石刃は効率的だったのか?

 (大型)石刃は現生人類(ホモ=サピエンス)特有のものと長らく考えられてきており(細石刃の出現は大型石刃よりも後のことです)、その効率性の高さは、現生人類の優れた認識能力を示すものと解釈されてきました。現在では、石刃が確認されているシャテルペロニアン(シャテルペロン文化)がネアンデルタール人の所産とされているので、石刃技法を現生人類のみの所産とする見解は否定されました。

 また、石刃技法の出現を上部旧石器時代の開始と結びつける見解が以前は根強かったようですが、アフリカや西アジアにおいて、後期石器時代・上部旧石器時代よりも前の石刃が確認されています。それでも、(大型)石刃の画期性という見解は依然として有力であるように思われます。ところが、石刃はそれ以前よりも作られていた剥片石器にたいして、必ずしも技術的に優位とは言えない、との研究(Eren et al., 2008)が報道されました。

 この研究では、上部旧石器文化の象徴と考えられてきた細長い形状の石刃と、ネアンデルタール人などが利用していた、中部旧石器文化の円盤状の剥片石器とが実験的に作製され、素材消費の効率性や耐久度などが比較されました。その結果、耐久度でも、石器の素材となる石の体積比での切断面の長さでも、後者のほうが優れている、との結果が得られました。一方、飛び道具に利用する場合は、前者のほうが適していたのではないか、とも推定されています。

 総合的に見ると、2つの石器技術の効率性において、どちらかに一方的な優位性を見出すことはできませんでした。この研究では、石器研究は静的な側面(現在残っている石器の形状)ではなく、動的な側面(石の加工や使用)を考慮に入れて行なわれる必要があるのではないか、と提言されています。またこの研究では、大型石刃の出現と関連して現在指摘されているような効率性・利点は、細石刃の出現と関連づけられるのではないか、とも示唆されています。

 この論文の筆頭著者メティン=エレン氏は、技術的に言えば、一方の石器の他方に対する明白な利点はありません、と述べています。またエレン氏は、ネアンデルタール人について考えるとき、「馬鹿」だとか「より遅れている(進歩していない)」だとかといった用語で考えるのを我々は止める必要があり、我々の研究は、現生人類はネアンデルタール人よりも進歩していた、という長期にわたる仮定に異議を唱えるものだ、と述べています。さらにエレン氏は、我々の祖先が生き残った一方で、ネアンデルタール人が絶滅した別の理由を、考古学者たちが探し始めるべきだ、とも提言しています。

 では、ヨーロッパに進出した現生人類が、技術的に有利とは必ずしも言えない石刃を用いた理由はどう説明されるべきなのでしょうか。エレン氏は、氷河時代のヨーロッパに植民した初期現生人類にとって、新しく共有されて派手な技術は、より大きな社会的ネットワークをつなぐ、社会的接着剤の一つの形として役立ったかもしれない、と推測しています。つまり、どんな技術的利点もなかったとき、現生人類は石刃を文化的意味合いで使用したかもしれない、ということです。

 もっとも、石器技術の効率性において、ネアンデルタール人と初期現生人類とに明白な違いがなくても、芸術・副葬品など、両者の間に、総合的に見て文化的に大きな違いがあったことは否定できないでしょう。こうした違いの主因を、潜在的な知的能力の違いと見るのか、それとも文化的蓄積の違いと見るのか、見解の分かれるところでしょうが、私は後者のほうがより妥当なのではないか、と考えています。


参考文献:
Eren MI. et al.(2008): Are Upper Paleolithic blade cores more productive than Middle Paleolithic discoidal cores? A replication experiment. Journal of Human Evolution, 55, 6, 952-961.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2008.07.009

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