堀川貴司「唐名あれこれ」
「日本史のことば」を特集した『日本歴史』第704号(2007年1月号)の中の一論考です。前近代の日本社会において、右衛門佐を右監門将軍、能登を能州、国守を刺史というように、いわゆる唐名が広く行なわれていました。これは近世になっても変りませんでしたが、近世後期になると唐名にたいする否定論が出てきます。
唐名が行なわれたのは、漢文において漢語に置換できない日本語をそれらしく言い換えて漢文の調子を損なわないようにするという、文章表現上の目的もあったのですが、中華世界を雅とし、日本を鄙とするような意識によるものでもあったようです。その意味で唐名は、前近代における日本の観念を考察するうえでじゅうような手がかりとなりそうです。
唐名が行なわれたのは、漢文において漢語に置換できない日本語をそれらしく言い換えて漢文の調子を損なわないようにするという、文章表現上の目的もあったのですが、中華世界を雅とし、日本を鄙とするような意識によるものでもあったようです。その意味で唐名は、前近代における日本の観念を考察するうえでじゅうような手がかりとなりそうです。
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