ネアンデルタール人作製の貝殻の装飾品

 ネアンデルタール人が作製した貝殻の装飾品についての研究(Zilhão et al., 2010)が報道されました。オンライン版での先行公開となります。この研究では、スペイン南東部の中部旧石器時代の2つの遺跡で発見された貝殻と顔料が分析されました。貝殻には穴が開けられており、そのなかには、顔料が塗装されたものもありました。顔料は、赤鉄鉱・硫化鉄鉱・鱗鉄鉱など鉱物性のものです。貝殻は装飾品として用いられ、顔料は身体の装飾としても用いられた、と考えられます。年代は5万年前頃とされており、要約を読んだかぎりでは人骨の共伴はないようですが、5万年前頃のイベリア半島南東部の中部旧石器遺跡となると、ネアンデルタール人の所産である可能性がきわめて高いでしょう。顔料や装飾品の使用は、現代的行動を示唆する証拠とされています。この研究では、象徴性出現の要因として、じゅうらい言われてきたような遺伝的変化とそれに伴う認識の変化よりも、人口・社会面の変化が有力になった、と指摘されています。

 現代的行動の要素の一つとして、象徴的思考とそれに伴う行動が挙げられます。この研究で報告されたような装飾品は、象徴的思考の考古学的指標とされていて、ながらく現生人類特有の精神活動とされてきました。しかも、すべての現生人類に象徴的思考能力が備わっていたわけではなく、5万年前頃に現生人類の神経系に突然変異が生じ、それ以降の現生人類(ホモ=サピエンス)にのみ備わっていたのだとする神経学仮説が、現生人類のアフリカ単一起源説が優勢になるにつれて、有力な見解とされた時期もありました。この見解では、現生人類は解剖学的現代人と行動学的現代人とに区別され、後者こそが現代に生きる我々も属す真のホモ=サピエンスとされます。

 この見解が支持されたおもな理由の一つに、ネアンデルタール人の絶滅を説明しやすかったことが挙げられます。生存競争に有利な現代的行動は行動学的現代人にのみ可能だったので、解剖学的現代人の頃には、たとえばレヴァントでネアンデルタール人と長らく共存しており、ネアンデルタール人の南下により現生人類が後退したこともあった(この解釈には疑問が残りますが、今は措いておきます)のに、行動学的現代人は、直接手を下したことは皆無に近かったとしても、ついにネアンデルタール人を絶滅に追いやった、というわけです。現生人類アフリカ単一起源説が優勢になるにつれて、ネアンデルタール人の絶滅理由を説明しやすいということもあって、現生人類とネアンデルタール人との違いを強調する見解が浸透していきました。現代的行動の有無は、両者の違いのもっとも重要なものとされたわけです。

 ところが、1990年代後半以降、次第にネアンデルタール人「復権」の動きが出てきて、近年では、一時期と比較して、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を指摘する見解が盛んになってきているように思います。そうした傾向の根拠となったのが、現代的行動の認められるシャテルペロニアン(シャテルペロン文化)がネアンデルタール人の所産と認められるようになったことです。ただ、シャテルペロニアンについては、ネアンデルタール人が意味も分からずたんに現生人類の模倣をしただけ、との解釈が成り立たないわけではありません。それにたいして、シャテルペロニアンが現生人類の模倣や刺激を受けてのことではなく、ネアンデルタール人独自の所産である可能性も指摘されています。

 こうしたなかで、おそらくは現生人類と接触のなかったであろう、5万年前頃のイベリア半島のネアンデルタール人の所産である貝殻の装飾品の発見は、もし遺物の解釈や年代や製作者に間違いがなければ、ネアンデルタール人にも象徴的思考能力があり、独自に現代的行動を開花させたことの確実な証拠となるだろうという意味で、きわめて重要だと言えるでしょう。シャテルペロニアンの「現代的行動」を示す遺物も、全てではないかもしれませんが、ネアンデルタール人の独自の所産である可能性が高くなった、と言えるでしょう。

 もちろん、ネアンデルタール人と現生人類との分岐年代は80~40万年前頃の間になるでしょうから、その後の遺伝的変異の違いを考えると、ネアンデルタール人と現生人類との象徴的思考能力にはなんらかの違いがあった可能性が高いでしょう。その意味で、この貝殻の装飾品と顔料の発見は、ネアンデルタール人にも一定水準以上の象徴的思考能力が存在したことを決定的にしたとは言えても、ネアンデルタール人が現生人類と同じ知的能力を有していたことの証明になるわけではなく、ネアンデルタール人と現生人類との知的能力の違いに、ネアンデルタール人の絶滅理由を見出す見解が退けられるわけではありません。とはいえ、ネアンデルタール人と現生人類との類似性の重要な証拠が発見されたのですから、その意義は大きいと思います。


参考文献:
Zilhão J. et al.(2010): Symbolic use of marine shells and mineral pigments by Iberian Neandertals. PNAS, 107, 3, 1023-1028.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0914088107

この記事へのコメント

Ganesa
2010年01月17日 20:14
いつも為になる記事を拝見させて頂いてまして、ありがとうございます。
m(_ _)m
「象徴的思考能力」をこういう行動の結果としての遺物から推測していくのは大変な作業でしょうね。
ヒトが象徴的思考を獲得したのは何時か?なぜ獲得できたのか?なぜ他の種は獲得できなかった(しなかった?)のか?そもそも「象徴的思考」とは何か?
・・・と一人で勝手に妄想を膨らましています。
こんな勝手な奴ですが、今後も度々立ち寄らせて下さい。
m(_ _)m
2010年01月17日 23:55
仰るような、根源的なところから考えていくと、なかなか難しい問題ですね。

この問題については、現代的行動の起源という問題とも関連して、最近色々と考えています。

こうした能力を可能とする遺伝子の(突然変異による)獲得は、それが考古学的指標として現れるよりもずいぶんと前のことではないだろうか、など、私も色々と妄想する日々を送っています。

この記事へのトラックバック