ネットの恐ろしさ
ネットでは、公開したものの都合の悪くなった文章を消すことは簡単にできますが、しばらくは“Google”で検索でき、キャッシュで内容を確認できる場合もあります。しかし、時間が経過すれば、“Google”で検索しても探し当てることができなくなります。それでも、アドレスさえ判明していれば、この検索サイトで内容を確認できる場合もあります。
もっとも、この検索サイトも万能ではなく、あるていどの期間公開しているサイトが保存対象となるようですから、あるていど長続きしており、たまたまこの検索サイトが保存した時期に公開されている文章でないと、保存されないようです。このように制約はあるのですが、あるていどの期間ネットで公開した文章だと、作者がネット上から削除して何年も経過していたとしても、上記検索サイトで内容を確認できる可能性が高くなります。
もう10年近く前になりますが、私が関心をもっているある事象について検索していて発見したサイトを、ブラウザのお気に入りに追加したことがあります。そのサイトは、本当にたまにしか訪問しなかったのですが、6~7年くらい前に更新を停止したようで、数年前にはネット上から消えていました。作者が消したのかもしれませんが、プロバイダーの都合(統廃合など)により消えたのかもしれません。
私がこのサイトを発見した当初、そのサイト内ではある長文が公開されていたのですが、更新頻度が低下していくなかで、あるときから非公開(今後公開予定とは書かれていましたが)とされ、ついにはそのサイト自体がネットから消えてしまいました。今では、そのサイト名で検索してもまったく引っかからず、作者をのぞいてそのサイトを覚えている人はほとんどいないのではないか、とも思います。
そんなサイトでも、アドレスが分かれば、作者が非公開とした長文を今でも確認できる場合もあるわけです。そのサイトの作者は違いますが、ネット上の過去の都合の悪い発言を消して、過去とは違う発言をしていても、上記検索サイトで調べられたら、過去の発言との矛盾を指摘される可能性もあるわけで、ネット上といえども、いい加減な発言をしないよう、慎重にいきたいものです。もっとも、これは上記検索サイトに関係なく当然のことでもあり、ネットであれ紙媒体であれ、不特定多数の人が読む可能性のあるところに文章を公開する場合には、すべての場合で同等というわけではないにしても、相応の責任が生ずるものです。
上記のサイトの例は、その作者が万一この記事を読んだとしても、おそらくは自分のことだとは思わないでしょうが、次の事例は、作者やその「関係者」が読めば、どのサイトのことを指摘したのか、分かる可能性があると思います。そのサイトで公開されていた文章を読んだとき、某研究者の受け売りだなあ、と私は思ったのですが、それは私だけではなく、別の方も自身のサイトでそのように指摘していました。
ところがその文章では、某研究者についてはまったく触れられず、作者独自の見解であるかのように書かれていました。この文章は、わりと長い間公開されていたのですが、あるとき消されました。この作者のサイト自体はその後も公開されていたので、明らかに作者が何らかの意図で削除したことになります。
削除して何年か後に、この作者はネット上のある場所で、某研究者の説を読んだことはないと述べていますが、上記検索サイトで問題となった文章を改めて読んでみると、この作者の学識から判断して、それはあり得ないだろう、と私は考えています。もっとも、この作者の主観としては、本当に某研究者の説を読んだことがないのかもしれません。たとえば、某研究者の説を紹介した記事やサイトを読み、某研究者の存在については注意が払われていなかったのかもしれません。
ただ、そうだとすると、某研究者の説を読んだことはない、とわざわざ言うものだろうか、とも思います。この作者が問題となった文章を削除したのは、おそらく、独自の見解と言っていたにもかかわらず、直接的か間接的かはともかくとして、某研究者の受け売りにすぎないと他の人に気づかれてしまった、と考えたからでしょう。この作者は、そうした後ろめたさから、わざわざ問題の文章を削除し、それから何年か後に、某研究者の説を読んだことはないと言ったのだ、と私は考えています。
この作者は、問題の文章を削除したのだからもう大丈夫だと考え、まさか自分の文章が今でもネット上で保管され公開されているとは夢にも思わず、某研究者の説を読んだことはない、と発言したのでしょうが、ネット上でちょっと検索しただけで自分が削除した文章が発見されることになっているわけで、他人事とはいえ、なんとも恐ろしいものです。もっとも、以上の私の見解は的外れかもしれず、かえって私が恥をさらすことになるのかもしれませんが。
もっとも、この検索サイトも万能ではなく、あるていどの期間公開しているサイトが保存対象となるようですから、あるていど長続きしており、たまたまこの検索サイトが保存した時期に公開されている文章でないと、保存されないようです。このように制約はあるのですが、あるていどの期間ネットで公開した文章だと、作者がネット上から削除して何年も経過していたとしても、上記検索サイトで内容を確認できる可能性が高くなります。
もう10年近く前になりますが、私が関心をもっているある事象について検索していて発見したサイトを、ブラウザのお気に入りに追加したことがあります。そのサイトは、本当にたまにしか訪問しなかったのですが、6~7年くらい前に更新を停止したようで、数年前にはネット上から消えていました。作者が消したのかもしれませんが、プロバイダーの都合(統廃合など)により消えたのかもしれません。
私がこのサイトを発見した当初、そのサイト内ではある長文が公開されていたのですが、更新頻度が低下していくなかで、あるときから非公開(今後公開予定とは書かれていましたが)とされ、ついにはそのサイト自体がネットから消えてしまいました。今では、そのサイト名で検索してもまったく引っかからず、作者をのぞいてそのサイトを覚えている人はほとんどいないのではないか、とも思います。
そんなサイトでも、アドレスが分かれば、作者が非公開とした長文を今でも確認できる場合もあるわけです。そのサイトの作者は違いますが、ネット上の過去の都合の悪い発言を消して、過去とは違う発言をしていても、上記検索サイトで調べられたら、過去の発言との矛盾を指摘される可能性もあるわけで、ネット上といえども、いい加減な発言をしないよう、慎重にいきたいものです。もっとも、これは上記検索サイトに関係なく当然のことでもあり、ネットであれ紙媒体であれ、不特定多数の人が読む可能性のあるところに文章を公開する場合には、すべての場合で同等というわけではないにしても、相応の責任が生ずるものです。
上記のサイトの例は、その作者が万一この記事を読んだとしても、おそらくは自分のことだとは思わないでしょうが、次の事例は、作者やその「関係者」が読めば、どのサイトのことを指摘したのか、分かる可能性があると思います。そのサイトで公開されていた文章を読んだとき、某研究者の受け売りだなあ、と私は思ったのですが、それは私だけではなく、別の方も自身のサイトでそのように指摘していました。
ところがその文章では、某研究者についてはまったく触れられず、作者独自の見解であるかのように書かれていました。この文章は、わりと長い間公開されていたのですが、あるとき消されました。この作者のサイト自体はその後も公開されていたので、明らかに作者が何らかの意図で削除したことになります。
削除して何年か後に、この作者はネット上のある場所で、某研究者の説を読んだことはないと述べていますが、上記検索サイトで問題となった文章を改めて読んでみると、この作者の学識から判断して、それはあり得ないだろう、と私は考えています。もっとも、この作者の主観としては、本当に某研究者の説を読んだことがないのかもしれません。たとえば、某研究者の説を紹介した記事やサイトを読み、某研究者の存在については注意が払われていなかったのかもしれません。
ただ、そうだとすると、某研究者の説を読んだことはない、とわざわざ言うものだろうか、とも思います。この作者が問題となった文章を削除したのは、おそらく、独自の見解と言っていたにもかかわらず、直接的か間接的かはともかくとして、某研究者の受け売りにすぎないと他の人に気づかれてしまった、と考えたからでしょう。この作者は、そうした後ろめたさから、わざわざ問題の文章を削除し、それから何年か後に、某研究者の説を読んだことはないと言ったのだ、と私は考えています。
この作者は、問題の文章を削除したのだからもう大丈夫だと考え、まさか自分の文章が今でもネット上で保管され公開されているとは夢にも思わず、某研究者の説を読んだことはない、と発言したのでしょうが、ネット上でちょっと検索しただけで自分が削除した文章が発見されることになっているわけで、他人事とはいえ、なんとも恐ろしいものです。もっとも、以上の私の見解は的外れかもしれず、かえって私が恥をさらすことになるのかもしれませんが。
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