から解放したい、と言います。
興世王は、板東八ヶ国から国司を追放すれば、坂東は一つの独立国になるのだ、国には主がいるが、それは将門以外考えられない、と将門に言います。将門は、そうだろうか、と言って微笑みます。血筋・力からいって他に誰がいるだろうか、と興世王は将門に食い下がります。将門は、そもそも国に主がなくてはいけないのか、と言いますが、それは夢だ、と興世王は言います。すると将門は、夢を見てみよう、との常陸国府での年老いた民人の発言を引用します。そこへ玄明が現れ、武蔵守の百済王貞連が都へと逃げ出した、相模の国司も同様だろう、と報告します。この情勢を見て、将門自身ではなくその配下が少数の兵を率いて行っても各国府を制圧できるのではないか、と興世王は言い、将門も同意します。
興世王は、坂東に公のない今、ここで除目を行なおう、と言います。将頼や多治経明や文室好立は、たとえば上野守や下野守や安房守になるのはどうだろう、との興世王の戯言にすっかり舞い上がってしまいますが、将門はその様子を冷めた感じで見ています。しばらくして将門は、国司に替わるために軍を起こしたのではない、と言って興世王を窘めます。しかし興世王は、威をもってあたる我々の方策が下野・上野で功を奏した、と言い、方便ということを心得るよう将門に進言します。興世王は、将門の夢に殉じる意志は自分にも他の配下の者たちにもあるが、そのためには坂東をしっかりと固めねばならず、それまでは権威を持たねばならない、と将門を説得しようとしますが、それは違う、自分は権威というものが嫌いだ、威をもって人を従わせるのはもっと嫌いだ、と将門は言います。
興世王は、好き嫌いの問題ではない、それでは天下のことは片付かない、と将門に食い下がりますが、将門は興世王の進言を退けます。将門は、自分は自分でしかないと言い、いかに理があろうとも、興世王の進言には従えない、と言います。将門は、公を追い払ったのに、公の真似事のようなことを言うな、と厳しい口調で命じます。興世王は、座興だと言って場を取り繕おうとし、将門も、宴の席に戻ろう、と笑いながら言います。将門が宴の席に戻った後、守とも国司とも言わなくても、しょせんは同じ役割を果たすものが必要になるが、今は将門には言うまい、と興世王は員経に言います。
将門が宴の席に戻ると、宴に加わっていた、将門が上野国府に来た時から将門に熱い視線を注いでいた総社の巫女が、神がかった状態になっていました。その巫女は、自分を八幡大菩薩だと言い、将門に、帝の位を授ける、早く帝になれ、と告げます。将門も郎党たちも民人も、この様子を呆然として見ていました。興世王と将頼は興奮しますが、むしろ信仰が篤いと言ってもよい将門は、このお告げは巫女の願いなのだ、と悟っていました。神は神、自分は自分だ、と将門は考えます。
その頃、将門の常陸国府占領の知らせを、純友は武蔵から得ていました。純友は、伊予守の紀淑人に手紙を送り、朝廷を倒すべく海に戻る、と伝えました。武蔵は伊予国府に赴き、淑人に純友の考えを伝えようとします。淑人は、純友に会いたい、と言います。武蔵は、純友もそうだと言い、かつて淑人が兵を連れずに純友に会ったように、純友も一人でやって来ている、と淑人に伝えます。純友は、淑人を海岸で待っていました。純友は淑人に、自分の仲間にならないか、と誘います。
碓氷峠の守備に文室好立を任じ、武蔵・相模に将頼を送り、将門軍は帰路につきますが、その兵はなお1万いました。上野国府でのお告げはすでに広く知れ渡っており、将門は帝になるだろう、と民人は噂していました。興世王は、将門を迎えるべく先に石井の館に帰りました。もったいぶったことが好きな人だから、と言って員経は笑います。道中、将門は多くの民人から歓迎を受け、将門も嬉しそうに応える、というところで今回は終了です。
今回は、板東の制圧、といっても将門の主観としては国司からの解放ということなのですが、これが順調に進む一方で、将門の「夢」と興世王に代表される「現実」との葛藤が一貫して描かれていました。この作品の主題の一つとして、美しい理想・夢とその挫折があるのでしょうが、その対比がよく描かれていた、と思います。興世王の存在感は抜群で、期待通りの怪演に満足しています。公と将門の争いに巻き込まれないようにしようとする藤太の慎重な態度は相変わらずですが、これも、鋭い洞察力に裏付けられたものなのでしょう。しかし、さすがにそろそろ藤太も傍観しているわけにはいかない状況になってきました。複雑な個性の藤太が、どのような心境で将門を討つ側についたのか、残り少なくなりましたが、今後の描写に注目しています。
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