天智の娘と天武の婚姻関係について

 天武が天智と両親を同じくする弟であることは、常識といってよいでしょうが、戦後になって、じつは天武が天智よりも年上なのではないか、天武と天智の父は違うのではないか、両者はそもそも兄弟関係になかったのではないか、といった異説が提唱されるようになりました。こうした異説への私見を9年前に述べたことがあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm

 ただ、未熟なものであることは否めず、いつかは改訂版を執筆したいとずっと思ってきたのですが、その後、主要な関心が日本中世史、さらには古人類学へと移ったこともあり、ずっと放置したままでした。当時よりも日本古代史の優先順位が下がっているなかで、私の能力では改訂版を執筆するのは容易ではないのですが、少しずつは準備を進めていこうと思い、上記の私見を執筆後に気づいたことを、このブログで時々述べていくつもりです。

 今回は、上記の私見でも取り上げた、異説の根拠の一つとされることもある「天智の実の娘が4人も天武に嫁いでいる」ことについて、雑感を述べていきます。異説派の一人である井沢元彦氏によると、4人も兄の娘をもらうのはきわめて異例であり、天智と天武が兄弟ではなかったことの有力な傍証になるだろう、とのことです(井沢.,1997,P32)。

 たしかに、同じ人の娘4人と婚姻関係を結ぶのは異例と言えるでしょうが、それは両者が兄弟であってもなくても同じことであり、これを異説の根拠とすることには無理があると思います。むしろ、当時の王族間で近親婚が頻繁に行なわれていたことを考慮に入れると、天智と天武は血縁関係にあり、両者ともに王族だった、と考えるのが妥当ではないでしょうか。もっとも、この考えは両者の異父兄弟説をただちに否定できるものではありません。

 信頼性に問題もありますが、同じ人の娘4人と婚姻関係を結んだ例として挙げられるのは欽明です。『日本書記』によると、欽明は異母兄の宣化の娘3人を娶ったことになっています(石姫・稚綾姫・日影)。『古事記』によると、『日本書記』にも記載のある宣化の娘である小石比賣命(『日本書記』では「小石姫」と表記)も、欽明は娶ったことになっています。確かに、どこまで信頼してよいか疑問もありますが、継体~欽明の頃より、王族間の近親婚が目立つようになることを考慮に入れると、欽明が異母兄の宣化の娘を4人娶った可能性もあるように思われます。


参考文献:
井沢元彦(1997)『歴史不思議物語』(廣済堂出版)

倉野憲司校注『古事記』第66刷(2001)(岩波書店、第1刷の刊行は1963年)

黒板勝美、国史大系編集会(1996)『新訂増補国史大系 日本書紀 後編』普及版第14刷(吉川弘文館)

この記事へのコメント

2009年04月15日 22:36
ご無沙汰しております。久々の日本古代史へのご言及ですね。
私の方も、近頃忙しいので詳細な論拠を述べることは出来ませんが、結論から申しますと、古代においては、日本だけでなく、世界のいろいろな地域で、「同じ人の娘4人と婚姻関係を結ぶ」というのは、決して「異例」なことではないと思います。
2009年04月15日 23:38
これはお久しぶりです。

世界における婚姻形態、とくに王族・皇族のそれについては、もっと人類学・歴史学の成果を学ぶ必要がありそうです。

すぐに成果が出そうにはありませんが、気長にやっていくつもりです。

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