白峰旬「関ヶ原の戦いに関する再検討」

 「回顧と展望」で取り上げられていた著書・論文のうち、とくに面白そうなものをこのブログで紹介していますが、この論文も、そうしたものの一つです。
https://sicambre.seesaa.net/article/200910article_20.html
関ヶ原の戦いを「庚子争乱」と呼んでもよいのではないか、と本論文では提言されており、関ヶ原の戦いが、たんに慶長5年9月15日の関ヶ原での戦いとしてとらえられるのではなく、地理的・時間的にもっと広い範囲で考察されています。また、関ヶ原の戦いの当事者たちを東軍と西軍という慣習的な用語で二分するのではなく、徳川家康主導軍と石田三成・毛利輝元連合軍と区分するほうが妥当であり、それは家康シンパ軍(徳川家康推戴派)とアンチ家康軍(豊臣政権護持派)という見方もできる、と指摘されています。

 関ヶ原の戦いを「庚子争乱」と認識し、地理的・時間的にもっと広い範囲で考察した場合、9月15日の「本戦」以外での諸勢力、たとえば伊達政宗や加藤清正の動向を見ていくと、関ヶ原の戦いの歴史的意義は、豊臣秀吉の惣無事令が機能せず、私戦が公然と復活したことにあり、惣無事令の執行は秀吉の存在と直結したものだった、と本論文では指摘されています。また、関ヶ原の戦いは予定調和的に家康が勝つべくして勝ったのであり、江戸幕府成立の一通過点だった、との見解の見直しも提言されています。これは当然のことだと言えそうですが、予定調和的な歴史観は案外根深いものではないか、とも思います。



参考文献:
白峰旬(2008)「関ヶ原の戦いに関する再検討」『別府大学大学院紀要』10

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