平野聡『清帝国とチベット問題』(名古屋大学出版会、2004年)
本書にたいする痛烈な批判をすでに読んでいましたので、改めて本書を読む必要があるのだろうかとは思ったのですが、本書は博士学位取得論文に若干の補足修正を加えた一冊とのことで、不勉強な私にとっては大いに読み応えがあり、読んで正解だったと思います。チベット問題について不勉強な私が、上記リンク先に付け加えるような本書にたいする疑問・批判はありませんので、本書を読んで興味深かった点について、いくつか述べていくことにします(引用箇所は青字としましたが、一部の漢数字は算用数字に改めました)。
まずは、近代日本において欧州の影響を受けて成立した民族・国家という概念の危うさと、日本において成立したその概念が、中国大陸・朝鮮半島・ベトナムといった漢字文化圏に大きな影響を与えた問題についてです。もちろん、これは以前から指摘されていたことですし、私も気に留めてはいたのですが、本書を読んで改めて、この問題について深く考える必要を痛感しました。
英国が清国のチベットに対する権力を「宗主権」と規定したことにより、清国自身もチベットとの関係を宗主権、さらには主権として速やかに認識することが可能だった、との指摘も興味深いものでした。その結果、清国のチベットに対する政治指導とチベット側の服従は国際法に照らして絶対化されるべき、との清国指導層の発想につながり得た、とのことです。しかしそれは、清国による仏教擁護と事実上の高度自治をそれなりに享受し得たチベットのダライラマ政権にとって、突然自らの主体性を奪われることを意味し、現在のチベット問題につながっています。
そのチベット問題により、前近代のチベット史研究も立場によって偏向しがちであることを、本書を読んで改めて痛感しました。どんな研究でも先入観・立場による偏向は避けられないものですが、チベット史研究においては、とくにそうした傾向が強いということなのでしょう。したがって、前近代のチベット社会の評価も難しいところですが、中国政府の公式見解よりも、以下のような著者の指摘(P225~226)のほうがずっと妥当性があるように思われます。
今日の中華人民共和国における体制教義的な言説は、近代以前のチベットについて「過去のチベットでは、ラマと貴族が農奴から搾取するという、世界で最も暗黒な封建的支配が展開されており、自らそれを改める意思も能力もなかったので、反帝・反封建の立場で覚醒した中国人民を最も正しく代表する中国共産党が貧困農奴を立ち上がらせて封建支配を打破し、祖国の統一と、自らが主人となる社会主義建設の道へと進ませた。それゆえに中国共産党こそ、チベットにおける人権、とりわけ発展の権利を最も擁護するものである」とする。しかし、同治期までの清帝国とチベットの関係をみると、このような「暗黒の支配」とそれに対する「チベット農奴」の不満の鬱積が、中国共産党のチベット統治に伴って様々な軋轢や混乱が引き起こされた以上に深刻であったことを示すものは、管見の限り見当たらない。しかも、チベット現地基層社会に対する清帝国エリートの認識は、19世紀のかなり遅い段階まで、たとえダライラマ政権に対して不信を抱き、その自治に否定的な見方をしていた官僚であっても「辺外の田園には麦や豆が植えられ、見渡す限り青々としており、民情はなおも安謐に属する。番民は耕作に勤め、婦女は毛や糸を紡いで絨毯をつくり、男耕女織のさまは内地の景象と異なることはない。僧俗のなかでも明らかに事に通じる者は、蕃民が升平の福を久しく享受していると称する」と記す通り、清帝国のもと調和のあるチベット社会が実現していたとするものであった。
まずは、近代日本において欧州の影響を受けて成立した民族・国家という概念の危うさと、日本において成立したその概念が、中国大陸・朝鮮半島・ベトナムといった漢字文化圏に大きな影響を与えた問題についてです。もちろん、これは以前から指摘されていたことですし、私も気に留めてはいたのですが、本書を読んで改めて、この問題について深く考える必要を痛感しました。
英国が清国のチベットに対する権力を「宗主権」と規定したことにより、清国自身もチベットとの関係を宗主権、さらには主権として速やかに認識することが可能だった、との指摘も興味深いものでした。その結果、清国のチベットに対する政治指導とチベット側の服従は国際法に照らして絶対化されるべき、との清国指導層の発想につながり得た、とのことです。しかしそれは、清国による仏教擁護と事実上の高度自治をそれなりに享受し得たチベットのダライラマ政権にとって、突然自らの主体性を奪われることを意味し、現在のチベット問題につながっています。
そのチベット問題により、前近代のチベット史研究も立場によって偏向しがちであることを、本書を読んで改めて痛感しました。どんな研究でも先入観・立場による偏向は避けられないものですが、チベット史研究においては、とくにそうした傾向が強いということなのでしょう。したがって、前近代のチベット社会の評価も難しいところですが、中国政府の公式見解よりも、以下のような著者の指摘(P225~226)のほうがずっと妥当性があるように思われます。
今日の中華人民共和国における体制教義的な言説は、近代以前のチベットについて「過去のチベットでは、ラマと貴族が農奴から搾取するという、世界で最も暗黒な封建的支配が展開されており、自らそれを改める意思も能力もなかったので、反帝・反封建の立場で覚醒した中国人民を最も正しく代表する中国共産党が貧困農奴を立ち上がらせて封建支配を打破し、祖国の統一と、自らが主人となる社会主義建設の道へと進ませた。それゆえに中国共産党こそ、チベットにおける人権、とりわけ発展の権利を最も擁護するものである」とする。しかし、同治期までの清帝国とチベットの関係をみると、このような「暗黒の支配」とそれに対する「チベット農奴」の不満の鬱積が、中国共産党のチベット統治に伴って様々な軋轢や混乱が引き起こされた以上に深刻であったことを示すものは、管見の限り見当たらない。しかも、チベット現地基層社会に対する清帝国エリートの認識は、19世紀のかなり遅い段階まで、たとえダライラマ政権に対して不信を抱き、その自治に否定的な見方をしていた官僚であっても「辺外の田園には麦や豆が植えられ、見渡す限り青々としており、民情はなおも安謐に属する。番民は耕作に勤め、婦女は毛や糸を紡いで絨毯をつくり、男耕女織のさまは内地の景象と異なることはない。僧俗のなかでも明らかに事に通じる者は、蕃民が升平の福を久しく享受していると称する」と記す通り、清帝国のもと調和のあるチベット社会が実現していたとするものであった。
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