『ホモ・フロレシエンシス』上・下(日本放送出版協会、2008年)
本書は、マイク=モーウッド、ペニー=ヴァン=オオステルチィ著、馬場悠男監訳、仲村明子翻訳で、NHKブックスの一冊として刊行されました。インドネシア領フローレス島のリアン=ブア洞窟の発掘は、オーストラリアとインドネシアとの合同研究チームにより行なわれ、更新世の地層から人骨・石器・動物骨が発見され、発掘チームはその人骨群を人類の新種ホモ=フロレシエンシスとしました。モーウッド氏は、その合同研究チームの指導者的地位にいる研究者です。オオステルチィ氏は作家で、一般向け科学書を多数執筆しているとのことです。
上・下巻それぞれに、馬場悠男氏の解説が掲載されています。できれば一冊にまとめてもらいたかったものですが、NHKブックスから二冊で刊行されたのはなぜなのでしょうか。それはともかくとして、本書の原書については昨年一度取り上げています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200707article_6.html
当時は購入しようかどうかと迷っていて、もうちょっとフロレシエンシスをめぐる議論の様子を見てからにしようと考えたのですが、けっきょく買わないままで、最近になって日本語訳が刊行されているのを知り、読んでみようと思った次第です。原書の刊行が昨年5月とのことで、おそらく2006年中に執筆はほぼ終わっていたでしょうから、2006年のある時期以降(10月以降?)の情報は本文にはないのですが、フローレス島やその近辺の地理環境・発見にいたる経緯・具体的な発見内容・人骨をめぐる騒動も含めての研究者間の人間関係について、以前よりもずっと詳細に知ることができたので、得たものはたいへん多かったと思います。フロレシエンシスについて興味のある人に強くお勧めしたい一冊です。
本文では2007年以降の情報はないとはいっても、見逃していたり、失念していたり、新たに知ったりしたことも少なからずあります。まずは更新世の東南アジアの気候で、ほとんどの地域は多雨林ではなく、涼しく乾燥した疎林と半落葉林の環境に特徴づけられていた、とのことです。
その更新世でもかなりの温暖期とされる125000年前頃の、ジャワ島のプヌン動物相には、現生人類と確認される人類の歯も含まれている、とのことです。著者たちは、一般的なシナリオからするとこれは古すぎると述べていますが、現生人類が125000年前頃に東南アジアまで進出していた可能性は、検討するに値すると思います。
フロレシエンシスの正基準標本であるLB1は、現代の小型人類を参照して身長106cmと推定されていますが、脳頭蓋が低いことから、じっさいにはもっと低かっただろう、と著者たちは述べています。また、LB1は木登りが得意だったと考えられていますが、手足の指の骨がひじょうに曲がっていることも、木登りをしていたことを示唆している、と述べられています。
著者たちによると、インダス川低地と、ヒマラヤの山裾の丘陵地帯には、少なくとも200万年前と推定される石器が発見されている、とのことです。これはたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。また本書では、ホモ属の起源がアジアにある可能性は低くなく、フロレシエンシスの発見は人類史を大きく書き換えるもしれない、とも指摘されています。
本書はフロレシエンシスについての一般向け書籍であり、フロレシエンシスがどのような人類なのかという説明が主なのは当然ですが、同時に、フロレシエンシスの発見をめぐる醜聞の告発にもかなりの分量が割かれており、読者には暴露本的性格の強さが印象づけられることになるかもしれません。
フロレシエンシスの人骨は、ジャカルタのインドネシア国立考古学研究センターに保管されていました。しかし、著者の一人モーウッド氏も含めて、発掘者たちのほとんどが同意していないにもかかわらず、直接発掘に関わっていないガジャ=マダ大学の古人類学教室へ送られ、発見者たちに返却されたときには人骨が破損していたということで、大問題となりました。
この問題では、ガジャ=マダ大学のテウク=ヤコブ教授が、モーウッド氏ら発掘に携わった研究者たちだけではなく、他の研究者やマスコミからも強く批判されました。ヤコブ氏は昨年亡くなりましたが、そのさいの報道のなかには、ヤコブ氏にたいする悪意に満ちたものもありました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200711article_23.html
監訳者の馬場氏は、モーウッド氏ら発掘チーム側ともヤコブ氏とも面識があり、ヤコブ氏とはとくに親しかったようです。しかし、発掘チームとヤコブ氏らとの対立が激化するにつれて、微妙な立場に追い込まれていき、たいへん苦しい思いをしたようです。現在では、発掘チーム側からの要請に応えて、馬場氏らもフロレシエンシス人骨の研究を進めているとのことで、その成果が大いに期待されます。
ヤコブ氏と親しかった馬場氏は、直接ヤコブ氏から話を聞いています。植民地時代の白人たちがインドネシアからすべてを収奪していき、フロレシエンシスの研究でも、白人たちがインドネシアの研究者を排除し成果を独占しているのは理不尽だ、というのがヤコブ氏の見解です。独立後も、インドネシアのような途上国への配慮に無神経な先進国の研究者がいたことは否定できず、彼らへの嫌悪感がヤコブ氏にあったことを馬場氏は指摘し、そうしたヤコブ氏の感情には共感するところもある、と馬場氏は述べています。
しかし本書を読むと、このリアン=ブア洞窟の発掘にあたって、オーストラリア側に植民地主義的な要素を認めるのは難しく、ガジャ=マダ大学の古人類学教室へ強引に人骨を遅らせたり、無理に人骨のレプリカを作成したために、人骨を傷つけてしまったりしたことも含めて、ヤコブ氏の対応に研究者としてかなりの問題があることは、否定できないように思います。白人研究者だけではなく、インドネシア人研究者もヤコブ氏を批判しており、ヤコブ氏の擁護者のなかには、インドネシア人研究者の立場を尊重するどころか、かえって侮辱している人もいました。
もちろん、本書はモーウッド氏の視点によるものですので、ここには偏向や虚偽があるかもしれません。しかし、ヤコブ氏に同情的なところもある馬場氏も、リアン=ブア洞窟の発掘にかんしては、オーストラリア側のインドネシア側への対応は礼節を尽くしたものであり、非難されるべき問題はまったくない、と指摘しています。さらに、上記のような感情の問題のために、ヤコブ氏はフロレシエンシス問題で過剰反応してしまったのだろう、と馬場氏は述べており、この指摘はおおむね妥当だろうと思います。
モーウッド氏ら発掘に携わった研究者たちとヤコブ氏らの対立の要因は、人骨をめぐる問題だけにあったのではなく、人骨が新種なのか病変の現生人類なのかという解釈をめぐっての問題にもありました。LB1を含むリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群を新種とするモーウッド氏らにたいして、ヤコブ氏らは病変の現生人類と考えました。ヤコブ氏が病変現生人類説を主張した理由として、ヤコブ氏の学位論文の資料は、フローレス島で発見された低身長の現生人類集団の人骨だったので、LB1なども同様の集団だとヤコブ氏は安易に考えてしまったためではなかろうか、と馬場氏は推測しています。
多地域進化説派の大御所であるオーストラリア国立大学教授のアラン=ソーン氏も、病変現生人類説を支持しています。モーウッド氏は、オーストラリア先住民の起源について、ソーン氏とは異なる見解を主張しており、ソーン氏のモーウッド氏への批判は、それが伏線になった可能性が高いのではなかろうか、と馬場氏は指摘しています。
本書の著者たちは、新種説は多地域進化説の立場を危うくするので、多地域進化説派のなかに病変現生人類説を強く主張する研究者がいるのだろう、と指摘しています。新種説が多地域進化説にとって都合が悪いだろうということは、他の研究者も指摘しています(河合.,2007,P193)。確かに、遺伝子交換をしつつ、世界各地で古人類がほぼ同時にサピエンスに進化したとする旧来の多地域進化説や、エレクトスをもサピエンスとみなす新多地域進化説にとって、ホモ属において現生人類とは大きく異なる人類の進化は認めがたいでしょう。
しかし、本書でたびたび指摘されているように、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との類似性を考慮に入れると、フロレシエンシスが、アウストラロピテクス属か、ホモ属とアウストラロピテクス属との中間的な人類集団から進化した可能性もありますから、必ずしも新種説が多地域進化説にとって不利とは言えないでしょう。なお、多地域進化説派の大御所であるミルフォード=ウォルポフ氏は、フロレシエンシスがアウストラロピテクス属から進化した可能性を指摘しています(馬場.,2005,P77)。ただ著者たちは、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との類似性は、収斂進化によるものかもしれない、とも指摘しています。
ヤコブ氏やソーン氏が多地域進化説維持のために病変現生人類説を主張していたのか、外部からはよく分かりませんが、その可能性もあるとは思います。しかし、病変現生人類説を支持する研究者全員の、現生人類の進化についての見解を把握しているわけではないので、断言はできないにしても、病変現生人類説を主張した研究が少なからず公表されていることから推測すると、現生人類単一起源説の支持者のなかにも、おそらくは病変現生人類説の支持者がいることでしょう。多地域進化説と病変現生人類説との結びつきを強く指摘した本書の見解には、疑問の残るところです。
このブログで取り上げた、原書執筆以降と思われるフロレシエンシス関連の研究や出来事についての記事は、以下の通りです。本書は、フロレシエンシスを発掘し、新種説との論文を発表した当事者の執筆になるものですから、当然のことながら、フロレシエンシスの正基準標本とされるLB1を病変の現生人類とする見解は、根拠がないとして退けています。
ただ、原書執筆後にも病変現生人類説が色々と提示されており、新種説にたいする異論には根強いものがあります。とくに注目されるのは、パラオ諸島で発見された小柄な現生人類集団で、原始的とされたLB1の特徴のいくつかが、原始的とは言えない可能性も出てきました。
しかし、現時点で総合的に判断すれば、フロレシエンシスは現生人類ではなく、かなり古い時代(エレクトスがハビリス的な集団の一部から進化しつつあった時)に、現生人類の祖先集団と分岐した集団を祖先にもつ、人類の新種と考えるのが妥当なように思えます。
フロレシエンシスは小頭症の現生人類との論文が発表される
https://sicambre.seesaa.net/article/200610article_11.html
リアン=ブア洞窟の再発掘が許可される。
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_27.html
フロレシエンシスは解剖学的に新種の人類との研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_32.html
フロレシエンシスの解剖学的検討
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_32.html
フロレシエンシスの形態は島嶼化によるものとの研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200704article_26.html
フロレシエンシスを発見した調査団の発掘計画
https://sicambre.seesaa.net/article/200705article_23.html
フロレシエンシスの上腕や肩についての研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200708article_19.html
東南アジア島嶼部の石器をめぐる議論
https://sicambre.seesaa.net/article/200709article_5.html
手首の研究から示されるフロレシエンシス新種説
https://sicambre.seesaa.net/article/200709article_23.html
フロレシエンシスと共伴した石器をめぐる議論
https://sicambre.seesaa.net/article/200710article_13.html
フロレシエンシスは発達障害を伴う突然変異を有する現生人類?
https://sicambre.seesaa.net/article/200801article_8.html
フロレシエンシスはクレチン病を患った現生人類との見解について
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_31.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_36.html
パラオ諸島でフロレシエンシスと類似した人骨が発見される
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_54.html
フロレシエンシスとエレクトスやハビリスとの類似性
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_68.html
足の分析から支持されるフロレシエンシス新種説
https://sicambre.seesaa.net/article/200804article_20.html
フロレシエンシスの近縁集団はオーストラリアに進出?
https://sicambre.seesaa.net/article/200805article_29.html
参考文献:
Morwood M, and Oosterzee PV.著(2008)、馬場悠男監訳、仲村明子翻訳『ホモ・フロレシエンシス』上・下(日本放送出版協会、原書の刊行は2007年)
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)
https://sicambre.seesaa.net/article/200711article_13.html
馬場悠男編(2005)『別冊日経サイエンス 人間性の進化』(日経サイエンス社)
上・下巻それぞれに、馬場悠男氏の解説が掲載されています。できれば一冊にまとめてもらいたかったものですが、NHKブックスから二冊で刊行されたのはなぜなのでしょうか。それはともかくとして、本書の原書については昨年一度取り上げています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200707article_6.html
当時は購入しようかどうかと迷っていて、もうちょっとフロレシエンシスをめぐる議論の様子を見てからにしようと考えたのですが、けっきょく買わないままで、最近になって日本語訳が刊行されているのを知り、読んでみようと思った次第です。原書の刊行が昨年5月とのことで、おそらく2006年中に執筆はほぼ終わっていたでしょうから、2006年のある時期以降(10月以降?)の情報は本文にはないのですが、フローレス島やその近辺の地理環境・発見にいたる経緯・具体的な発見内容・人骨をめぐる騒動も含めての研究者間の人間関係について、以前よりもずっと詳細に知ることができたので、得たものはたいへん多かったと思います。フロレシエンシスについて興味のある人に強くお勧めしたい一冊です。
本文では2007年以降の情報はないとはいっても、見逃していたり、失念していたり、新たに知ったりしたことも少なからずあります。まずは更新世の東南アジアの気候で、ほとんどの地域は多雨林ではなく、涼しく乾燥した疎林と半落葉林の環境に特徴づけられていた、とのことです。
その更新世でもかなりの温暖期とされる125000年前頃の、ジャワ島のプヌン動物相には、現生人類と確認される人類の歯も含まれている、とのことです。著者たちは、一般的なシナリオからするとこれは古すぎると述べていますが、現生人類が125000年前頃に東南アジアまで進出していた可能性は、検討するに値すると思います。
フロレシエンシスの正基準標本であるLB1は、現代の小型人類を参照して身長106cmと推定されていますが、脳頭蓋が低いことから、じっさいにはもっと低かっただろう、と著者たちは述べています。また、LB1は木登りが得意だったと考えられていますが、手足の指の骨がひじょうに曲がっていることも、木登りをしていたことを示唆している、と述べられています。
著者たちによると、インダス川低地と、ヒマラヤの山裾の丘陵地帯には、少なくとも200万年前と推定される石器が発見されている、とのことです。これはたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。また本書では、ホモ属の起源がアジアにある可能性は低くなく、フロレシエンシスの発見は人類史を大きく書き換えるもしれない、とも指摘されています。
本書はフロレシエンシスについての一般向け書籍であり、フロレシエンシスがどのような人類なのかという説明が主なのは当然ですが、同時に、フロレシエンシスの発見をめぐる醜聞の告発にもかなりの分量が割かれており、読者には暴露本的性格の強さが印象づけられることになるかもしれません。
フロレシエンシスの人骨は、ジャカルタのインドネシア国立考古学研究センターに保管されていました。しかし、著者の一人モーウッド氏も含めて、発掘者たちのほとんどが同意していないにもかかわらず、直接発掘に関わっていないガジャ=マダ大学の古人類学教室へ送られ、発見者たちに返却されたときには人骨が破損していたということで、大問題となりました。
この問題では、ガジャ=マダ大学のテウク=ヤコブ教授が、モーウッド氏ら発掘に携わった研究者たちだけではなく、他の研究者やマスコミからも強く批判されました。ヤコブ氏は昨年亡くなりましたが、そのさいの報道のなかには、ヤコブ氏にたいする悪意に満ちたものもありました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200711article_23.html
監訳者の馬場氏は、モーウッド氏ら発掘チーム側ともヤコブ氏とも面識があり、ヤコブ氏とはとくに親しかったようです。しかし、発掘チームとヤコブ氏らとの対立が激化するにつれて、微妙な立場に追い込まれていき、たいへん苦しい思いをしたようです。現在では、発掘チーム側からの要請に応えて、馬場氏らもフロレシエンシス人骨の研究を進めているとのことで、その成果が大いに期待されます。
ヤコブ氏と親しかった馬場氏は、直接ヤコブ氏から話を聞いています。植民地時代の白人たちがインドネシアからすべてを収奪していき、フロレシエンシスの研究でも、白人たちがインドネシアの研究者を排除し成果を独占しているのは理不尽だ、というのがヤコブ氏の見解です。独立後も、インドネシアのような途上国への配慮に無神経な先進国の研究者がいたことは否定できず、彼らへの嫌悪感がヤコブ氏にあったことを馬場氏は指摘し、そうしたヤコブ氏の感情には共感するところもある、と馬場氏は述べています。
しかし本書を読むと、このリアン=ブア洞窟の発掘にあたって、オーストラリア側に植民地主義的な要素を認めるのは難しく、ガジャ=マダ大学の古人類学教室へ強引に人骨を遅らせたり、無理に人骨のレプリカを作成したために、人骨を傷つけてしまったりしたことも含めて、ヤコブ氏の対応に研究者としてかなりの問題があることは、否定できないように思います。白人研究者だけではなく、インドネシア人研究者もヤコブ氏を批判しており、ヤコブ氏の擁護者のなかには、インドネシア人研究者の立場を尊重するどころか、かえって侮辱している人もいました。
もちろん、本書はモーウッド氏の視点によるものですので、ここには偏向や虚偽があるかもしれません。しかし、ヤコブ氏に同情的なところもある馬場氏も、リアン=ブア洞窟の発掘にかんしては、オーストラリア側のインドネシア側への対応は礼節を尽くしたものであり、非難されるべき問題はまったくない、と指摘しています。さらに、上記のような感情の問題のために、ヤコブ氏はフロレシエンシス問題で過剰反応してしまったのだろう、と馬場氏は述べており、この指摘はおおむね妥当だろうと思います。
モーウッド氏ら発掘に携わった研究者たちとヤコブ氏らの対立の要因は、人骨をめぐる問題だけにあったのではなく、人骨が新種なのか病変の現生人類なのかという解釈をめぐっての問題にもありました。LB1を含むリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群を新種とするモーウッド氏らにたいして、ヤコブ氏らは病変の現生人類と考えました。ヤコブ氏が病変現生人類説を主張した理由として、ヤコブ氏の学位論文の資料は、フローレス島で発見された低身長の現生人類集団の人骨だったので、LB1なども同様の集団だとヤコブ氏は安易に考えてしまったためではなかろうか、と馬場氏は推測しています。
多地域進化説派の大御所であるオーストラリア国立大学教授のアラン=ソーン氏も、病変現生人類説を支持しています。モーウッド氏は、オーストラリア先住民の起源について、ソーン氏とは異なる見解を主張しており、ソーン氏のモーウッド氏への批判は、それが伏線になった可能性が高いのではなかろうか、と馬場氏は指摘しています。
本書の著者たちは、新種説は多地域進化説の立場を危うくするので、多地域進化説派のなかに病変現生人類説を強く主張する研究者がいるのだろう、と指摘しています。新種説が多地域進化説にとって都合が悪いだろうということは、他の研究者も指摘しています(河合.,2007,P193)。確かに、遺伝子交換をしつつ、世界各地で古人類がほぼ同時にサピエンスに進化したとする旧来の多地域進化説や、エレクトスをもサピエンスとみなす新多地域進化説にとって、ホモ属において現生人類とは大きく異なる人類の進化は認めがたいでしょう。
しかし、本書でたびたび指摘されているように、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との類似性を考慮に入れると、フロレシエンシスが、アウストラロピテクス属か、ホモ属とアウストラロピテクス属との中間的な人類集団から進化した可能性もありますから、必ずしも新種説が多地域進化説にとって不利とは言えないでしょう。なお、多地域進化説派の大御所であるミルフォード=ウォルポフ氏は、フロレシエンシスがアウストラロピテクス属から進化した可能性を指摘しています(馬場.,2005,P77)。ただ著者たちは、フロレシエンシスとアウストラロピテクス属との類似性は、収斂進化によるものかもしれない、とも指摘しています。
ヤコブ氏やソーン氏が多地域進化説維持のために病変現生人類説を主張していたのか、外部からはよく分かりませんが、その可能性もあるとは思います。しかし、病変現生人類説を支持する研究者全員の、現生人類の進化についての見解を把握しているわけではないので、断言はできないにしても、病変現生人類説を主張した研究が少なからず公表されていることから推測すると、現生人類単一起源説の支持者のなかにも、おそらくは病変現生人類説の支持者がいることでしょう。多地域進化説と病変現生人類説との結びつきを強く指摘した本書の見解には、疑問の残るところです。
このブログで取り上げた、原書執筆以降と思われるフロレシエンシス関連の研究や出来事についての記事は、以下の通りです。本書は、フロレシエンシスを発掘し、新種説との論文を発表した当事者の執筆になるものですから、当然のことながら、フロレシエンシスの正基準標本とされるLB1を病変の現生人類とする見解は、根拠がないとして退けています。
ただ、原書執筆後にも病変現生人類説が色々と提示されており、新種説にたいする異論には根強いものがあります。とくに注目されるのは、パラオ諸島で発見された小柄な現生人類集団で、原始的とされたLB1の特徴のいくつかが、原始的とは言えない可能性も出てきました。
しかし、現時点で総合的に判断すれば、フロレシエンシスは現生人類ではなく、かなり古い時代(エレクトスがハビリス的な集団の一部から進化しつつあった時)に、現生人類の祖先集団と分岐した集団を祖先にもつ、人類の新種と考えるのが妥当なように思えます。
フロレシエンシスは小頭症の現生人類との論文が発表される
https://sicambre.seesaa.net/article/200610article_11.html
リアン=ブア洞窟の再発掘が許可される。
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_27.html
フロレシエンシスは解剖学的に新種の人類との研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200701article_32.html
フロレシエンシスの解剖学的検討
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_32.html
フロレシエンシスの形態は島嶼化によるものとの研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200704article_26.html
フロレシエンシスを発見した調査団の発掘計画
https://sicambre.seesaa.net/article/200705article_23.html
フロレシエンシスの上腕や肩についての研究
https://sicambre.seesaa.net/article/200708article_19.html
東南アジア島嶼部の石器をめぐる議論
https://sicambre.seesaa.net/article/200709article_5.html
手首の研究から示されるフロレシエンシス新種説
https://sicambre.seesaa.net/article/200709article_23.html
フロレシエンシスと共伴した石器をめぐる議論
https://sicambre.seesaa.net/article/200710article_13.html
フロレシエンシスは発達障害を伴う突然変異を有する現生人類?
https://sicambre.seesaa.net/article/200801article_8.html
フロレシエンシスはクレチン病を患った現生人類との見解について
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_31.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_36.html
パラオ諸島でフロレシエンシスと類似した人骨が発見される
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_54.html
フロレシエンシスとエレクトスやハビリスとの類似性
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_68.html
足の分析から支持されるフロレシエンシス新種説
https://sicambre.seesaa.net/article/200804article_20.html
フロレシエンシスの近縁集団はオーストラリアに進出?
https://sicambre.seesaa.net/article/200805article_29.html
参考文献:
Morwood M, and Oosterzee PV.著(2008)、馬場悠男監訳、仲村明子翻訳『ホモ・フロレシエンシス』上・下(日本放送出版協会、原書の刊行は2007年)
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)
https://sicambre.seesaa.net/article/200711article_13.html
馬場悠男編(2005)『別冊日経サイエンス 人間性の進化』(日経サイエンス社)
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