人類史における交雑の可能性について

 ホモ=サピエンス(現生人類)と、ホモ=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)やホモ=エレクトスなど他のホモ属との交雑の可能性について検証した研究(Wall et al., 2009)が公表されました。まだ要約しか読んでいないので、全文を読めるようになったら、熟読する必要がありそうですが、とりあえず、ジョン=ホークス博士のブログの記事も参考にしつつ、備忘録的にこの問題について述べていくことにします。さらに、現生人類の起源と遺伝学の問題について、雑感を述べます。

 この研究では、現代人の核DNAの分析データから、現生人類と他のホモ属(archaic human)との交雑の可能性が追求されています。この論文の著者たちは以前にも、ヨーロッパ系の現代人とアフリカ西部の現代人の核DNAの分析から、現生人類と他のホモ属との交雑の可能性を指摘しています(Plagnol, and Wall., 2006)。この研究では、そのときよりも多くの遺伝子と集団が分析され、ヨーロッパ・アフリカ西部・アジア東部の現代人の核DNAに、他のホモ属との交雑の痕跡が認められる、とされています。

 つまり、現代人唯一の起源地はアフリカであり、ネアンデルタール人や北京・ジャワのエレクトスなどのアフリカ外の在地のホモ属は、現生人類の世界への拡散にともなって(あるいはその前に)絶滅し、現代人の遺伝子プールにまったく寄与しなかった、とする分子遺伝学の分野では広く支持されている見解は、間違っているというわけです。

 アフリカ単一起源説でも、形質人類学の分野では、現生人類と他のホモ属との交雑の可能性が低頻度ながら認められる傾向があったのにたいして、両者の交雑の可能性をまったく認めない見解は、分子遺伝学の分野で主張される傾向にありました。その後、ミトコンドリアでもY染色体でも、両者の交雑の証拠がまったく見つからなかったことから、現在では、両者の交雑はなかったとする見解が有力になりつつあります。

 しかし、この研究もそうであるように、核DNAの分析からは、両者の交雑の可能性を指摘する見解も少なからずあります。その根拠になっているのが、現代人の特定のDNA領域における最終共通祖先の存在年代(合着年代)の古さです。現生人類のアフリカ単一起源説が分子遺伝学的に有力とされたのは、現代人のミトコンドリアやY染色体の合着年代が、人類史のうえでわりと新しいとされたことでした。ミトコンドリアでは171500±50000年前(Ingman et al., 2000)、Y染色体では12万年前以降とされています(Pritchard et al.,1999)。もっとも、この年代については今後多少ずれることがあるかもしれません。なお、現代人のミトコンドリアDNAの最終共通祖先は、比喩的にミトコンドリア=イヴと呼ばれています。

 ただ、母系由来のミトコンドリアと父系由来のY染色体は単系統での遺伝であり、遺伝子型が喪失しやすいという特徴があります。いっぽう、Y染色体以外の核DNAは、双系的遺伝ですから、単純に考えると、その合着年代はミトコンドリアやY染色体よりも古くなる可能性が高くなります。その意味で、核DNAの特定領域の古い合着年代は、現生人類と他のホモ属との交雑を示すものとは必ずしも言えないでしょう。この問題を解決するには、現代人のDNAを分析するという間接的方法とともに、現生人類以外のホモ属のDNAを解析しての、直接的方法を用いる必要があるでしょう。もっとも、現生人類以外のホモ属のDNAの解析は、ネアンデルタール人以外には成功しそうにないのが残念ではありますが。そのネアンデルタール人のゲノム解読が進行中ですが、現在のところ、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の確かな証拠は得られていないようです(関連記事)。

 本題から外れますが、現生人類出現の年代は遺伝学的に20万年前頃と推定されている、との見解には問題があると思います。こうした見解はかなり広く浸透しているようで、古人類学についてかなり見識のある人でも誤解しているように思われます。これは、現代人のミトコンドリアDNAにおける合着年代を、現生人類誕生の年代と同一視しているためなのでしょうが、明らかに誤解と言うべきでしょう。

 Y染色体や他の核DNAなど、現代人のそれぞれのDNA領域における合着年代は相互に異なっているのが普通で(同一のハプログループに属するごく少数の集団しか生存しなかったような、きょくたんな瓶首効果が生じた場合以外は)、それぞれの合着年代と現生人類誕生の年代は通常は一致せず、一致しているとしても、偶然と考えるのが妥当だろうと思います。

 現代人のミトコンドリアDNAの最終共通祖先がミトコンドリア=イヴと比喩的に呼ばれたこともあって、このような誤解が生じたのでしょうが、ミトコンドリア=イヴはあくまでも合着年代を示すものでしかなく、現生人類誕生の指標にはなり得ないと言うべきでしょう。ミトコンドリア=イヴ説の提唱者の1人であるアラン=ウィルソン博士も、ミトコンドリア=イヴと現生人類の起源を同一視していません(Lewin., 1998,P175-180)。

 現生人類出現の年代を遺伝学的に特定するならば、まず現生人類を遺伝学的に定義しなければなりません。現生人類とは解剖学的に定義された用語なので、現生人類特有の解剖学的特徴をもたらしている諸遺伝子を特定しなければなりません。もちろん、1つの形質が1つの遺伝子に対応しているという例ばかりではなく、1つの形質に複数の遺伝子が関わっていたり、1つの遺伝子が複数の形質に関わっていたりすることでしょう。

 次に、その諸遺伝子の出現年代を特定し、それらがあるていどそろった段階を現生人類の出現年代とすることになりますが、現生人類を特徴づけている諸遺伝子の出現年代はおそらく相互に異なっているでしょうし、別々に出現した「現生人類遺伝子」が、どれだけの頻度で集団に固定したか、推定するのはかなり難しいと思います。その意味で、現生人類の出現年代を遺伝学的に特定するのはひじょうに難しそうです。解剖学的に現生人類の出現年代を特定する場合も、同様に難しいと言えるでしょう。


参考文献:
Ingman M. et al.(2000): Mitochondrial genome variation and the origin of modern humans. Nature, 408, 708-713.
http://dx.doi.org/10.1038/35047064

Ke Y. et al.(2001): African Origin of Modern Humans in East Asia: A Tale of 12,000 Y Chromosomes. Science, 292, 5519, 1151-1153.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1060011

Lewin R.著(1998)、保志宏、楢崎修一郎訳『人類の起源と進化(第1版5刷)』(てらぺいあ、第1版1刷の刊行は1993年、原書の刊行は1989年)

Plagnol V, and Wall JD.(2006): Possible Ancestral Structure in Human Populations. PLoS Genetics, 2(7): e105.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pgen.0020105
関連記事

Pritchard JK. et al.(1999): Population growth of human Y chromosomes: a study of Y chromosome microsatellites. Molecular Biology and Evolution, 16, 12, 1791-1798.
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/content/abstract/16/12/1791

Wall JD, Lohmueller KE, and Plagnol V.(2009): Detecting Ancient Admixture and Estimating Demographic Parameters in Multiple Human Populations. Molecular Biology and Evolution, 26, 8, 1823-1827.
http://dx.doi.org/10.1093/molbev/msp096

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