遠山美都男『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』
学研新書の一冊として、学習研究社より2008年に刊行されました。蘇我氏断罪史観と、それにたいする反発から主張されている見解の一部を、『日本書記』を中心とした史料の検証により見直していこうとする一冊です。蘇我氏断罪史観は、さすがに戦後になって克服されたのかと私は考えていたのですが、皇国史観に浸っているというわけではなさそうな人が、数年前にある掲示板で大真面目に蘇我氏断罪史観を主張していたのを見ると、今でも根強いのかもしれません。その意味では、本書の意義は小さくないのかな、とも思います。
本書では、蘇我氏断罪史観の根拠とされた『日本書記』の記述が、蘇我氏悪玉論という先入観から誤読されていたところが多分にあると指摘され、その指摘にはなかなか興味深いものがあります。しかし正直なところ、『日本書記』の記述のうち信頼できるとされている箇所と、そうではないとされる箇所との違いの根拠について、必ずしも説得力があるとは言えない場合もあるように思われます。
こうした点も含めて、著者の見解にはご都合主義的なところが見られます。たとえば、厩戸王子(聖徳太子)が推古即位後ただちにじゅうような政治的役割を担ったとの通説にたいしては、当時は大王になるには一定以上の年齢が要求され、推古即位後の厩戸王子はその年齢には達していなかったのだから、厩戸王子が推古の補佐役的立場に就任したのは、推古即位後7~8年後のことではないか、とされています。しかし、蘇我馬子が敏達朝で「総理大臣的立場」の大臣に任命されたときの年齢は、『扶桑略記』によると22歳だったと紹介され、ひじょうに若くして重職を担うようになった、と疑問もなく断定的に述べられています。
蘇我氏見直し論でよく主張される、蘇我入鹿秀才説や蘇我氏百済出身説にたいする疑問など、本書における提言と史料の見直しには注目すべきところも多々ありますが、問題も少なからずあるな、というのが正直な感想です。遠山氏によるこれまでの多数の一般向け著作にもこのような傾向があり、おそらく、こうした傾向は今後も変わらないのでしょう。
本書では、蘇我氏断罪史観の根拠とされた『日本書記』の記述が、蘇我氏悪玉論という先入観から誤読されていたところが多分にあると指摘され、その指摘にはなかなか興味深いものがあります。しかし正直なところ、『日本書記』の記述のうち信頼できるとされている箇所と、そうではないとされる箇所との違いの根拠について、必ずしも説得力があるとは言えない場合もあるように思われます。
こうした点も含めて、著者の見解にはご都合主義的なところが見られます。たとえば、厩戸王子(聖徳太子)が推古即位後ただちにじゅうような政治的役割を担ったとの通説にたいしては、当時は大王になるには一定以上の年齢が要求され、推古即位後の厩戸王子はその年齢には達していなかったのだから、厩戸王子が推古の補佐役的立場に就任したのは、推古即位後7~8年後のことではないか、とされています。しかし、蘇我馬子が敏達朝で「総理大臣的立場」の大臣に任命されたときの年齢は、『扶桑略記』によると22歳だったと紹介され、ひじょうに若くして重職を担うようになった、と疑問もなく断定的に述べられています。
蘇我氏見直し論でよく主張される、蘇我入鹿秀才説や蘇我氏百済出身説にたいする疑問など、本書における提言と史料の見直しには注目すべきところも多々ありますが、問題も少なからずあるな、というのが正直な感想です。遠山氏によるこれまでの多数の一般向け著作にもこのような傾向があり、おそらく、こうした傾向は今後も変わらないのでしょう。
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