大河ドラマ『風と雲と虹と』第31回「龍と虎と」
将門は遊女となった貴子と再会しましたが、当然のことながらお互いに気まずいわけで、貴子は泣き出して部屋を出て、将門は嘆き悲しみます。将門は、貴子の召使から事の顛末を聞きだし、自棄酒を飲み、寝転がって涙を流します。そこへ、一度は部屋から出た貴子が戻ってきて、将門に酒を勧めます。あなたはお客、私は遊女とすっかり卑屈になった貴子でした。二人は互いに酒を酌み交わしましたが、貴子はすっかり遊女らしい風情を身につけてしまっており、それを悲しんで激情にかられたのか、将門は貴子の手をとり、抱き寄せます。そのまま貴子と関係をもって一晩を過ごした将門は、翌朝貴子に別れを告げ、またいらしてね、と貴子は将門に言います。将門は貴子を遊女の境遇に置いておくのは忍びがたかったのですが、裁判を控えて自由になる財物が少ないことから、すぐには貴子を救い出すことはできません。はじめて上京した頃の将門であれば、ここで裁判よりも貴子の救出を優先するところでしょうが、将門の成長が見て取れますし、それが不自然な流れになっていないところが、この作品のよさです。もっとも、長期間にわたるドラマの脚本では、この点がしっかりしていて当然とも言えますが、現実はしばしばそうではないのが残念です。
その頃純友は、以前武蔵が拠点にしていた都の屋敷にいました。玄明から貴子のことを聞いた純友は、哀れだと思ったものの、貴子のような高貴な身分の女性は自分で生きる術を知らない、と言います。どうしますか、と玄明に尋ねられた純友は、お前はどうなのだ、と逆に玄明に尋ね返します。玄明は、貴子のことを将門に知らせてよかったのか、今でも迷っている、と言います。純友は、将門はいい奴だし、思っていた通り強い、人々は将門を坂東の虎と恐れている、と言います。すると玄明は、あなたは南海の龍と呼ばれている、と純友に言います。純友は、将門にはじめて会ったときから、将門のような男が自分の志に同意して決起するとき、はじめて自分の志は成就するのだ、と語ります。純友は、自分の勧めではなく、将門がその気にならなければいけない、と言って将門の意思に任せようとします。将門が恋に狂うのもよい、と考える純友は、貴子の身請け代を出すことにします。
玄明が使者となって貴子を迎えに行きますが、玄明は誰が身請け代を出したのか貴子に言わず、貴子は将門が出してくれたのだろう、と思います。籠の担ぎ手にどこに行けばよいのか、と尋ねられても、突然のことだけに貴子は答えられず、姫の心任せでどこにでも行きます、と玄明は貴子に言います。すると貴子は、将門の所へ、と言います。貴子の来訪を配下の伊和員経から聞いた将門は、動揺しつつも貴子を迎え入れます。貴子を護送してきた一行のなかに玄明がいたことから、将門は玄明が身請け代を払ってくれたのだ、と思ったようです。いけなかったでしょうか、と尋ねる貴子にたいして、そんなことはない、と言って将門は屋敷のなかに迎え入れますが、員経は複雑な表情を見せます。部屋で将門と貴子が二人きりになると、貴子は将門に抱きついて泣き、ここにいてもいいの?と将門に尋ねます。将門が承諾すると、貴子は嬉しいと言って将門をさらに強く抱きしめます。将門は、自分一人を頼って来た貴子を哀れに思い、もうあなたを二度と不幸にはしない、と貴子に言います。すると貴子は、どうして早くこうならなかったのかしら、と言います。貴子を演じているのが吉永小百合氏でなければ、多くの視聴者にとってひじょうに不快な発言でしょう。
部屋から出てきた員経は、貴子をこの屋敷に迎えるつもりなのか、と尋ねます。将門はそうだと言い、貴子が不幸でいることを見捨てることはできない、と員経に語ります。坂東に戻るときは連れて帰るのか、と員経に問われた将門は、分からぬ、あの姫君を見捨てることはではない、と吐き捨てるように員経に言います。こうしたところが、良子も懸念した将門の性分であり、それは上に立つ者の甘さと同時に、人を惹きつける魅力にもなっているのでしょう。その年の冬、貴子は以前の明るさを取り戻していました。貴子は、以前将門と親しく会っていたときの延長として現在を認識しており、貞盛とのことも盗賊とのことも遊女としてのことも幻であるかのようでした。
将門が上京した本来の目的である裁判のほうも進展し、将門は検非違使庁に呼ばれて尋問を受けていました。その場には、源護と佗田真樹もいました。将門は、威圧的な検非違使庁の役人の取り調べにも怯むことなく、自分が好んで合戦に及んだのではないことを理路整然と述べ立て、騙まし討ちに遭った証拠として詮子からの文を提出するとともに、下野国府の記録も調べるよう、上申します。この将門の態度は検非違使庁でも評判となり、かつての将門の主人で人臣最高位にある藤原忠平にも報告されました。将門の罪を問わず、将門を純友討伐に使おうとの意見も出ましたが、将門を危険視する見解も出されました。先年の西海の海賊討伐にあたって、都から派遣された討伐軍のうち将門一人のみ生還し、その直後に将門が坂東に帰国したことから、将門は純友と通じ合っているのではないか、というわけです。忠平は、事の真偽を見極めるために将門に会おうとします。
その頃、西海の海賊討伐から帰還した大中臣康継は、以前のように忠平の家司として復帰したい、と忠平の現在の家司である藤原子高に頼み込んでいました。しかし、海賊討伐の失敗を理由に子高は渋ります。せめて忠平と面会したいと願う康継ですが、今はやめておいたほうがよいだろう、と子高は冷たく突き放します。すっかり落胆した康継の前を、多くの進物を携えて真樹が通ります。その真樹が進物を献上して(おそらくは子高に)帰ろうとしたところ、小一条院の家人が呼び止め、貴子の消息を知らせます。貞盛は遊女に身を落とした女性に未練をもつような人ではない、という家人にたいして、真樹は答えることができません。
将門と面会した忠平は、かつて将門が許可なく坂東に帰国したことを責めながらも、そのことで主従関係を絶とうとは思わない、と恩に着せるような言い方をします。如才なく感謝の念を述べる将門に満足した忠平は、本題である将門と純友との関係について問い質します。純友は友なのか、と忠平に尋ねられた将門は、そうである、と答えます。この将門の返答に、その場にいた子高はつい声を荒げますが、忠平は子高を制止し、思うところを述べよ、と将門に命じます。純友と自分とは考えが異なっていると返答する将門にたいして、賊が憎いとは思わないのか、と子高は詰問します。すると将門は、民人を害する賊ならば誰であろうと討つ、純友が故郷の下総豊田に攻め寄せてくるなら、純友を討つ、と堂々と答えます。子高は、関東にまで海賊が攻め寄せてくることはないと分かっていての言い逃れだ、と嘲笑しますが、そうではない、と将門は答えます。自分は都で出世する望みを捨てた人間であって、自分にとって大事なのは坂東の土地とそこに生きる人々のみであり、それゆえに上京したのだ、と答えます。この将門の弁明を聞き、そなたを信じよう、と忠平は満足そうに言います。将門は、忠平の御前から退出して帰ろうとしたところ、一人の男性とすれ違い、その男性のことが気になります。その男性こそ、後に西海の海賊討伐へと向かう紀淑人でした。今回は、紀淑人の登場場面はここだけですが、この作品ではかなりの重要人物のようです。
その頃、純友と螻蛄婆は貧しい身なりで都を歩いていました。純友が武蔵のことを気にかけていることに気づいた螻蛄婆ですが、武蔵なら心配ない、と純友を励まします。純友は、夜に将門と会う手はずを整えるよう玄明に伝えており、自分はしばらく一人で歩きたい、と言います。純友は、変装しているのでばれないだろう、と自信をもっていましたが、偶然すれ違った康継に気づかれてしまいます。康継は純友を尾行し、純友が都で居館としている武蔵の以前の館を突き止めます。康継はこれを子高に知らせ、多数の役人が純友を捕らえに出動します。玄明は将門を訪ね、純友の名前を伏せて、将門に会いたい人がいる、と伝えます。将門は純友のことだと気づき、貴子の身請け代を支払ってくれたのが純友だと知ります。将門は、今は裁判で苦しいが、必ず身請け代は払う、と考えています。将門は純友に会いたいと思い、玄明とともに純友の待つ屋敷へと向かう、というところで今回は終了です。
今回も見所が多数あり、中盤を迎えても中だるみが見られないのは素晴らしいものです。今回は、検非違使庁と忠平の御前での将門の応答が注目されます。とくに、忠平の御前での将門の応答は、人臣最高位にある忠平の機嫌は損ねないようにしつつ、自身の信念もしっかりと主張したものであり、はじめて上京したときと比較して、将門の大きな成長がみてとれます。将門が合戦での連勝も含めてさまざまな経験を積み、自信をつけていったことが丹念に描かれてきましたから、この将門の堂々たる対応にも不自然さはありません。この他にも、今回は登場しなかった貞盛の人物像が他人の口から浮き彫りになったり、将門が哀れみから貴子を迎えたことに員経が批判的だったりと、興味深い描写があります。本当に、毎回見所の多い作品だな、と感心します。
その頃純友は、以前武蔵が拠点にしていた都の屋敷にいました。玄明から貴子のことを聞いた純友は、哀れだと思ったものの、貴子のような高貴な身分の女性は自分で生きる術を知らない、と言います。どうしますか、と玄明に尋ねられた純友は、お前はどうなのだ、と逆に玄明に尋ね返します。玄明は、貴子のことを将門に知らせてよかったのか、今でも迷っている、と言います。純友は、将門はいい奴だし、思っていた通り強い、人々は将門を坂東の虎と恐れている、と言います。すると玄明は、あなたは南海の龍と呼ばれている、と純友に言います。純友は、将門にはじめて会ったときから、将門のような男が自分の志に同意して決起するとき、はじめて自分の志は成就するのだ、と語ります。純友は、自分の勧めではなく、将門がその気にならなければいけない、と言って将門の意思に任せようとします。将門が恋に狂うのもよい、と考える純友は、貴子の身請け代を出すことにします。
玄明が使者となって貴子を迎えに行きますが、玄明は誰が身請け代を出したのか貴子に言わず、貴子は将門が出してくれたのだろう、と思います。籠の担ぎ手にどこに行けばよいのか、と尋ねられても、突然のことだけに貴子は答えられず、姫の心任せでどこにでも行きます、と玄明は貴子に言います。すると貴子は、将門の所へ、と言います。貴子の来訪を配下の伊和員経から聞いた将門は、動揺しつつも貴子を迎え入れます。貴子を護送してきた一行のなかに玄明がいたことから、将門は玄明が身請け代を払ってくれたのだ、と思ったようです。いけなかったでしょうか、と尋ねる貴子にたいして、そんなことはない、と言って将門は屋敷のなかに迎え入れますが、員経は複雑な表情を見せます。部屋で将門と貴子が二人きりになると、貴子は将門に抱きついて泣き、ここにいてもいいの?と将門に尋ねます。将門が承諾すると、貴子は嬉しいと言って将門をさらに強く抱きしめます。将門は、自分一人を頼って来た貴子を哀れに思い、もうあなたを二度と不幸にはしない、と貴子に言います。すると貴子は、どうして早くこうならなかったのかしら、と言います。貴子を演じているのが吉永小百合氏でなければ、多くの視聴者にとってひじょうに不快な発言でしょう。
部屋から出てきた員経は、貴子をこの屋敷に迎えるつもりなのか、と尋ねます。将門はそうだと言い、貴子が不幸でいることを見捨てることはできない、と員経に語ります。坂東に戻るときは連れて帰るのか、と員経に問われた将門は、分からぬ、あの姫君を見捨てることはではない、と吐き捨てるように員経に言います。こうしたところが、良子も懸念した将門の性分であり、それは上に立つ者の甘さと同時に、人を惹きつける魅力にもなっているのでしょう。その年の冬、貴子は以前の明るさを取り戻していました。貴子は、以前将門と親しく会っていたときの延長として現在を認識しており、貞盛とのことも盗賊とのことも遊女としてのことも幻であるかのようでした。
将門が上京した本来の目的である裁判のほうも進展し、将門は検非違使庁に呼ばれて尋問を受けていました。その場には、源護と佗田真樹もいました。将門は、威圧的な検非違使庁の役人の取り調べにも怯むことなく、自分が好んで合戦に及んだのではないことを理路整然と述べ立て、騙まし討ちに遭った証拠として詮子からの文を提出するとともに、下野国府の記録も調べるよう、上申します。この将門の態度は検非違使庁でも評判となり、かつての将門の主人で人臣最高位にある藤原忠平にも報告されました。将門の罪を問わず、将門を純友討伐に使おうとの意見も出ましたが、将門を危険視する見解も出されました。先年の西海の海賊討伐にあたって、都から派遣された討伐軍のうち将門一人のみ生還し、その直後に将門が坂東に帰国したことから、将門は純友と通じ合っているのではないか、というわけです。忠平は、事の真偽を見極めるために将門に会おうとします。
その頃、西海の海賊討伐から帰還した大中臣康継は、以前のように忠平の家司として復帰したい、と忠平の現在の家司である藤原子高に頼み込んでいました。しかし、海賊討伐の失敗を理由に子高は渋ります。せめて忠平と面会したいと願う康継ですが、今はやめておいたほうがよいだろう、と子高は冷たく突き放します。すっかり落胆した康継の前を、多くの進物を携えて真樹が通ります。その真樹が進物を献上して(おそらくは子高に)帰ろうとしたところ、小一条院の家人が呼び止め、貴子の消息を知らせます。貞盛は遊女に身を落とした女性に未練をもつような人ではない、という家人にたいして、真樹は答えることができません。
将門と面会した忠平は、かつて将門が許可なく坂東に帰国したことを責めながらも、そのことで主従関係を絶とうとは思わない、と恩に着せるような言い方をします。如才なく感謝の念を述べる将門に満足した忠平は、本題である将門と純友との関係について問い質します。純友は友なのか、と忠平に尋ねられた将門は、そうである、と答えます。この将門の返答に、その場にいた子高はつい声を荒げますが、忠平は子高を制止し、思うところを述べよ、と将門に命じます。純友と自分とは考えが異なっていると返答する将門にたいして、賊が憎いとは思わないのか、と子高は詰問します。すると将門は、民人を害する賊ならば誰であろうと討つ、純友が故郷の下総豊田に攻め寄せてくるなら、純友を討つ、と堂々と答えます。子高は、関東にまで海賊が攻め寄せてくることはないと分かっていての言い逃れだ、と嘲笑しますが、そうではない、と将門は答えます。自分は都で出世する望みを捨てた人間であって、自分にとって大事なのは坂東の土地とそこに生きる人々のみであり、それゆえに上京したのだ、と答えます。この将門の弁明を聞き、そなたを信じよう、と忠平は満足そうに言います。将門は、忠平の御前から退出して帰ろうとしたところ、一人の男性とすれ違い、その男性のことが気になります。その男性こそ、後に西海の海賊討伐へと向かう紀淑人でした。今回は、紀淑人の登場場面はここだけですが、この作品ではかなりの重要人物のようです。
その頃、純友と螻蛄婆は貧しい身なりで都を歩いていました。純友が武蔵のことを気にかけていることに気づいた螻蛄婆ですが、武蔵なら心配ない、と純友を励まします。純友は、夜に将門と会う手はずを整えるよう玄明に伝えており、自分はしばらく一人で歩きたい、と言います。純友は、変装しているのでばれないだろう、と自信をもっていましたが、偶然すれ違った康継に気づかれてしまいます。康継は純友を尾行し、純友が都で居館としている武蔵の以前の館を突き止めます。康継はこれを子高に知らせ、多数の役人が純友を捕らえに出動します。玄明は将門を訪ね、純友の名前を伏せて、将門に会いたい人がいる、と伝えます。将門は純友のことだと気づき、貴子の身請け代を支払ってくれたのが純友だと知ります。将門は、今は裁判で苦しいが、必ず身請け代は払う、と考えています。将門は純友に会いたいと思い、玄明とともに純友の待つ屋敷へと向かう、というところで今回は終了です。
今回も見所が多数あり、中盤を迎えても中だるみが見られないのは素晴らしいものです。今回は、検非違使庁と忠平の御前での将門の応答が注目されます。とくに、忠平の御前での将門の応答は、人臣最高位にある忠平の機嫌は損ねないようにしつつ、自身の信念もしっかりと主張したものであり、はじめて上京したときと比較して、将門の大きな成長がみてとれます。将門が合戦での連勝も含めてさまざまな経験を積み、自信をつけていったことが丹念に描かれてきましたから、この将門の堂々たる対応にも不自然さはありません。この他にも、今回は登場しなかった貞盛の人物像が他人の口から浮き彫りになったり、将門が哀れみから貴子を迎えたことに員経が批判的だったりと、興味深い描写があります。本当に、毎回見所の多い作品だな、と感心します。
この記事へのコメント
この回の、将門と貴子の再会の心情の解釈は、劉さんと私は少し違うのです、それは多分男女の恋愛認識の差だと思うのです(ウマく説明できないので、説明はやめておきます)。でも、貴子は将門と再会できて良かったと思います。これで彼女は死ぬ時も満足してゆけるので。
毎日一方的に訪問しては書き逃げしている(笑)ので、今日は私のブログのURLを貼っていきます。
いつも返事をありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/mira_oku_yon
ブログをお持ちとは知りませんでした。最近は「つぶやき」が流行っているようですが、どうも「つぶやき」には馴染めません。
ありがとうございます。
「つぶやき」と「ぼやき」も含め、昨年の旅行記を書きたかったので、ブログを開設したのです。
語意不足で(-_-;)ウマく言語を操れるようであれば、貴子の気持ちが文章化できるんですけどね。
そのうちに。
今日、海音寺潮五郎の『悪人列伝(古代篇)』のなかの平将門を読みました。
その中に、当時の貴族の落ちぶれかたを書いた部分があり(特に女性)天皇家でさえも藤原と血縁がない為に遊女になることもあるような事が書かれていました。
その部分を読んで、貴子のような貴族女性の生き方が、当時はよくある事なのねと、思いながら貴子はフィクションだったと気付きました。原作を読んでないので知りませんでした。(よく考えれば、そんな資料が残っている筈もない)
将門の史跡巡りにいきたいのだけど、時代が古すぎて、また言い伝えが多すぎていくべき順序と場所が特定できません。
もう少し海音寺作品に馴染んでからにします。