大河ドラマ『風と雲と虹と』第26回「海賊大将軍」

 承平6年(936年)の春、貴子の屋敷が失火で焼けてしまい、すでに貞盛からの援助も途絶えていた貴子の一行は、宿無しの生活を余儀なくされてしまいます。貴子一行は火雷天神の社へと向かい、貴子の乳母は相変わらず火雷天神を信仰していますが、貴子はもう火雷天神を信じることはできなくなっていました。貴子の屋敷が焼けたことを知った美濃は、男に頼ってしか生きられない女は哀れだ、と言います。貴子のキャラを浮き彫りにする台詞です。貴子の一行はあてもなくさまよいますが、その様子を盗賊らしき男たちがうかがっています。その頃坂東では、農繁期に戦いがあるのではないか、との噂が民人たちの間にも広まっていました。桔梗にこの噂を問われた将門は、たとえ戦になっても豊田には攻め込ませない、と力強く約束します。

 その頃、朝廷との決別を宣言した純友は故郷の大津にいました。伊予守の平維久・伊予介の藤原正経・追捕使の大中臣康継は、再び伊予国府に出仕するよう純友を説得するために使者を派遣し、純友は考えておくと返答します。しかし純友は、これは自分をおびき出すための罠だと考えており、国府に戻るつもりはありませんでした。純友は決起するにあたり、郡司たちが責任を問われないように、郡司たちを宴会に招いて酔わせ、その隙に配下の海賊たちとともに海上へと乗り出します。

 この知らせはただちに伊予国府へも届き、追捕使の康継は純友討伐のために兵を率いて大津へと向かい、伊予守の平維久・伊予介の藤原正経も同行しました。純友たちは手薄になった国府を襲い、国府から財を奪います。大津へと向かった康継らは、純友の宴に招かれた郡司たちを捕らえ、国府へと連行する途中で殺そうとしますが、地元で徴収した兵たちは逃げ出し、追捕使配下の兵たちは、純友配下の者たちの挑発に乗って屋敷の外へと向かってしまいます。康継・維久・正経が屋敷に戻ると、純友とその配下たちが現れ、康継・維久・正経は郡司たちの命を保証するよう純友に強要させられます。屋敷から出て純友の手下たちを追撃した追捕使配下の坂東武者たちは、霧の深いなか純友の手下たちに翻弄され、退却します。純友は康継・維久・正経に自分の要求を承諾させた後、3人を解放します。

 3人を解放した後、純友の一行は日振島へと向かい、そこを根拠地とします。日振島では、息子の重太丸・藤原恒利・その娘の千載・螻蛄婆・美濃とともに、中国や朝鮮の海賊も純友を出迎えました。中国の海賊から、伊予掾を辞めた純友をどう呼べばよいのか、と訪ねられた純友は、純友でよいではないかと言いますが、恒利が海賊大将軍と呼ぼうと言うと、皆がそう呼び始め、純友も満足そうに肯きます。その夜の宴会で純友が考えていたのは、坂東の将門のことでした。将門が決起しなければ、純友の野望は成就しない、というわけです。

 その将門は、良兼が1000騎以上という関東の歴史上初の大軍で良正の館へと向かった、との報告を受けます。将門の弟の将頼や伊和員経は、農繁期でも民人たちを動員すべきだと言いますが、将門は自分の志を貫いて勝つと言って、その提案を退けます。良兼軍出立の知らせを受けた貞盛は、弟の繁盛や配下の佗田真樹から良兼に加わるよう迫られますが、将門とは戦わない、と宣言します。すると、妻の小督も貞盛にたいして不満気に退出します。そこへ貞盛の母である秀子が現れ、将門と直接会うという貞盛を、良兼さらには貞盛の配下に殺される可能性があるので、自分が将門宛の貞盛の手紙を預かって将門に会いに行く、と説得します。

 今回は、将門はあまり目立たず、純友が実質的な主役との感を受けました。純友が見せた思いやりは、純友の魅力になっています。純友がたんに権力志向の野心の強いだけの人物であれば、さまざまな階層の人たちが純友に心を寄せることはないでしょうから、純友の魅力に説得力をもたせた描写になっているな、と思います。これで、全52回のちょうど半分まで視聴したことになります。1年にわたって放送される大河ドラマでは、中だるみしたり後半に失速したりすることがあるのですが、今のところ中だるみはなく、後半の視聴もひじょうに楽しみです。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック