東野治之『遣唐使』(岩波書店、2007年)

 『史学雑誌』恒例の「回顧と展望」の今年の号(第117編第5号「2007年の歴史学界」)で、「古代史像の見直しを迫るもの」であり、「開かれた日本」論に疑問が呈されている、と紹介されていたので(日本古代、P679)、気になって読んでみました。遣唐使の具体的様相と意義について包括的に述べられており、参照文献も示され、索引もあるので、良書と言ってよいだろうと思います。本書において興味深いと思った見解は、以下のようなものです。

 古代の中国文献については、これを全面的に信頼できるものとして一字一句を取り上げ、日本側史料の批判に使う研究者が少なくない。しかしそれは極めて危険であり、中国文献が正しいという保証はない。むしろ外国に関する知識が通訳や翻訳を介して伝達された場合、なんらかの誤りが生じるのが普通である。この指摘(P23)はもっともなところで、これと関連して興味深いのは、『隋書』に見える「阿毎多利思比狐(アメタリシヒコ)」を、当時の倭国における君主の名や一般的な称号とする見解にたいして、遣隋使となった小野妹子の祖先が「天帯彦国押人命(アメタラシヒコクニオシヒトノミコト)」だったところから、対応した隋側が君主の名と間違って記録した、という辻善之助の解釈を見直すべきだろう、との提言です。

 遣唐使の航海が困難なものだったことは、歴史教育の場でも教えられることが多いでしょうから、多くの日本人が知っていることだろうと思います。この理由について本書では、造船技術の問題というよりは、朝貢使・朝賀使という外交的条件に制約され、出発・帰国の時期を自由に選ぶことが許されなかったことに大きな原因があった、とされています。そうした条件に制約されない遣渤海使や商船の往来は、遣唐使ほど困難ではなかったことが根拠として挙げられており、なかなか興味深い見解だと思います。

 本書でもっとも興味深いのは、日本の潜在的鎖国体質の指摘と、「開かれた日本」論への疑問です。「開かれていた日本」という発想は、常識化した鎖国史観への批判として有効であり、傾聴すべきではあるものの、それに偏ると、日本の潜在的鎖国体質を無視してしまうことになる、と本書では指摘されています。私も一時期、「開かれていた日本」という見解にかなり傾倒していましたが、近年になって、海の障壁としての性格を重視すべきではないか、と考えが変わってきたので、本書の提言にはかなり賛同できるところがあります。

 歴史観・歴史解釈が時代思潮に強い影響を受けるのは、研究者はもちろんのこと、多くの歴史愛好家にとっても常識と言えるでしょう。交流の場としての海の性格を強調する、現代日本における脱一国史観もその例外ではなく、「開かれていた日本」の強調に、開かれた日本であるべきだ、との願望・思い込みが投影されていなかったか、私のような歴史愛好家も常に自覚する必要があるでしょう。


参考文献:
『史学雑誌』第117編第5号(2008年)

東野治之(2007)『遣唐使』(岩波書店)

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