本田美奈子さんの想い出

 本田美奈子さんが亡くなってから4年以上経過しましたが、本田さんについては強烈に印象に残っていることがあります。私は東京都に住んでいながら、有名人を生で見たことがほとんどないのですが、本田さんは生で見たことのある数少ない有名人の一人です。とはいっても、間近で見たというわけではなく、ステージ上で話したり歌ったりする姿を、やや離れた場所から一度見ただけにすぎません。

 私は本田さんのファンというわけでもなかったので、本田さん見るのが目的ではなく、東京競馬場に行って天皇賞(秋)後のイベントに参加したら、本田さんの歌を生で聴く機会に遭遇した、というわけです。それが1996年と1997年のどちらのことだったか、正確に覚えているわけではありませんが、本田さんの発言は強烈に印象に残っています。そのイベントの司会は関西テレビアナウンサーの杉本清さんとフジテレビアナウンサーの福原直英さんで、天皇賞(秋)後のイベントに相応しい人選でしたが、本田さんがゲストとして呼ばれた理由は、当事も今もよく分かりません。

 東京競馬場での天皇賞(秋)後のイベントということで、参加したのは基本的に私のような競馬ファンばかりであり、本田さん目当てで参加した人が皆無に近かったからなのでしょうが、本田さんが歌ってもまったく盛り上がらず、少々気の毒に思ったものです。その歌は、後述する福原さんの発言から推測すると、本田さんの持ち歌のなかでもかなり知名度が高いものだったようなのですが、ファンではない私はその歌を知らなかったので、今となってはどの歌だったのか、さっぱり分かりません。

 当然のことながら、自分が歌ってもまったく盛り上がっていないことは本田さんにもよく分かるわけで、歌い終わった後に、「やっぱりテレビに出なきゃだめかな」と寂しげにつぶやいたことが強烈に印象に残っています。その後、「でも、今度テレビに出るんだ」と本田さんが発言したようにも記憶しているのですが、こちらの記憶は曖昧で、あまり自信はありません。この本田さんのつぶやきを聞いてなんともいたたまれない気持ちになり、盛り上げてあげればよかった、と後悔したものですが、私は今も昔も、参加者が白けきっているなかで、一人だけ騒げるほど勇気のある人間ではなく、罪悪感を抱いて帰宅したことを覚えています。

 本田さんと競馬との関係はよく分かりませんが、日本中央競馬会は安易に芸能人を呼ぶことが多く、本田さんは場違いな舞台で晒し者になった印象を受け、なんとも気の毒なことだ、と当時は思ったものです。このイベントで、バラエティー番組で話題になったナリタブラリアンというポニーのことが話題になり、的場均騎手(現調教師)が、以前ナリタブラリアンとよく似た名前のナリタブライアンという名前の馬に天皇賞で乗り、1番人気になったけど惨敗してしまい(1995年)、皆様にご迷惑をおかけしました、と発言したところ、いやそれは的場さんの所為ではありませんよ、ナリタブライアンがそう言っていましたよ、と杉本さんが言い、調教師批判になるのかなと期待したところ、そこで話が終わってしまい、なんとも残念でした。このイベントに集まっていた人は、このような話を聞きたかったのであり、安易に芸能人を呼ぶ中央競馬会の姿勢には疑問が残るところです。

 司会の福原さんは、久々に●●(上述したように、曲名を思い出せません)を聴きました、やはり迫力がありますねぇ、といった感じでその場を取り繕っていましたが、これがよけいに悲惨な雰囲気を強調してしまったようにも思います。この一件の後、本田さんについては可哀想な芸能人との印象が拭えず、若くして病に斃れたことにより、その印象は決定的になってしまいました。もちろん、じっさいには本田さんはそんな可哀想な芸能人ではなく、ミュージカルなどでひじょうに高い評価を得ており、素質の高さもあるのでしょうが、たいへんな努力家でもあったのでしょう。しかも、容貌にも恵まれた人でした(もちろん、これも努力なくして維持できないでしょうが)。

 ただ、それだけ優れた才能と容貌の持ち主だった本田さんにしても、生前にはそれに相応しい評価を得ていたかというと、そうではなかったようにも思います。もちろん、才能と容貌に恵まれれば芸能界で必ずスターになれるというわけでもないでしょうが、死後に追討番組などで絶賛するくらいなら、その半分でもよいから生前に褒め称えておけばよいのに、と思う例に遭遇することはさほど珍しくありません。もっとも、冷ややかな目で見ている人にとっては、悲劇的な死を迎えた人は、死後に美化されて過大評価されるものだ、ということなのかもしれません。ただ、本田さんの場合は、死後にきょくたんに過大評価されているわけではなく、生前に過小評価されていたというほうが妥当なのでしょう。

 もっとも、この評価についても問題があり、それは、現代日本社会に根強く浸透している悪弊である、テレビでの出演の少ない芸能人は売れていない・格が落ちるとの観念と強く連関しています。昔気質の人や芸能通を自負している人ならば、映画や舞台などテレビ以外での実績を重視するのでしょうが、日本映画が衰退し、テレビの影響力が強くなってからというもの、一般的には、テレビへの出演とそこでの扱いが芸能人としての格を決定するとの観念が強いように思われます。おそらく、本田さんにもそうした意識があって、それゆえにテレビへの出演の少なさを悩んだ時期もあり、「やっぱりテレビに出なきゃだめかな」との発言になったのでしょう。その後、ミュージカルなどでさらに高い評価を得た本田さんが、亡くなる前にそうした意識から解放されていたとしたら、私も少しはほっとした気持ちになれるのですが、はたして実際のところはどうだったのでしょうか。

この記事へのコメント

Ganesa
2009年12月24日 08:50
すいません、こちらにもお邪魔します。
「テレビ効果」については私もいろいろ思いがあります。
テレビに出るだけで、知名度もそうですが、収入が10倍になった、という話も良く聞きます。
私としては、「見る側」の問題もあると感じています。
「テレビで言ってたよ」が根拠の話を周囲で良く聞いているからです。
そんな個人的な感想でした。 m(_ _)m
2009年12月24日 20:08
色々といわれてはいますが、テレビの影響力の大きさは侮れませんね。

テレビは、敵視することも大きな信頼を寄せることもなくなく、情報源の一つと割り切って見ればよいのではないか、と思います。

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