大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』
NHKブックスの一冊として、日本放送出版協会より2009年11月に刊行されました。書店で目次とカバーの概要を読んだとき、聖徳太子架空人物説で有名な大山誠一氏も、ついに一線を超えてしまい、「古代史解明本」や「古代史真相本」を自信満々に世に問いかける「在野の研究者の世界」へと踏み入ってしまったのか、と嫌な予感がしたのですが、聖徳太子架空人物説について新たな見解を知ることができるかな、と思って読んでみました。残念ながら、嫌な予感は半ば以上的中したと言えるかもしれませんが、本書で提示された「過激な」見解を本気で否定しようとすると、古代史についての相応の見識が要求されるでしょうから、たんにトンデモ本として切り捨てるわけにはいかないだろうな、とは思います。
近年すっかり古代史についての勉強が滞っている私には、本書の内容を詳細に批判できるだけの見識も気力もありませんが、もっとも気になるのは、本書が陰謀論的性格のきわめて強い論調になっていることです。本書では、藤原不比等が『日本書記』の編纂に強く関与し、『日本書記』の天孫降臨神話には、不比等が現実に置かれた政治状況にしたがって構想を変えた痕跡が認められるとしており、不比等がその後の日本の政治体制・日本人の意識まで規定した大政治家・陰謀家であるように描かれています。
しかしこれは、藤原氏の「栄華」という後世の歴史からの結果論的憶測にすぎず、藤原王朝との本書の評価は的外れなのではないか、と思います。じっさい、聖武から宇多までの間でも、淳仁・光仁・桓武・仁明・宇多のように、藤原氏以外の女性を母とする天皇は少なくありませんし、院政期以降も、藤原氏出身の女性を母とする天皇多くいる一方で、源氏出身の女性を母とする天皇も少なくありません。朱雀~後冷泉までのいわゆる摂関政治の時期には藤原氏が皇族と一体化した感もあり、おそらく、この1世紀半弱(藤原氏と皇族との一体化を文徳~後冷泉と考えれば2世紀強)ほどの歴史の印象が強いために、藤原王朝との評価も生まれるのでしょうが、それは妥当ではないだろう、と思います。
そもそも、『日本書記』に政治的性格が強いのは当然として、そこにどれだけの「改竄」を認めるかという問題は、かなりのところ主観的にならざるを得ませんし、ごく少数の人間が都合よく編纂に関与できるのか、という疑問も残ります。さらに、『日本書記』がどれだけ多くの皇族・官人といった支配層に読まれ、その意識を規定したのか、また、そうした効果を編纂者や編纂に強く関与したとされる有力者(たとえば持統や不比等)がどれだけ意図していたのかというと、慎重な検証が必要ではないでしょうか。『日本書記』には政治的性格が強いので、当時の有力者が都合よく改竄したとする本書の論調には、かなりの注意が必要だと思います。さらに、改竄意図の推測に後世の歴史状況を反映させていないかという問題も、後世の人間がつねに自覚すべきでしょう。
このような配慮を欠くと、『日本書記』の背後に編纂者や当時の支配層には思いも寄らなかった「隠された意図」や「陰謀」を多数見出すことになるのでしょう。もちろん本書は、戦後日本にあふれている「在野の研究者」による「古代史解明本」や「古代史真相本」の多くよりは、さすがにかなり水準が高いとは思いますが、きわめて問題が多いことも否定できないと思います。
ここまで本書にかなり否定的な見解を述べてきましたが、聖徳太子否定論について、近年の研究成果を紹介しつつ、改めて総合的に述べている第1章は、さすがに読み応えがあると思います。しかし、この10年間、聖徳太子非実在説にたいして学問的根拠のある反論は皆無だったとの大山氏の見解は、はなはだ疑問です。以前から思っていたのですが、大山氏の聖徳太子非実在説は、先行研究を継承した史料批判には傾聴すべきところが多いものの、聖徳太子を「創造」した人物やその理由など、大山氏独自の見解には説得力に欠けるところがあります。そうした大山氏独自の見解について、大山氏が依拠する史料批判の見直しも含めて、批判は少なくないようで、たとえば以下のブログの記事は、コメント欄も含めて読み応えがあります。
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090103/p1
近年すっかり古代史についての勉強が滞っている私には、本書の内容を詳細に批判できるだけの見識も気力もありませんが、もっとも気になるのは、本書が陰謀論的性格のきわめて強い論調になっていることです。本書では、藤原不比等が『日本書記』の編纂に強く関与し、『日本書記』の天孫降臨神話には、不比等が現実に置かれた政治状況にしたがって構想を変えた痕跡が認められるとしており、不比等がその後の日本の政治体制・日本人の意識まで規定した大政治家・陰謀家であるように描かれています。
しかしこれは、藤原氏の「栄華」という後世の歴史からの結果論的憶測にすぎず、藤原王朝との本書の評価は的外れなのではないか、と思います。じっさい、聖武から宇多までの間でも、淳仁・光仁・桓武・仁明・宇多のように、藤原氏以外の女性を母とする天皇は少なくありませんし、院政期以降も、藤原氏出身の女性を母とする天皇多くいる一方で、源氏出身の女性を母とする天皇も少なくありません。朱雀~後冷泉までのいわゆる摂関政治の時期には藤原氏が皇族と一体化した感もあり、おそらく、この1世紀半弱(藤原氏と皇族との一体化を文徳~後冷泉と考えれば2世紀強)ほどの歴史の印象が強いために、藤原王朝との評価も生まれるのでしょうが、それは妥当ではないだろう、と思います。
そもそも、『日本書記』に政治的性格が強いのは当然として、そこにどれだけの「改竄」を認めるかという問題は、かなりのところ主観的にならざるを得ませんし、ごく少数の人間が都合よく編纂に関与できるのか、という疑問も残ります。さらに、『日本書記』がどれだけ多くの皇族・官人といった支配層に読まれ、その意識を規定したのか、また、そうした効果を編纂者や編纂に強く関与したとされる有力者(たとえば持統や不比等)がどれだけ意図していたのかというと、慎重な検証が必要ではないでしょうか。『日本書記』には政治的性格が強いので、当時の有力者が都合よく改竄したとする本書の論調には、かなりの注意が必要だと思います。さらに、改竄意図の推測に後世の歴史状況を反映させていないかという問題も、後世の人間がつねに自覚すべきでしょう。
このような配慮を欠くと、『日本書記』の背後に編纂者や当時の支配層には思いも寄らなかった「隠された意図」や「陰謀」を多数見出すことになるのでしょう。もちろん本書は、戦後日本にあふれている「在野の研究者」による「古代史解明本」や「古代史真相本」の多くよりは、さすがにかなり水準が高いとは思いますが、きわめて問題が多いことも否定できないと思います。
ここまで本書にかなり否定的な見解を述べてきましたが、聖徳太子否定論について、近年の研究成果を紹介しつつ、改めて総合的に述べている第1章は、さすがに読み応えがあると思います。しかし、この10年間、聖徳太子非実在説にたいして学問的根拠のある反論は皆無だったとの大山氏の見解は、はなはだ疑問です。以前から思っていたのですが、大山氏の聖徳太子非実在説は、先行研究を継承した史料批判には傾聴すべきところが多いものの、聖徳太子を「創造」した人物やその理由など、大山氏独自の見解には説得力に欠けるところがあります。そうした大山氏独自の見解について、大山氏が依拠する史料批判の見直しも含めて、批判は少なくないようで、たとえば以下のブログの記事は、コメント欄も含めて読み応えがあります。
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090103/p1
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