歴史上の人物の評価と知名度の変遷
第二次大戦後の日本社会における豊臣秀吉の人気の低下については、このブログで2回取り上げたことがありますが、
https://sicambre.seesaa.net/article/200610article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201001article_19.html
その要因について私なりの推測を、改めて以下にまとめてみました。
●朝鮮半島の支配を含む、戦前の帝国主義的方針が批判された戦後日本社会にあって、秀吉による朝鮮役は壮挙ではなく悪事とみなされるようになりました。
●敗戦後の日本社会において、先進的・独創的な織田信長像が喧伝されたため、秀吉を信長の二番煎じとして軽視する傾向が強くなりました。
●経済が低迷し先行きの暗い時代には、明るく未来への希望が持てた高度経済成長の時代と比較して、成り上がり者が共感を得にくいのではないでしょうか。
もちろん、第二次大戦後の日本社会における豊臣秀吉の人気の低下という私の認識は、実証されたわけではないのですが、近年の各種アンケートからは、おそらく間違いないだろう、と思います。もっとも、秀吉の人気が戦後になって低下したとはいっても、知名度は相変わらず高水準を維持しているだろう、と思います。秀吉と同じく、戦後になって人気の低下した歴史上の人物として思い浮かぶのは楠木正成ですが、正成の場合、秀吉と比較して劇的に人気が低下しているというだけではなく、知名度自体も劇的に低下しました。その要因は、戦前の皇国史観において正成が過剰なまでに高く評価されたことへの反動なのでしょう。
https://sicambre.seesaa.net/article/200610article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/201001article_19.html
その要因について私なりの推測を、改めて以下にまとめてみました。
●朝鮮半島の支配を含む、戦前の帝国主義的方針が批判された戦後日本社会にあって、秀吉による朝鮮役は壮挙ではなく悪事とみなされるようになりました。
●敗戦後の日本社会において、先進的・独創的な織田信長像が喧伝されたため、秀吉を信長の二番煎じとして軽視する傾向が強くなりました。
●経済が低迷し先行きの暗い時代には、明るく未来への希望が持てた高度経済成長の時代と比較して、成り上がり者が共感を得にくいのではないでしょうか。
もちろん、第二次大戦後の日本社会における豊臣秀吉の人気の低下という私の認識は、実証されたわけではないのですが、近年の各種アンケートからは、おそらく間違いないだろう、と思います。もっとも、秀吉の人気が戦後になって低下したとはいっても、知名度は相変わらず高水準を維持しているだろう、と思います。秀吉と同じく、戦後になって人気の低下した歴史上の人物として思い浮かぶのは楠木正成ですが、正成の場合、秀吉と比較して劇的に人気が低下しているというだけではなく、知名度自体も劇的に低下しました。その要因は、戦前の皇国史観において正成が過剰なまでに高く評価されたことへの反動なのでしょう。
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