日本は19世紀末まで「夫婦別姓」だった?

 日本における「夫婦同姓」は19世紀末に強制的に始まった、「キリスト教国かぶれ」な底の浅い制度であり、日本古来の伝統とは無関係だ、との記事を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090910

 夫婦別姓容認論側によく見られる上記のような歴史認識が誤りであることは、これまでにも以下の記事で述べてきましたが、その誤謬の根本的な要因は、氏・姓(ウヂナとカバネは組み合わせて用いられ、本来両者は異なるものです)と苗字(名字)との混同です。上記の記事でも触れられていますが、加地伸行氏でさえ両者を混同しており、この混同が根強く定着していることがうかがわれます。
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_7.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200802article_30.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200804article_17.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200904article_24.html

 上記の記事の、「夫婦別姓」は日本古来の伝統であり、我々は伝統に回帰すべきだ、との一節は、「伝統派」にたいする皮肉なのでしょうが、そのような皮肉や上記の記事のコメント欄に見られる揶揄は、実証的裏づけがあってはじめて有効なのだと思います。「伝統」を懐疑し「創られた伝統」を強調する見解が、「進歩的で良心的」な人々の間では根強いようですが、個々の事象についてはあくまでも実証的裏づけが必要であり、「創られた伝統」を強調する風潮に安易に従うべきではないでしょう。

 北条政子が結婚後も「北条姓」のままだったとの誤解は、氏・姓と苗字との混同と関連して根強く定着しているようです。確かに、源頼朝と北条政子は「夫婦別姓」だったでしょうが、それは源氏と平氏(政子という名は政子晩年の命名)としてであり、近現代日本の法制用語としての氏(俗語としての姓・苗字)は、基本的には前近代の苗字を継承しているのですから、頼朝・政子夫妻の「夫婦別姓」は、現代日本社会のそれとは意味が異なります。

 余談になりますが、厳密にいうと、「北条政子」は「間違った呼称」であり、平(朝臣)政子が「正しい」ということになります。同様に、「織田信長」や「徳川家康」も間違っており、平(その前は藤原氏)信長・源(その前は藤原氏)家康が「正しい」ということになります(なお、豊臣秀吉や織田上総介は「正しい呼称」で、「羽柴秀吉」は「間違った呼称」になります)。現代日本社会では、「日本」の歴史的事例の場合、こうしたことをうるさく主張する人はほとんどいないようですが、「中国」の歴史的事例の場合、「曹操孟徳」や「諸葛亮孔明」といった呼称は間違っており、曹操・曹孟徳や諸葛亮・諸葛孔明が正しい、との見解がそれなりに定着しているようです。

 しかし、現代日本社会における「正しい名前」という価値観は、年齢などの節目に応じて生涯に何度か名前の変わる前近代の「日本」や「中国」の社会とは馴染まず、現代日本人が過去の人物、とくに前近代の人物の名前を呼ぶときは、現代日本社会において定着している名称を使用することに、大きな問題があるとは思いません。その意味で、「北条政子」や「織田信長」や「曹操孟徳」といった表記を咎める必要は基本的にはない、と私は考えています。

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