ネアンデルタール人が現在も生存していたら、どのような問題が生じるのか
世界各地で目撃された(ということになっている)「雪男」や「ビッグフット」などは、じつはネアンデルタール人や北京原人などの生き残りではないか、との噂があり、小説の題材になることもあります。
現在、地球上に現生人類(ホモ=サピエンス)とは異なる人類集団が生存していると考えている人はほとんどいないでしょうし、私もその可能性はないと言ってよいと考えていますが、フロレシエンシスの発見されたインドネシア領フローレス島には、小柄で奇妙な人類が存在していたとの伝説があり、最後の目撃例は19世紀とのことですので、もしこの伝説が事実でフロレシエンシスのことを指しているとしたら、完新世、それも近代まで、現生人類とは異なる人類集団が地球上に生存していた可能性があるわけです。
もっとも、その伝説が事実を伝えているか、さらにはフロレシエンシスのことを指しているかとなると、はなはだ疑問ですし、やはり完新世になってからは、地球上の人類は現生人類だけと考えるのが妥当なのでしょう。ただ、万一ネアンデルタール人やフロレシエンシスのような現生人類とは異なる人類集団が発見された場合はどうなるでしょうか?恐らく、現生人類にとってはきわめて厄介な事態になるでしょう。
なぜならば、ネアンデルタール人やフロレシエンシスとどのような関係を構築するかという点をめぐって、激論になるのではないかと推測されるからです。彼らは、明らかにチンパンジーやゴリラよりも現生人類に近いのですが、あくまでも現生人類とは異なる人類集団です。彼らにどのていどの人権と義務を認めたり要求したりするのか、結論はなかなかでないでしょう。
ネアンデルタール人もフロレシエンシスも、部分的にせよ、現生人類と同程度の技術水準を有していましたから、あるいは、潜在的な知的資質では現生人類と大差はないのかもしれません。誕生時より現生人類の社会で育てば、かなりの知識を習得し、現生人類の社会に適応できるかもしれません。その場合、ネアンデルタール人やフロレシエンシスを「国民」として受け入れるべきなのか、難問となるでしょう。
おそらくこうした問題は、地球外知的生命体と遭遇した場合にどうするかという設問と同様に、杞憂に終わるでしょうが、近年のネアンデルタール人の「復権」や、フロレシエンシスの発見について考えていて、改めて気になったので、雑感を述べてみた次第です。
現在、地球上に現生人類(ホモ=サピエンス)とは異なる人類集団が生存していると考えている人はほとんどいないでしょうし、私もその可能性はないと言ってよいと考えていますが、フロレシエンシスの発見されたインドネシア領フローレス島には、小柄で奇妙な人類が存在していたとの伝説があり、最後の目撃例は19世紀とのことですので、もしこの伝説が事実でフロレシエンシスのことを指しているとしたら、完新世、それも近代まで、現生人類とは異なる人類集団が地球上に生存していた可能性があるわけです。
もっとも、その伝説が事実を伝えているか、さらにはフロレシエンシスのことを指しているかとなると、はなはだ疑問ですし、やはり完新世になってからは、地球上の人類は現生人類だけと考えるのが妥当なのでしょう。ただ、万一ネアンデルタール人やフロレシエンシスのような現生人類とは異なる人類集団が発見された場合はどうなるでしょうか?恐らく、現生人類にとってはきわめて厄介な事態になるでしょう。
なぜならば、ネアンデルタール人やフロレシエンシスとどのような関係を構築するかという点をめぐって、激論になるのではないかと推測されるからです。彼らは、明らかにチンパンジーやゴリラよりも現生人類に近いのですが、あくまでも現生人類とは異なる人類集団です。彼らにどのていどの人権と義務を認めたり要求したりするのか、結論はなかなかでないでしょう。
ネアンデルタール人もフロレシエンシスも、部分的にせよ、現生人類と同程度の技術水準を有していましたから、あるいは、潜在的な知的資質では現生人類と大差はないのかもしれません。誕生時より現生人類の社会で育てば、かなりの知識を習得し、現生人類の社会に適応できるかもしれません。その場合、ネアンデルタール人やフロレシエンシスを「国民」として受け入れるべきなのか、難問となるでしょう。
おそらくこうした問題は、地球外知的生命体と遭遇した場合にどうするかという設問と同様に、杞憂に終わるでしょうが、近年のネアンデルタール人の「復権」や、フロレシエンシスの発見について考えていて、改めて気になったので、雑感を述べてみた次第です。
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