満田剛「劉表政権について─漢魏交替期の荊州と交州」

 「回顧と展望」で取り上げられていた著書・論文のうち、とくに面白そうなものをこのブログで紹介していますが、この論文も、そうしたものの一つです。
https://sicambre.seesaa.net/article/200907article_11.html

 「荊州をおさえながらも保境安民に努めて天下を目指さず、それ故に彼の死後、荊州は曹操に飲み込まれてしまった」とされる劉表の評価を再考すべきではないか、と提言した論文です。紀伝体で三国ごとの構成になっている『三国志』の性格上、劉表政権のような一地方政権の記事は分散されて記載されているので、すべての記事から劉表および劉表政権の記事を収集し、年代記として整理し直し、全体的・通史的に分析しなければ、劉表および劉表政権を正確に把握できない、と本論文では指摘されています。

 また、三国へと収斂していく流れを大前提として地方政権の動向を見ていくだけではなく、地方政権同士の関係、たとえば劉表と劉焉・劉璋との関係にも注目すべきだ、と指摘されています。曹操と袁紹の抗争において、劉表が優柔不断で、後に袁紹についたとの見解にたいしても、曹操が張羨と結んで劉表に対抗させ、劉表を挟み撃ちの状態に追い込んでいたことを踏まえると、優柔不断と安易に断定はできないと指摘され、曹操と袁紹が潰しあうことを劉表が願っていたとすると、当初は優勢と見られていた袁紹と早い時期から組まなかったことは、合理的な判断だったとも考えられます。劉表の人物像についても、一度は敵対した桓階を登用しようとしたことから、猜疑心が強いとの評価は一面的ではないか、とされています。

 その他にも、劉表が交州に進出しようとしたことなど、劉表がじゅうらい考えられていたよりも野心的な人物だった可能性が指摘されています。また、劉表が低く評価されてきた要因でもある諸人物の発言は、おもに劉表政権を倒した側からのものであり、偏向している可能性が高いことも指摘されています。こうしたことから本論文では、劉表は、史書の評価より上方修正されるべきではないか、と提言されています。今の私には、一時期ほどの三国志への関心はありませんが、それでもひじょうに興味深く読めました。熱心な三国志ファンにもお勧めの論文です。



参考文献:
満田剛(2008)「劉表政権について─漢魏交替期の荊州と交州」『創価大学人文論集』20
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007144602

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