溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波書店)
岩波新書(赤版)の一冊として、2009年に刊行されました。本書の論証には疑問の残る箇所もあるのですが、新書という性格上仕方のないところもあり、本書でもたびたび述べられているように、詳細な論証は著者による他の著作を読むしかないのでしょう。
本書は新書ということもあり、土着文化と外来文化というかなり単純化された対立図式が提示されていますが、その土着文化にしても、起源をたどれば外来の要素が強いことが、本書では述べられています。ただ、一部の伝統論者が、そうした著者の配慮を無視し、都合のよいように本書を解釈する危険性もあるかな、とも思います。
本書では、皇祖神(国家神)はずっとアマテラスだった、という一般の通念を覆す見解が提示されていますが、専門家の間では、アマテラスではなくタカミムスヒが本来の皇祖神であることは、ほぼ常識になっているそうです。では、なぜタカミムスヒからアマテラスへと皇祖神が交代したのか、という疑問にたいする追及が、本書の主題となります。
その疑問にたいする本書の回答を単純化して簡潔に述べると、タカミムスヒは高句麗にたいする敗戦を契機として、王権強化・体制整備を図るなかで、朝鮮半島経由で導入されたユーラシア北方由来の外来の神であり、支配層の一部でのみ信仰されていたのにたいして、アマテラスは弥生時代以来の土着の神で広範な支持を得ていたから、ということになります。
本書の特徴の一つは、皇祖神の交代という問題を、広くユーラシアの歴史のなかで位置づけていることです。そのこととも関連しますが、日本史を時間的・地理的にひじょうに広い範囲から見直そうという意図が本書には感じられます。文化史・政治史などの細部の見解において異論はあるのですが、本書はなかなかの意欲作であり、ひじょうに楽しんで読むことができました。
本書は新書ということもあり、土着文化と外来文化というかなり単純化された対立図式が提示されていますが、その土着文化にしても、起源をたどれば外来の要素が強いことが、本書では述べられています。ただ、一部の伝統論者が、そうした著者の配慮を無視し、都合のよいように本書を解釈する危険性もあるかな、とも思います。
本書では、皇祖神(国家神)はずっとアマテラスだった、という一般の通念を覆す見解が提示されていますが、専門家の間では、アマテラスではなくタカミムスヒが本来の皇祖神であることは、ほぼ常識になっているそうです。では、なぜタカミムスヒからアマテラスへと皇祖神が交代したのか、という疑問にたいする追及が、本書の主題となります。
その疑問にたいする本書の回答を単純化して簡潔に述べると、タカミムスヒは高句麗にたいする敗戦を契機として、王権強化・体制整備を図るなかで、朝鮮半島経由で導入されたユーラシア北方由来の外来の神であり、支配層の一部でのみ信仰されていたのにたいして、アマテラスは弥生時代以来の土着の神で広範な支持を得ていたから、ということになります。
本書の特徴の一つは、皇祖神の交代という問題を、広くユーラシアの歴史のなかで位置づけていることです。そのこととも関連しますが、日本史を時間的・地理的にひじょうに広い範囲から見直そうという意図が本書には感じられます。文化史・政治史などの細部の見解において異論はあるのですが、本書はなかなかの意欲作であり、ひじょうに楽しんで読むことができました。
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