五島勉『未来仏ミロクの指は何をさしているか』(青萠堂、2010年)

 五島勉氏の著書は、2004年7月に同じく青萠堂から刊行された『予言体系I釈迦と日蓮 やはり世界は予言で動いている』が最後になるのかと思っていたところ、今年の3月に本書が刊行されていることを知り、五島氏の著書を熱心に読んできた私は、すぐに本書を購入して読みました。不謹慎な言い方になりますが、もう、五島氏の新作を読めないかもしれませんので、五島氏がけっきょくはどのような見解にたどりついたのか、という観点からも読み勧めました。

 ノストラダムスやヒトラーやファティマなど、さまざまな予言を取り上げてきた、というかさまざまな著作・事象に予言を見出してきた五島氏ですが、本書の主題は広隆寺の弥勒菩薩半跏像が示す未来への希望とその秘密で、それと関連して、かつて五島氏の著書で2回取り上げられた聖徳太子も、重要人物として取り上げられています。未来への希望が主題とはいっても、そこは五島氏の著書だけに、やはり、ノストラダムスをはじめとするさまざまな「予言」や、現在の事象についての五島氏の解釈が提示され、日本の、さらには人類の大きな危機が目前に迫っていることが指摘されます。それぞれの「予言」や事象の解釈への突っ込みは色々とあるでしょうが、いまだにマヤ文化の暦を人類滅亡という意味での世界の終末と結びつける解釈は、さすがにどうかと思います。

 こうして、日本の、さらには人類の大きな危機が迫っていることを指摘したうえで、広隆寺の弥勒菩薩半跏像が希望の光明であることを示す、というのが本書の構成になっており、過去に日本が危機を乗り越えて発展していくさいに、弥勒菩薩半跏像が重要な役割を果たした可能性がある、と述べられています。最初の危機は聖徳太子の時代で、聖徳太子と弥勒菩薩半跏像の深い関係と、聖徳太子の活躍が指摘され、聖徳太子により日本は危機を脱した、とされています。二度目の危機は幕末で、いわゆる勤皇の志士や幕府側の人物も、弥勒菩薩半跏像に祈っていたのではないか、とされます。三度目の危機は第二次大戦後で、当時の日本が敗戦で落ち込むなか、湯川秀樹や松下幸之助や黒澤明といった、敗戦後の日本を勇気づけた偉業を成し遂げた人々と弥勒菩薩半跏像の関係との可能性が指摘されています。正直なところ、個々の弥勒菩薩半跏像との関係についてもさることながら、蘇我氏断罪史観を前提とするなど、その歴史認識にも突っ込みが多く入るでしょうが、それを読ませる筆力は、全盛期より衰えた感は否めないにしても健在だな、と思ったものです。

 では、このように危機を脱するきっかけとなる弥勒菩薩半跏像の秘密は何かというと、弥勒菩薩半跏像自体というよりも、人間の脳に秘密があるのだ、と本書では主張されています。つまり、人間の脳は美しいものを見ると精神的快感のホルモン(ドーパミンが念頭にあるのでしょうか)に満たされ、その後に希望・意欲・アイデア・決断が湧き出してくるのですが、それは、危機の時代に人々を救うという役割を与えられた弥勒の役割を彫り師が深く理解したうえで作った、世界最高の美しさ・人類最高の純粋さを持つ弥勒菩薩半跏像であればこそ、偉大な効果を発揮するのだ、ということです。五島氏の著書は結論が曖昧なまま終わることが多かっただけに、明確に結論が出されたことは意外でしたが、残念ながら外してしまったなあ、という感は否めません。以前のような、先へと引っ張る結末にならなかったのは、不謹慎な表現になりますが、最後の著書になるかもしれない、との思いが五島氏にあったからでしょうか。

 全体として、読ませる力はまだ健在でしたが、全盛期の著作ほどの、次の展開が気になって仕方がない、という水準と比較すると、さすがにかなり衰えた感は否めません。それは、過去の自著でのネタの使い回しにも見られ、それは全盛期にもあったことですが、本書では以前の著書よりも目立った感があります。歴史認識については、以前より本書と変わらない水準でしたので、この点ではとくに衰えは感じませんでした。こうしたところに不満があるとはいえ、弥勒とはミラクルのことだ、などの五島節もあり、再び五島氏の新作を読めたことはやはり嬉しく、自分は五島氏の愛読者なのだなあ、と改めて思ったものです。また、これまでの著書では、ソ連・北朝鮮などその時点での日本にたいする脅威とされた国々を取り上げて、批判というか敵意を煽るような記述があったのですが、今回はその標的が中国となっており、こうしたところも相変わらずの五島節だな、と思います。

 なお、本書の主題となる弥勒菩薩半跏像について、その評価にさすがにどうかと思うところが多々あったので、ウィキペディアで調べてみたところ(本当はこんな手抜きをしてはいけないのですが、怠惰な性分ですから、あまり気力が湧きませんでした)、本書で盛んに出てくる「国宝第一号」との決まり文句は不正確であることを知りました。弥勒菩薩半跏像は彫刻第一号であり、同時に多数の物件が国宝に指定されている、とのことです。また本書では、弥勒菩薩半跏像がアカマツを素材とする質素な作りであることが強調されていますが、元々は金箔が貼られていることが確実視されています。また、弥勒菩薩半跏像の美しさ・魅力を示す事例として、大学生が弥勒菩薩半跏像の美しさに魅せられて触れてしまい、像の右手薬指が折れるという事件が起きたことが本書で紹介されていますが、その大学生は、「実物を見た時"これが本物なのか"と感じた。期待外れだった。金箔が貼ってあると聞いていたが、貼っておらず、木目が出ており、埃もたまっていた。監視人がいなかったので、いたずら心で触れてしまったが、あの時の心理は今でも説明できない」との趣旨の発言をしているそうです。もちろん、これらはウィキペディアで調べただけなので、本書の主張に徹底的に反論しようとすれば、しっかりとした典拠に当たる必要がありますが。

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