大河ドラマ『風と雲と虹と』第20回「良子掠奪」
昼間に言い寄っていた侍女を密かに訪ねようとして、深い霧のために間違って良子の寝所に入ってしまった源扶は、良子を抱き寄せようとしますが、良子は声を挙げて侍女を呼び寄せます。扶は、姉の命により良子と政略結婚することになったが、あなたを知った今はあなたが欲しいのだ、と上手く言いくるめ、良子は扶に嫌悪感をもたず、むしろやや好意を抱くようになります。扶に誰か好きな人がいるのか、と訊かれた良子は、将門のことを想ったようですが、扶の前では将門の名前は出しませんでした。良子は、扶にやや好意的になったとはいえ、扶との結婚に確信を持ったわけではありません。
一方、桔梗に誘われて桔梗の家を訪れ、近くの民人とともに楽しい時を過ごしていた将門は、桔梗から告白されるものの、桔梗と関係を結ぼうとはしません。桔梗は悲しみに耐えながら、誰か好きな人がいるのか、と将門に尋ねます。さらに桔梗は、その人をなぜ迎えないのだ、と将門に尋ねますが、その人はもう他の人のものになるのだ、と答えます。すると桔梗は、将門は臆病だ、欲しければとればいいのだ、と将門に言って立ち去ります。この桔梗の言葉は、将門を想う自身にも向けられているのでしょう。
承平4年(934年)の冬、桔梗は希望通り将門の館で勤めることになり、小春丸という若者も同時期に将門に仕えることになります。小春丸から扶と良子との婚儀が翌年2月に行なわれると聞いた将門は、心中穏やかではありません。年が明けて承平5年の正月、将門は館に住む人々を集めて祝いの席を設けました。その場で将門は、扶と良子との婚儀が2月7日に源護の館で行なわれる、と小春丸から聞きます。扶と良子との婚儀が3日後に近づいた2月4日、将門は良子を奪う決意をします。
将門は都にも連れて行った股肱の臣とも言うべき伊和員経のみを連れて、扶に嫁ぐべく源護の館へと向かう良子の一行を襲い、良子を連れ去ります。将門が良子を連行していくときの合成映像はなんともみすぼらしいというか不自然で、当時の水準では仕方のないところもあるのでしょうが、総合的にはこれまでのところ素晴らしい作品だけに、特殊撮影でもう少しなんとかならなかったものか、と残念ではなりません。将門は、鹿島玄明や螻蛄婆らの助けもあり(将門は気づいていませんが)、良子を連れて無事に自邸に帰還します。
館では、将門の弟の将頼が、この将門の暴挙に憤り、将門を詰問します。将門は母の正子のみを別室に呼び、二人だけで話をしますが、厳しい口調ではないものの、正子も将門の暴挙を責めます。すると将門は、正子の言葉には耳を傾けず、今宵良子と祝言を挙げる、と言って泣きだします。良子の気持ちはどうなのだ、と問う正子にたいして、良子の気持ちは関係ない、と将門は答えます。すると正子は、女は弱いが一旦心に決めたらこれほど強いものはない、と言います。貴子のことを想った将門には、正子の言葉が信じられません。
正子は良子に会い、一族の関係が良好だった時代のことを涙ながらに語り、良子も泣き出します。正子は、将門は良子を好きなのだ、と言いますが、ではなぜ父の良兼に自分をもらいたいと将門は言わなかったのだ、自分が扶に嫁ぐと決まってから欲しくなるなんて卑しい、と反論し、正子の言葉を信じようとはしません。正子は、菅原景行を通して将門が良兼に良子との結婚を申し込んだことを話し、はじめてそのことを知った良子は、将門との結婚を決意します。
その間、将門は将頼にこの暴挙を責められますが、母の正子と話し合った結果、良子の気持ちを考えなかった、と我が身を恥じ、結婚するか否かは良子の気持ち次第だ、と言います。将頼は、なぜ短慮を起こしたのか、となおも将門を責め立てます。そこへ正子と良兼が現れ、将門の妻になる、と良子は言います。さらに良子は、子供の頃から将門が好きだった、と告白します。心配していた将頼や家臣たちも喜び、その夜、将門と良子の祝言が行なわれ、玄明・螻蛄婆・民人もかけつけ、この結婚を祝います。
翌日、良兼のもとに、良子が拉致されたとの知らせが届きます。良兼は、すぐに将門の仕業だと気づきますが、朝廷の評価が気になり、すぐに兵を起こして豊田の将門の館に攻め込もうとはしません。すると、良兼の妻の詮子が良兼を臆病だと罵倒し、詮子に惚れ込んでいる良兼は、詮子によいところを見せようとして、ただちに兵の動員を命じます。こうして、ついに本格的な争乱が始まることになります。これまで、この作品の脚本を絶賛してきましたが、将門が良子を連行するという話は、これまでの将門の人物造形からは違和感の残るところです。将門と良子が互いに好意を抱いていることは明らかでしたから、この二人が結ばれることを争乱の直接的な契機に結びつける、という話の展開は不自然ではありませんが、もっと別の描き方もあったのではないか、と思います。とはいえ、作品の評価を大きく下げるほどの違和感ではありませんでした。
一方、桔梗に誘われて桔梗の家を訪れ、近くの民人とともに楽しい時を過ごしていた将門は、桔梗から告白されるものの、桔梗と関係を結ぼうとはしません。桔梗は悲しみに耐えながら、誰か好きな人がいるのか、と将門に尋ねます。さらに桔梗は、その人をなぜ迎えないのだ、と将門に尋ねますが、その人はもう他の人のものになるのだ、と答えます。すると桔梗は、将門は臆病だ、欲しければとればいいのだ、と将門に言って立ち去ります。この桔梗の言葉は、将門を想う自身にも向けられているのでしょう。
承平4年(934年)の冬、桔梗は希望通り将門の館で勤めることになり、小春丸という若者も同時期に将門に仕えることになります。小春丸から扶と良子との婚儀が翌年2月に行なわれると聞いた将門は、心中穏やかではありません。年が明けて承平5年の正月、将門は館に住む人々を集めて祝いの席を設けました。その場で将門は、扶と良子との婚儀が2月7日に源護の館で行なわれる、と小春丸から聞きます。扶と良子との婚儀が3日後に近づいた2月4日、将門は良子を奪う決意をします。
将門は都にも連れて行った股肱の臣とも言うべき伊和員経のみを連れて、扶に嫁ぐべく源護の館へと向かう良子の一行を襲い、良子を連れ去ります。将門が良子を連行していくときの合成映像はなんともみすぼらしいというか不自然で、当時の水準では仕方のないところもあるのでしょうが、総合的にはこれまでのところ素晴らしい作品だけに、特殊撮影でもう少しなんとかならなかったものか、と残念ではなりません。将門は、鹿島玄明や螻蛄婆らの助けもあり(将門は気づいていませんが)、良子を連れて無事に自邸に帰還します。
館では、将門の弟の将頼が、この将門の暴挙に憤り、将門を詰問します。将門は母の正子のみを別室に呼び、二人だけで話をしますが、厳しい口調ではないものの、正子も将門の暴挙を責めます。すると将門は、正子の言葉には耳を傾けず、今宵良子と祝言を挙げる、と言って泣きだします。良子の気持ちはどうなのだ、と問う正子にたいして、良子の気持ちは関係ない、と将門は答えます。すると正子は、女は弱いが一旦心に決めたらこれほど強いものはない、と言います。貴子のことを想った将門には、正子の言葉が信じられません。
正子は良子に会い、一族の関係が良好だった時代のことを涙ながらに語り、良子も泣き出します。正子は、将門は良子を好きなのだ、と言いますが、ではなぜ父の良兼に自分をもらいたいと将門は言わなかったのだ、自分が扶に嫁ぐと決まってから欲しくなるなんて卑しい、と反論し、正子の言葉を信じようとはしません。正子は、菅原景行を通して将門が良兼に良子との結婚を申し込んだことを話し、はじめてそのことを知った良子は、将門との結婚を決意します。
その間、将門は将頼にこの暴挙を責められますが、母の正子と話し合った結果、良子の気持ちを考えなかった、と我が身を恥じ、結婚するか否かは良子の気持ち次第だ、と言います。将頼は、なぜ短慮を起こしたのか、となおも将門を責め立てます。そこへ正子と良兼が現れ、将門の妻になる、と良子は言います。さらに良子は、子供の頃から将門が好きだった、と告白します。心配していた将頼や家臣たちも喜び、その夜、将門と良子の祝言が行なわれ、玄明・螻蛄婆・民人もかけつけ、この結婚を祝います。
翌日、良兼のもとに、良子が拉致されたとの知らせが届きます。良兼は、すぐに将門の仕業だと気づきますが、朝廷の評価が気になり、すぐに兵を起こして豊田の将門の館に攻め込もうとはしません。すると、良兼の妻の詮子が良兼を臆病だと罵倒し、詮子に惚れ込んでいる良兼は、詮子によいところを見せようとして、ただちに兵の動員を命じます。こうして、ついに本格的な争乱が始まることになります。これまで、この作品の脚本を絶賛してきましたが、将門が良子を連行するという話は、これまでの将門の人物造形からは違和感の残るところです。将門と良子が互いに好意を抱いていることは明らかでしたから、この二人が結ばれることを争乱の直接的な契機に結びつける、という話の展開は不自然ではありませんが、もっと別の描き方もあったのではないか、と思います。とはいえ、作品の評価を大きく下げるほどの違和感ではありませんでした。
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