神田千里『宗教で読む戦国時代』
講談社選書メチエの一冊として、2010年2月に刊行されました。戦国時代に日本列島においてなぜキリスト教が勢力を拡大し、その後に弾圧されるにいたったのか、という日本史上の大問題にたいする意欲的な解答になっています。私が10代の頃に学校や歴史関係の本で学んだのは、キリスト教はその信者に身分秩序・権力者よりも神(信仰)を優先させるようになり、封建制度を否定しかねない危険な思想だったから、というような説明でした。
その後、戦国時代に日本に入ってきたキリスト教は、世俗秩序とはおおむね親和的なカトリックなので、どうも10代の頃に学んだ説明は説得力に欠ける、と思うようになったのですが、私にとってこの問題の優先順位はそれほど高くないので、ずっと放置してきました。本書で提示される説明は、キリスト教には戦国時代の日本列島の信仰体系と共通するところが多く、それゆえに急速に信者を拡大したものの、宗教改革という時代背景のもとに戦闘的・排他的となったカトリックは、諸宗派共存・融和という日本列島の基本的な価値観と衝突したために、弾圧されたのだ、というものです。
こうした説明の前提として、本書では戦国時代の日本列島における宗教(信仰)体系の解説がなされています。戦国時代の日本列島にはさまざまな宗派が存在しましたが、多様とも雑多とも見える信仰状況でありながら、そこには一つの確固たる信仰体系・価値観が存在していた、というのが本書の主張です。それは、天道思想を核とし、諸宗派の違いは本質的なものではなく、すべての神仏は同一のものだ、という価値観でした。天道は人間の運命を司る超自然的存在で、内面の倫理と結びついたものであり、キリスト教の発想と類似していました。それは、戦国時代に日本列島を訪れたキリスト教宣教師の観察からうかがえます。キリスト教が戦国時代の日本列島において受容されたのは、当時の価値観と合致するところが多分にあったからでした。
戦国時代の日本列島の価値観としてもう一つ重要なのは、聖俗の棲み分けです。信仰は内面の問題であり、外面(俗の世界)では世俗道徳に従うという、一種の「政教分離」がなされている状況でした。当時、内面の世界にはあるていどの自由が認められており、家族の間でも宗派が異なる場がありました。これは、諸宗派の違いは本質的なものではなく、すべての神仏は同一のものだ、という観念が前提としてあったからなのでしょう。こうした信仰・価値体系は、戦国時代~江戸時代初期にかけて、「日本宗」として認識されるようになります。
すべての宗派が本質的に同一のものだとの観念のもと、宗論など宗派間の争いは抑制される傾向にあり、真宗本願寺派(一向宗)など各宗派も、他宗派との争いを自制していました。ただ、本願寺派は高田派など同じ真宗の他宗派には排他的な対応をとっていました。こうした諸宗共存・融和の観念・方針は、大名権力さらには豊臣・徳川政権のような統一権力にも継承されました。
しかし、当時のカトリックは宗教改革という時代背景のもとに戦闘的・排他的となっており、いわゆるキリシタン大名をはじめとして日本列島の信者たちも、寺社の破壊や信仰の強制など排他的方向に暴走する傾向にありました。当時の日本列島のキリスト教は、同時代の日本列島の価値観と合致するところが多分にあったので受容されたものの、けっきょくは「日本宗」の枠組みに収まらず、弾圧されるにいたったのでした。日本列島在来の宗派でも、「日本宗」の枠組みに収まらなかった日蓮宗不受不施派は禁止されるにいたっています。
このような解釈のもと、いわゆる一向一揆(この名称は、同時代のものではなく後世のもの)と島原の乱も、通俗的な見解とは異なる解釈が考えられます。一向一揆の他勢力との争いは、かなりのところ政治的なものであり、信仰の是非をかけた宗教一揆とは言いがたいところがあります。織田信長と一向一揆との争いも、信仰をかけた本質的なものではなく政治状況に応じたもので、そもそも信長には本願寺と敵対する意図はなかったのではないか、とされています。また、信長が「無神論」だと解釈される根拠となったキリスト教宣教師による記録についても、宣教師たちからみた当時の禅宗的価値観と一致しており、信長を宗教、とくに仏教と敵対的関係にあった、とする通俗的な見解が否定されています。
一方島原の乱については、飢饉と重税という苦境のもと、領民が大名権力に反乱を起こしたと解釈されていますが、本書では、大名に味方する百姓が少なくなく、蜂起した中心勢力が非キリシタンにキリスト教を強制し、寺社を攻撃して僧侶や神官を殺害したことや、一揆の側が領主や幕府への遺恨ではなく信仰の許可を求めて蜂起したと述べているのにたいして、幕府は非キリシタンやキリシタンからの転向者は赦しても、キリシタンはけっして赦そうとしなかったことなどから、島原の乱は宗教一揆だと解釈されています。島原の乱の主体となったキリシタンは、飢饉と重税という絶望的な状況のなか、強い終末観を抱いて蜂起したのでした。
以上、本書の内容についてざっとみてきましたが、戦国時代の日本列島の価値体系と、キリスト教の受容・弾圧について、じつに魅力的な解釈が提示されており、読み応えがあります。最近読んだ本では、三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日新聞社、2007年)
https://sicambre.seesaa.net/article/200911article_14.html
と並ぶくらい面白く読み進められました。
その後、戦国時代に日本に入ってきたキリスト教は、世俗秩序とはおおむね親和的なカトリックなので、どうも10代の頃に学んだ説明は説得力に欠ける、と思うようになったのですが、私にとってこの問題の優先順位はそれほど高くないので、ずっと放置してきました。本書で提示される説明は、キリスト教には戦国時代の日本列島の信仰体系と共通するところが多く、それゆえに急速に信者を拡大したものの、宗教改革という時代背景のもとに戦闘的・排他的となったカトリックは、諸宗派共存・融和という日本列島の基本的な価値観と衝突したために、弾圧されたのだ、というものです。
こうした説明の前提として、本書では戦国時代の日本列島における宗教(信仰)体系の解説がなされています。戦国時代の日本列島にはさまざまな宗派が存在しましたが、多様とも雑多とも見える信仰状況でありながら、そこには一つの確固たる信仰体系・価値観が存在していた、というのが本書の主張です。それは、天道思想を核とし、諸宗派の違いは本質的なものではなく、すべての神仏は同一のものだ、という価値観でした。天道は人間の運命を司る超自然的存在で、内面の倫理と結びついたものであり、キリスト教の発想と類似していました。それは、戦国時代に日本列島を訪れたキリスト教宣教師の観察からうかがえます。キリスト教が戦国時代の日本列島において受容されたのは、当時の価値観と合致するところが多分にあったからでした。
戦国時代の日本列島の価値観としてもう一つ重要なのは、聖俗の棲み分けです。信仰は内面の問題であり、外面(俗の世界)では世俗道徳に従うという、一種の「政教分離」がなされている状況でした。当時、内面の世界にはあるていどの自由が認められており、家族の間でも宗派が異なる場がありました。これは、諸宗派の違いは本質的なものではなく、すべての神仏は同一のものだ、という観念が前提としてあったからなのでしょう。こうした信仰・価値体系は、戦国時代~江戸時代初期にかけて、「日本宗」として認識されるようになります。
すべての宗派が本質的に同一のものだとの観念のもと、宗論など宗派間の争いは抑制される傾向にあり、真宗本願寺派(一向宗)など各宗派も、他宗派との争いを自制していました。ただ、本願寺派は高田派など同じ真宗の他宗派には排他的な対応をとっていました。こうした諸宗共存・融和の観念・方針は、大名権力さらには豊臣・徳川政権のような統一権力にも継承されました。
しかし、当時のカトリックは宗教改革という時代背景のもとに戦闘的・排他的となっており、いわゆるキリシタン大名をはじめとして日本列島の信者たちも、寺社の破壊や信仰の強制など排他的方向に暴走する傾向にありました。当時の日本列島のキリスト教は、同時代の日本列島の価値観と合致するところが多分にあったので受容されたものの、けっきょくは「日本宗」の枠組みに収まらず、弾圧されるにいたったのでした。日本列島在来の宗派でも、「日本宗」の枠組みに収まらなかった日蓮宗不受不施派は禁止されるにいたっています。
このような解釈のもと、いわゆる一向一揆(この名称は、同時代のものではなく後世のもの)と島原の乱も、通俗的な見解とは異なる解釈が考えられます。一向一揆の他勢力との争いは、かなりのところ政治的なものであり、信仰の是非をかけた宗教一揆とは言いがたいところがあります。織田信長と一向一揆との争いも、信仰をかけた本質的なものではなく政治状況に応じたもので、そもそも信長には本願寺と敵対する意図はなかったのではないか、とされています。また、信長が「無神論」だと解釈される根拠となったキリスト教宣教師による記録についても、宣教師たちからみた当時の禅宗的価値観と一致しており、信長を宗教、とくに仏教と敵対的関係にあった、とする通俗的な見解が否定されています。
一方島原の乱については、飢饉と重税という苦境のもと、領民が大名権力に反乱を起こしたと解釈されていますが、本書では、大名に味方する百姓が少なくなく、蜂起した中心勢力が非キリシタンにキリスト教を強制し、寺社を攻撃して僧侶や神官を殺害したことや、一揆の側が領主や幕府への遺恨ではなく信仰の許可を求めて蜂起したと述べているのにたいして、幕府は非キリシタンやキリシタンからの転向者は赦しても、キリシタンはけっして赦そうとしなかったことなどから、島原の乱は宗教一揆だと解釈されています。島原の乱の主体となったキリシタンは、飢饉と重税という絶望的な状況のなか、強い終末観を抱いて蜂起したのでした。
以上、本書の内容についてざっとみてきましたが、戦国時代の日本列島の価値体系と、キリスト教の受容・弾圧について、じつに魅力的な解釈が提示されており、読み応えがあります。最近読んだ本では、三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日新聞社、2007年)
https://sicambre.seesaa.net/article/200911article_14.html
と並ぶくらい面白く読み進められました。
この記事へのコメント
面白そうな本ですね。
最近「偽書○○」などというタイトルの図書ものもあるくらいなので、何かが暴かれはじめているんでしょうね。
読んでみようかと思います。
これだけ面白い本は、そうそうあるものではない、と思います。