アフリカ南部における前期石器時代~中期石器時代への移行
アフリカ南部における前期石器時代~中期石器時代への移行についての研究(Porat et al., 2010)が公表されました。この研究でおもに取り上げられたのはアフリカ南部のカサパン1遺跡(Kathu Pan 1)で、この遺跡の年代とアフリカを主とした他の遺跡の年代が比較され、前期石器時代~中期石器時代への移行の様相が論じられるとともに、石器技術の変化と人類の進化についても言及されます。固有名詞の読み方には明らかな間違いがあるかもしれませんので、誤りにお気づきの場合は、ご教示いただければ幸いです。
近年の考古学的研究によると、アフリカ南部での現代的行動は中期石器時代の17~16万年前頃にさかのぼり、前期石器時代~中期石器時代への移行の重要性が注目されています。この議論で鍵となるのがフォーレスミス(Fauresmith)文化です。フォーレスミス文化の特徴は、剥片で作られた両面加工の小さな握斧・剥片のスクレーパー・鉈状石器・石刃とされていますが、近年の発掘では、握斧はフォーレスミス文化すべてに必ずしも見られるわけではない、とも指摘されています。このようなフォーレスミス文化は、前期石器時代のアシューリアン(アシュール文化)の特徴と、調整石核技術と系統的石刃生産を伴う中期石器文化の双方の特徴を有している、と指摘されています。
そのためフォーレスミス文化は、後期アシューリアンの変異(後期アシューリアンとフォーレスミス文化との区別は、素材の地域的違いの結果だ、とも示唆されています)、または30万年前頃と考えられている他の類似文化のように、アシューリアンから中期石器文化への移行期文化、あるいは初期中期石器文化と、さまざまな解釈が提示されてきました。こうした混乱の要因になっているのが、フォーレスミス文化の定義と年代が曖昧になっていることです。同じ遺跡において、巨大な両面石器・調整石核・単面ルヴァロワ式ポイントなどが含まれており、フォーレスミス文化とされた層のウラン系列法年代が286000~276000年前とされた一方で、フォーレスミス文化と関連のある石器群がウラン系列法年代で350000年前頃とされると、それがアシューリアンと区分されることもあり、よく定義されたフォーレスミス文化の年代測定が重要となります。
このような状況で注目されるのが南アフリカのカサパン1遺跡で、フォーレスミス文化の含まれる第4a層が、アフリカにおける前期石器時代から中期石器時代への移行の時期と特徴を推定するうえで、豊富な動物骨を伴うという意味でもとくに注目されます。カサパン1遺跡は1978年に発掘が始まり、1980年代を通じて発掘が続けられました。2004年には新たな発掘が行なわれました。下層の7~8mは更新世の堆積層で、上層の3.5~4mは完新世の堆積層です。第1層は約2mの厚さで、後期石器時代の遺物を含みます。第2層は約1.5~1.8mの暑さで、含まれる遺物は後期石器時代に分類されます。第3層は約0.8mの厚さで、中期石器時代の遺物と動物骨を含みます。第4層は1m以上になり、4a層の石器群はフォーレスミス文化と分類されており、4b層は初期アシューリアン石器群を含みます。第5層は最大3.5mに及びます。第3層と第4a層の間には混入の証拠はなく、同様に第4a層と第4b層の間にも混入の証拠はありません。
カサパン1遺跡の各層は、光ルミネッセンス法で年代が測定されました。第2層上部は10000±600年前、第2層下部は16500±1000年前、第3層の堆積物からは291000±45000年前、第4a層は464000±47000年前という年代が得られています。豊富な動物骨を含む第4a層では、ウラン系列法および電子スピン共鳴法でも年代が測定されました。第4a層のシマウマ(Equus capensis、更新世のアフリカ南部にいたシマウマの一種で、12000年前に絶滅しました)の歯が測定され、エナメル質では497000(+182000、-138000)年前、象牙質では608000(+216000、-169000)年前という結果が得られ、その平均は542000(+140000、-107000)年前となります。
アフリカ南部の初期中期石器文化は、小さく幅の広い剥片/石刃、放射状および円盤核の高頻度、石核調整の証拠がほとんどないこと、少なく密に修正されたスクレーパー、修正された尖頭器と両面加工石器の欠如によって特徴づけられます。中期石器時代のカサパン1遺跡第3層から得られた光ルミネッセンス年代は291000±45000年前であり、第4a層というその下に位置するフォーレスミス文化の年代がそれ以前であることを示しています。この年代は、中期石器時代の南アフリカ内陸部のフロリスバッドで得られた、電子スピン共鳴法の279000±47000年(人間と動物の歯)と類似しています。これらの年代は、ザンビアのツイン=リヴァーズ中期石器時代の下部ルーペンバン(Lupemban)の230000(+35000、-28000)年前というウラン系法列年代や、ケニアのマレワゴルゲ(Malewa Gorge)のカリウム-アルゴン法の24万年以上前という年代と近いものです。エチオピアのガデモッタ(Gademotta)およびクルクレッティ(Kulkuletti)層のカリウム-アルゴン法年代は276000±4000年以上前で、中期石器時代をさらにさかのぼらせ、ケニアのカプサリン(Kapthurin)層における、中期石器時代の284000±24000年以上前という年代を確証します。
少なくとも291000±45000年前よりもさかのぼるフォーレスミス文化の年代が、カサパン1遺跡第4a層の、光ルミネッセンス年代測定法とウラン系列法および電子スピン共鳴法年代測定から、464000±47000年前と542000(+140000、-107000)年前と推定されていることは上述しましたが、その上限年代については、第4b層が参考となります。第4b層では絶滅したアフリカ象(Elephas recki)が確認されていますが、このアフリカ象の後期の年代は70~40万年前頃と推定されていて、上記の第4a層の年代にも一定以上の根拠を提供します。
フォーレスミス文化の定義は、曖昧なところが多分に残されています。しかし、年代の推定されたカサパン1遺跡第4a層からの出土物は、系統的な石刃生産を含む調整石核技術と関連し、この文化の位置づけへの根拠となります。フォーレスミス文化は、前期石器時代~中期石器時代への移行的文化であるサンゴアンと同時代だと考えられてきましたが、スーダンのサンゴアンの182000±20000年前という光ルミネッセンス法による年代は、フォーレスミス文化がサンゴアンよりずっと前のものであることを示しています。しかし、ザンビアでの新たなウラン系列法年代が示唆しているのは、少なくともザンビアではサンゴアンは265000年よりも前だろう、ということであり、この年代はサンゴアンをカサパン1遺跡の中期石器時代の年代に接近させます。
年代の推定されたアフリカ南部の後期アシューリアンは稀ですが、南アフリカのデュイネフォンテイン(Duinefontein)の後期アシューリアンは、赤外光ルミネッセンスで292000±55000年と265000±83000年という年代になり、カサパン1遺跡のフォーレスミス文化よりも後となります。そうすると、カサパン1遺跡における調整石核技術の使用は、アシューリアンの終末期より少なくとも20万年前になり、調整石核技術の起源がアシューリアンにある、との見解を支持します。
40万年以上前の石刃と調整石核技術の存在は、アフリカ東部でも確認されます。ケニアのカプサリン層では、アシューリアンの両面加工石器・ルヴァロワ式剥片・尖頭器とともに石刃が発見されており、その年代はアルゴン-アルゴン法により、235000±2000年~284000±12000年と543000年±5000年の間に位置づけられます。このように、アシューリアンから中期石器文化への移行は、カプサリン層においてもおそらくは284000年前よりもさらにさかのぼるでしょう。じっさい、カサプリン層の下層では540000~509000年前の石刃の存在が発表されています。こうしたアフリカ東部の年代とカサパン1遺跡の年代から、石刃と調整石核技術の起源はアシューリアン最終段階のアフリカにあり、解剖学的現代人の出現よりも前のことである、と考えられます。
初期石刃の証拠は、北西ヨーロッパでは酸素同位体ステージ9(339000~303000年前)までさかのぼり、解剖学的現代性が石刃作製の前提条件ではないことのさらなる証拠となります。西アジアでは、石刃は下部旧石器時代後期のアムッディアンで発見されています。アムッディアンの年代は、電子スピン共鳴法年代(歯)によると酸素同位体ステージ7(245000~186000年前)、熱ルミネッセンス法(焼けたフリント)では酸素同位体ステージ9(339000~303000年前)となり、年代には曖昧なところが残ります。
結論として、フォーレスミス文化とサンゴアンは、前期石器時代の終末へと向かうなかで起きた局所的な特殊化の始まりを示す、と断言されます。また、そうした発展は古代型ホモ=サピエンスの出現と関連しているかもしれない、との見解も主張されるかもしれません。しかし、これまで見てきた諸遺跡の年代からは、ホモ属における人類の進化と石器技術の変化の間に関係があるという見解は疑問です。カサパン1遺跡の担い手については、年代の確かなアフリカ南部の人類化石の少なさのために、特定が難しくなっています。その候補としては、共伴動物による推定年代が790000~320000年前となり、ホモ=ハイデルベルゲンシスまたは古代型ホモ=サピエンスとされる、アシューリアン遺跡のエランズフォンテイン(Elandsfontein)人と同じ人類集団や、直接的な電子スピン共鳴法で259000±35000年となり、初期古代型ホモ=サピエンスとされるフロリスバッド(Florisbad)人と同じ人類集団が考えられます。
いずれにしても、カサパン1遺跡第4a層の年代がはっきりと示しているのは、オモ1号の195000±10000年前や、ヘルト人の160000±4000~154000±14000年前という年代からも(いずれもエチオピアで発見された人骨)、石刃作製の出現はアフリカにおける解剖学的現代人の出現よりも前である、ということです。これが示唆しているのは、石刃作製を伴う調整石核技術の出現は人類の現代化の前に生じたのであり、もはや現代的行動の適切な基準ではないかもしれない、ということです。
以上、ざっとこの研究について見てきましたが、サハラ砂漠以南のアフリカにおける前期石器時代~中期石器時代への移行はかなり古い時代までさかのぼり、その始まりは50万年前頃になる可能性もあります。しかも、これまでのアフリカの諸遺跡の年代・石器技術の特徴からして、それはひじょうに緩やかであり、地域的な違いが大きかった可能性もうかがえます。中期石器文化的な特徴がかなり古くから特定の地域で認められても、アフリカの他の地域では、かなり後までアシューリアン的特徴が認められます。たとえば、160000±4000~154000±14000年前のヘルト人と共伴した石器には、アシューリアン的要素も認められました。
これらを考慮すると、石器技術の変化を先進・後進という単純な二分法で区分することや、ネアンデルターレンシスと中部旧石器・サピエンスと上部旧石器といったように(さすがに今では、このような単純な関連を主張する専門家はいませんが)、石器技術の変化と生物としての進化とを安易に関連させることへのためらいが生じます。当然のことながら、人間の文化は遺伝子の変異を前提としているのですが、個々の文化の変化については、新たな遺伝子の(変異による)獲得という場合よりも、そうした文化の変化以前に獲得した遺伝子群(とそれに伴い発現した形質)を、環境変化などによりそれまでとは違ったことに適用した結果である場合のほうが、おそらくは多いのでしょう。石器技術の変化については、時代が進むにつれて技術が「進歩」すると単純に考えるのではなく、環境への適応などさまざまな観点から考察されるべきなのでしょう。もちろんこの提言は、現在の専門家を対象としているわけではなく、自戒の念も含めて私のような専門家ではない人間を対象にしているわけですが。
またこの研究は、現代的行動の定義の見直しにもつながりそうです。石刃作製は長らく現代的行動の指標の一つとされてきましたが、石刃の起源が解剖学的現代人の出現よりずっと前にあることは、20世紀後半以降、しだいに有力な見解になってきました。もちろん、この研究で指摘されたような前期~中期石器時代の石刃と、ヨーロッパや西アジアの上部旧石器時代の石刃との間に決定的な違いがある可能性も考えられますので、この問題については今後も検証が必要でしょう。ただ、これまでの証拠から考えて、石刃を現代的行動の要素の一つとして、真の意味でのホモ=サピエンス(行動学的現代人)にのみ可能だったとの見解は、おそらく葬り去られる可能性が高いだろう、と思います。
他の現代的行動にしても、シャテルペロニアン(シャテルペロン文化)や装飾品などの例
https://sicambre.seesaa.net/article/201001article_14.html
から考えて、行動学的現代人のみならず、ネアンデルタール人にも認められるものが少なからずあります。そうすると、これまで現代的行動と考えられてきたもののなかには、その起源がかなりさかのぼるものもあるかもしれません。なぜならば、行動学的現代人とネアンデルタール人が独自にそれらの行動を可能とする遺伝子を獲得したという可能性よりも、両者の共通祖先の時点で、そうした遺伝子が備わっていた可能性のほうがはるかに高いからです。じっさい、レヴァントの遺跡からは、そうした可能性を示唆する痕跡が発見されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200912article_20.html
おそらく、認識能力の点で現代人を他の人類と区別しているものは何なのかという問題は、今後も検証が必要であり続けるのでしょう。これは証明の難しい問題ですが、ネアンデルタール人と現代人との遺伝子比較が重要な手がかりになりそうです。もちろん、ネアンデルタール人のゲノム解読が完了しても、認識能力と諸遺伝子との関係がかなりのていど明らかにならないと、この問題の解決の見通しは立たないでしょうが、いつかはあるていど解決されるのではないか、と期待しています。その結果、現代人とネアンデルタール人との間にどのような認識能力の違いがあるのかはっきりするでしょうが、あるいは、ネアンデルタール人と現代人との間には決定的な認識能力の違いはない、という多くの人にとって意外な結果になるかもしれません。
かつては、アフリカの中期石器時代の始まりとヨーロッパの中部旧石器時代の終わりが同じ頃だと考えられており、アフリカはホモ=サピエンス(現生人類)にとってどうでもよい幼稚園時代だ、と述べる大物研究者もいました(Shreeve.,1996,P261)。その頃と比較すると、人類史におけるアフリカの位置づけは大きく異なっています。これは、アフリカにおける研究の進展によるのですが、それでもなお、アフリカにおける更新世の人類についての研究が、ヨーロッパや西アジアと比較すると大きく遅れていることは否定できません。その意味で、今後もアフリカでは、人類史の通説を覆すような発見が続くのでしょう。
参考文献:
Porat N. et al.(2010): New radiometric ages for the Fauresmith industry from Kathu Pan, southern Africa: Implications for the Earlier to Middle Stone Age transition. Journal of Archaeological Science, 37, 2, 269-283.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jas.2009.09.038
Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)
近年の考古学的研究によると、アフリカ南部での現代的行動は中期石器時代の17~16万年前頃にさかのぼり、前期石器時代~中期石器時代への移行の重要性が注目されています。この議論で鍵となるのがフォーレスミス(Fauresmith)文化です。フォーレスミス文化の特徴は、剥片で作られた両面加工の小さな握斧・剥片のスクレーパー・鉈状石器・石刃とされていますが、近年の発掘では、握斧はフォーレスミス文化すべてに必ずしも見られるわけではない、とも指摘されています。このようなフォーレスミス文化は、前期石器時代のアシューリアン(アシュール文化)の特徴と、調整石核技術と系統的石刃生産を伴う中期石器文化の双方の特徴を有している、と指摘されています。
そのためフォーレスミス文化は、後期アシューリアンの変異(後期アシューリアンとフォーレスミス文化との区別は、素材の地域的違いの結果だ、とも示唆されています)、または30万年前頃と考えられている他の類似文化のように、アシューリアンから中期石器文化への移行期文化、あるいは初期中期石器文化と、さまざまな解釈が提示されてきました。こうした混乱の要因になっているのが、フォーレスミス文化の定義と年代が曖昧になっていることです。同じ遺跡において、巨大な両面石器・調整石核・単面ルヴァロワ式ポイントなどが含まれており、フォーレスミス文化とされた層のウラン系列法年代が286000~276000年前とされた一方で、フォーレスミス文化と関連のある石器群がウラン系列法年代で350000年前頃とされると、それがアシューリアンと区分されることもあり、よく定義されたフォーレスミス文化の年代測定が重要となります。
このような状況で注目されるのが南アフリカのカサパン1遺跡で、フォーレスミス文化の含まれる第4a層が、アフリカにおける前期石器時代から中期石器時代への移行の時期と特徴を推定するうえで、豊富な動物骨を伴うという意味でもとくに注目されます。カサパン1遺跡は1978年に発掘が始まり、1980年代を通じて発掘が続けられました。2004年には新たな発掘が行なわれました。下層の7~8mは更新世の堆積層で、上層の3.5~4mは完新世の堆積層です。第1層は約2mの厚さで、後期石器時代の遺物を含みます。第2層は約1.5~1.8mの暑さで、含まれる遺物は後期石器時代に分類されます。第3層は約0.8mの厚さで、中期石器時代の遺物と動物骨を含みます。第4層は1m以上になり、4a層の石器群はフォーレスミス文化と分類されており、4b層は初期アシューリアン石器群を含みます。第5層は最大3.5mに及びます。第3層と第4a層の間には混入の証拠はなく、同様に第4a層と第4b層の間にも混入の証拠はありません。
カサパン1遺跡の各層は、光ルミネッセンス法で年代が測定されました。第2層上部は10000±600年前、第2層下部は16500±1000年前、第3層の堆積物からは291000±45000年前、第4a層は464000±47000年前という年代が得られています。豊富な動物骨を含む第4a層では、ウラン系列法および電子スピン共鳴法でも年代が測定されました。第4a層のシマウマ(Equus capensis、更新世のアフリカ南部にいたシマウマの一種で、12000年前に絶滅しました)の歯が測定され、エナメル質では497000(+182000、-138000)年前、象牙質では608000(+216000、-169000)年前という結果が得られ、その平均は542000(+140000、-107000)年前となります。
アフリカ南部の初期中期石器文化は、小さく幅の広い剥片/石刃、放射状および円盤核の高頻度、石核調整の証拠がほとんどないこと、少なく密に修正されたスクレーパー、修正された尖頭器と両面加工石器の欠如によって特徴づけられます。中期石器時代のカサパン1遺跡第3層から得られた光ルミネッセンス年代は291000±45000年前であり、第4a層というその下に位置するフォーレスミス文化の年代がそれ以前であることを示しています。この年代は、中期石器時代の南アフリカ内陸部のフロリスバッドで得られた、電子スピン共鳴法の279000±47000年(人間と動物の歯)と類似しています。これらの年代は、ザンビアのツイン=リヴァーズ中期石器時代の下部ルーペンバン(Lupemban)の230000(+35000、-28000)年前というウラン系法列年代や、ケニアのマレワゴルゲ(Malewa Gorge)のカリウム-アルゴン法の24万年以上前という年代と近いものです。エチオピアのガデモッタ(Gademotta)およびクルクレッティ(Kulkuletti)層のカリウム-アルゴン法年代は276000±4000年以上前で、中期石器時代をさらにさかのぼらせ、ケニアのカプサリン(Kapthurin)層における、中期石器時代の284000±24000年以上前という年代を確証します。
少なくとも291000±45000年前よりもさかのぼるフォーレスミス文化の年代が、カサパン1遺跡第4a層の、光ルミネッセンス年代測定法とウラン系列法および電子スピン共鳴法年代測定から、464000±47000年前と542000(+140000、-107000)年前と推定されていることは上述しましたが、その上限年代については、第4b層が参考となります。第4b層では絶滅したアフリカ象(Elephas recki)が確認されていますが、このアフリカ象の後期の年代は70~40万年前頃と推定されていて、上記の第4a層の年代にも一定以上の根拠を提供します。
フォーレスミス文化の定義は、曖昧なところが多分に残されています。しかし、年代の推定されたカサパン1遺跡第4a層からの出土物は、系統的な石刃生産を含む調整石核技術と関連し、この文化の位置づけへの根拠となります。フォーレスミス文化は、前期石器時代~中期石器時代への移行的文化であるサンゴアンと同時代だと考えられてきましたが、スーダンのサンゴアンの182000±20000年前という光ルミネッセンス法による年代は、フォーレスミス文化がサンゴアンよりずっと前のものであることを示しています。しかし、ザンビアでの新たなウラン系列法年代が示唆しているのは、少なくともザンビアではサンゴアンは265000年よりも前だろう、ということであり、この年代はサンゴアンをカサパン1遺跡の中期石器時代の年代に接近させます。
年代の推定されたアフリカ南部の後期アシューリアンは稀ですが、南アフリカのデュイネフォンテイン(Duinefontein)の後期アシューリアンは、赤外光ルミネッセンスで292000±55000年と265000±83000年という年代になり、カサパン1遺跡のフォーレスミス文化よりも後となります。そうすると、カサパン1遺跡における調整石核技術の使用は、アシューリアンの終末期より少なくとも20万年前になり、調整石核技術の起源がアシューリアンにある、との見解を支持します。
40万年以上前の石刃と調整石核技術の存在は、アフリカ東部でも確認されます。ケニアのカプサリン層では、アシューリアンの両面加工石器・ルヴァロワ式剥片・尖頭器とともに石刃が発見されており、その年代はアルゴン-アルゴン法により、235000±2000年~284000±12000年と543000年±5000年の間に位置づけられます。このように、アシューリアンから中期石器文化への移行は、カプサリン層においてもおそらくは284000年前よりもさらにさかのぼるでしょう。じっさい、カサプリン層の下層では540000~509000年前の石刃の存在が発表されています。こうしたアフリカ東部の年代とカサパン1遺跡の年代から、石刃と調整石核技術の起源はアシューリアン最終段階のアフリカにあり、解剖学的現代人の出現よりも前のことである、と考えられます。
初期石刃の証拠は、北西ヨーロッパでは酸素同位体ステージ9(339000~303000年前)までさかのぼり、解剖学的現代性が石刃作製の前提条件ではないことのさらなる証拠となります。西アジアでは、石刃は下部旧石器時代後期のアムッディアンで発見されています。アムッディアンの年代は、電子スピン共鳴法年代(歯)によると酸素同位体ステージ7(245000~186000年前)、熱ルミネッセンス法(焼けたフリント)では酸素同位体ステージ9(339000~303000年前)となり、年代には曖昧なところが残ります。
結論として、フォーレスミス文化とサンゴアンは、前期石器時代の終末へと向かうなかで起きた局所的な特殊化の始まりを示す、と断言されます。また、そうした発展は古代型ホモ=サピエンスの出現と関連しているかもしれない、との見解も主張されるかもしれません。しかし、これまで見てきた諸遺跡の年代からは、ホモ属における人類の進化と石器技術の変化の間に関係があるという見解は疑問です。カサパン1遺跡の担い手については、年代の確かなアフリカ南部の人類化石の少なさのために、特定が難しくなっています。その候補としては、共伴動物による推定年代が790000~320000年前となり、ホモ=ハイデルベルゲンシスまたは古代型ホモ=サピエンスとされる、アシューリアン遺跡のエランズフォンテイン(Elandsfontein)人と同じ人類集団や、直接的な電子スピン共鳴法で259000±35000年となり、初期古代型ホモ=サピエンスとされるフロリスバッド(Florisbad)人と同じ人類集団が考えられます。
いずれにしても、カサパン1遺跡第4a層の年代がはっきりと示しているのは、オモ1号の195000±10000年前や、ヘルト人の160000±4000~154000±14000年前という年代からも(いずれもエチオピアで発見された人骨)、石刃作製の出現はアフリカにおける解剖学的現代人の出現よりも前である、ということです。これが示唆しているのは、石刃作製を伴う調整石核技術の出現は人類の現代化の前に生じたのであり、もはや現代的行動の適切な基準ではないかもしれない、ということです。
以上、ざっとこの研究について見てきましたが、サハラ砂漠以南のアフリカにおける前期石器時代~中期石器時代への移行はかなり古い時代までさかのぼり、その始まりは50万年前頃になる可能性もあります。しかも、これまでのアフリカの諸遺跡の年代・石器技術の特徴からして、それはひじょうに緩やかであり、地域的な違いが大きかった可能性もうかがえます。中期石器文化的な特徴がかなり古くから特定の地域で認められても、アフリカの他の地域では、かなり後までアシューリアン的特徴が認められます。たとえば、160000±4000~154000±14000年前のヘルト人と共伴した石器には、アシューリアン的要素も認められました。
これらを考慮すると、石器技術の変化を先進・後進という単純な二分法で区分することや、ネアンデルターレンシスと中部旧石器・サピエンスと上部旧石器といったように(さすがに今では、このような単純な関連を主張する専門家はいませんが)、石器技術の変化と生物としての進化とを安易に関連させることへのためらいが生じます。当然のことながら、人間の文化は遺伝子の変異を前提としているのですが、個々の文化の変化については、新たな遺伝子の(変異による)獲得という場合よりも、そうした文化の変化以前に獲得した遺伝子群(とそれに伴い発現した形質)を、環境変化などによりそれまでとは違ったことに適用した結果である場合のほうが、おそらくは多いのでしょう。石器技術の変化については、時代が進むにつれて技術が「進歩」すると単純に考えるのではなく、環境への適応などさまざまな観点から考察されるべきなのでしょう。もちろんこの提言は、現在の専門家を対象としているわけではなく、自戒の念も含めて私のような専門家ではない人間を対象にしているわけですが。
またこの研究は、現代的行動の定義の見直しにもつながりそうです。石刃作製は長らく現代的行動の指標の一つとされてきましたが、石刃の起源が解剖学的現代人の出現よりずっと前にあることは、20世紀後半以降、しだいに有力な見解になってきました。もちろん、この研究で指摘されたような前期~中期石器時代の石刃と、ヨーロッパや西アジアの上部旧石器時代の石刃との間に決定的な違いがある可能性も考えられますので、この問題については今後も検証が必要でしょう。ただ、これまでの証拠から考えて、石刃を現代的行動の要素の一つとして、真の意味でのホモ=サピエンス(行動学的現代人)にのみ可能だったとの見解は、おそらく葬り去られる可能性が高いだろう、と思います。
他の現代的行動にしても、シャテルペロニアン(シャテルペロン文化)や装飾品などの例
https://sicambre.seesaa.net/article/201001article_14.html
から考えて、行動学的現代人のみならず、ネアンデルタール人にも認められるものが少なからずあります。そうすると、これまで現代的行動と考えられてきたもののなかには、その起源がかなりさかのぼるものもあるかもしれません。なぜならば、行動学的現代人とネアンデルタール人が独自にそれらの行動を可能とする遺伝子を獲得したという可能性よりも、両者の共通祖先の時点で、そうした遺伝子が備わっていた可能性のほうがはるかに高いからです。じっさい、レヴァントの遺跡からは、そうした可能性を示唆する痕跡が発見されています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200912article_20.html
おそらく、認識能力の点で現代人を他の人類と区別しているものは何なのかという問題は、今後も検証が必要であり続けるのでしょう。これは証明の難しい問題ですが、ネアンデルタール人と現代人との遺伝子比較が重要な手がかりになりそうです。もちろん、ネアンデルタール人のゲノム解読が完了しても、認識能力と諸遺伝子との関係がかなりのていど明らかにならないと、この問題の解決の見通しは立たないでしょうが、いつかはあるていど解決されるのではないか、と期待しています。その結果、現代人とネアンデルタール人との間にどのような認識能力の違いがあるのかはっきりするでしょうが、あるいは、ネアンデルタール人と現代人との間には決定的な認識能力の違いはない、という多くの人にとって意外な結果になるかもしれません。
かつては、アフリカの中期石器時代の始まりとヨーロッパの中部旧石器時代の終わりが同じ頃だと考えられており、アフリカはホモ=サピエンス(現生人類)にとってどうでもよい幼稚園時代だ、と述べる大物研究者もいました(Shreeve.,1996,P261)。その頃と比較すると、人類史におけるアフリカの位置づけは大きく異なっています。これは、アフリカにおける研究の進展によるのですが、それでもなお、アフリカにおける更新世の人類についての研究が、ヨーロッパや西アジアと比較すると大きく遅れていることは否定できません。その意味で、今後もアフリカでは、人類史の通説を覆すような発見が続くのでしょう。
参考文献:
Porat N. et al.(2010): New radiometric ages for the Fauresmith industry from Kathu Pan, southern Africa: Implications for the Earlier to Middle Stone Age transition. Journal of Archaeological Science, 37, 2, 269-283.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jas.2009.09.038
Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)
この記事へのコメント
とはいっても、その日は休めそうにないので参加できませんし、たとえ休みでも、定員28人では、専門家ではない者として気楽に参加というわけにはいきませんね。
モアイ像の件については、改めて録画を見てみましたが、伝承との一致を意識しすぎな感もあります。