清水克行『日本神判史』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2010年5月に刊行されました。清水氏の以前の著書『喧嘩両成敗の誕生』がたいへん面白かったということもありますが、盟神探湯・湯起請・鉄火起請といった過酷な裁判を行なった当時の人々の心性に以前より関心があったので、読んでみることにしました。本書が取り扱っている時代はおもに中世後期~近世初期で、古代の盟神探湯にはあまり触れられていません。古代の盟神探湯と中世の湯起請との間には断絶があるとの見解が歴史学では優勢だそうで、漠然と両者の類似性・継続性を考えていた自分の不勉強を思い知らされました。

 湯起請・鉄火起請は篤い信仰心に由来するものだとの見解のほうが一般的かもしれませんが、本書では、むしろ神仏への信仰心が希薄化し、大名権力・村落も含めて新たな社会秩序が形成されつつある不安定な時代のなかで、それぞれの立場から人々が望んで行なわれた神判だった、とされます。神仏への疑いの目があまり強くなかった鎌倉時代あたりには、「悠長な」参籠起請が行なわれていましたが、神仏への懐疑がより強くなった室町時代になると、より厳しい神判が要求され、薄らいでいく神仏の拘束力を肉体的な苦痛によって担保すべく、湯起請が創出されたのではないか、と本書では推測されています。湯起請は15世紀初頭に始まりましたが、その15世紀が最盛期で、16世紀初頭にはすっかり下火になります。

 湯起請の流行には、それに関わったそれぞれの人々の思惑がありました。村落の側には、犯人を特定する、もしくは無罪を証明することにより、共同体の秩序を維持するという目的がありました。じっさいに湯起請を行なう者には、文書などの証拠では不利な状況を一気に覆そうという意図がありました。この背景として、口頭の約束が効力を有していた社会から、文書を重視する社会への移行がありました。湯起請に積極的な人・村落の側には、文書などの証拠では不利な場合が少なからずありました。将軍を頂点とする支配者側には、家臣団の意向を抑えて、専制を志向するにあたって、湯起請の速決性・単純明快性は都合がよかった、という事情がありました。しかし、神仏への信仰心が希薄化していくなかで創出されたという事情のある湯起請だけに、揉め事が生じた場合すぐに湯起請が行なわれたわけではなく、できるだけ文書や証言などの証拠が検討され、どうしても決着がつきそうになければ行なうべきだ、との観念が強くありました。これは、湯起請の後に流行した鉄火起請についても同様です。

 湯起請は、その最盛期の時点でも全面的に信用されていたわけではなく、神仏への信仰心の衰え、文書重視という価値観がさらに強まるなかで、16世紀初頭には衰退していきます。湯起請が衰えた後、16世紀末から17世紀前半にかけて流行した神判が鉄火起請でした。神仏への信仰心がさらに低下していくなかで、鉄火起請はより過激な神判として採用されました。湯起請より過激な神判ということで、鉄火起請の場合には、じっさいに行なう者にたいして、村落側が米の支給や免税といった恩典を用意することがあり、また、鉄火起請を志願する者には、村落が扶養していた流れ者などがいて、現状からの地位上昇という意図もありました。この鉄火起請も、聖から俗へという時代の流れのなか、信仰心の低下により17世紀半ばには衰え、日本における神判は終焉を迎えます。

 本書は、湯起請・鉄火起請を中心として、日本においてそのような神判が行なわれた理由と衰退した理由とが推測されていますが、それが日本史の大きな動向と絡めて叙述されており、著者の広い視点への志向が窺えます。さらに本書では、神判の衰退にかんして、おもに中華地域・ヨーロッパと比較しての、日本の独自性が考察されており、ここでも著者の広い視点への志向が窺えます。法治主義の浸透により世界でも早く神判が衰退した中華地域と、神を試す行為として神判を否定的にとらえる教会勢力により神判が衰退したヨーロッパと比較して、人間関係の維持修復に価値を置く、良きにつけ悪しきにつけ現実主義的な心性が、日本では神判の衰退、さらには聖から俗へという時代の変化を促したのではないか、と推測されています。本書は、湯起請・鉄火起請の考証にとどまらず、日本史の大きな動向、さらには他地域との比較にまで考察の対象が及んでおり、期待通りに得るところが多々ありました。

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  • ここは酷いどきどき鉄火起請!ですね

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