アフリカにおける初期現生人類集団の動向
ミトコンドリアDNAの分析から、アフリカにおける初期現生人類集団の動向を推測した研究(Behar et al.,2008)が報道されました。この研究では、サハラ砂漠以南のアフリカ人624人分のミトコンドリアDNAの完全な塩基配列に基づいて、ハプログループ単位の系統樹が作成され、初期現生人類集団の動向が推測されています。ミトコンドリアDNAの系統樹でまず大きく分かれるのは、ハプログループL0系統とL1~5系統です。後者のなかのL3系統から分岐したM系統とN系統のみが、出アフリカを果たしたと考えられていますが、M・N系統の一部はアフリカに帰還しています。現代のアフリカ人はおおむね、L0系統とL1~5系統の両方を有しています。
この研究では、アフリカ南部のコイサン族が注目されています。コイサン族には、父系(Y染色体)・母系(ミトコンドリア)ともにもっとも深い分岐を示す系統が見られ、独特の狩猟採集生活を伝えていると考えられているからです。コイサン族内ではL0d系統とL0k系統が高頻度(60%)で見られ、その内部に大きな多様性が見られます。したがって、L0d系統とL0k系統はコイサン族(またはその祖先集団)で長期の進化を遂げてきたのであり、コイサン族以外に認められるL0系統は、コイサン族(またはその祖先集団)に由来すると考えられます。逆に、コイサン族にも見られるL1~5系統は、コイサン族以外の集団に高頻度で見られ、その内部に大きな多様性が見られます。したがって、コイサン族のL1~5系統は、他の集団に由来すると考えられます。
L0系統とL1~5系統の分岐は21~14万年前頃と推定されますが、アフリカのどこで起きたかはまだ不明です。おそらくその時期の現生人類(ホモ=サピエンス)は小集団で、L0系統とL1~5系統という二つの系統に分岐し、L0系統はアフリカ南部に、L1~5系統はアフリカ東部に居住したと考えられます。アフリカ南部で進化したL0系統において、まずL0d系統とL0abfk系統が分岐した後、144000年前頃後者において、コイサン族に見られるL0k系統と、コイサン族以外に見られるL0abf系統が分岐します。この頃に、L0abf系統がアフリカ南部からもアフリカ東部へ移住したと考えられますが、それはアフリカ東部の環境条件がアフリカ南部よりもよかったためかもしれません。
その後、アフリカ東部の気候条件の悪化もあり、アフリカの東部および南部の人類は、それぞれ孤立したままでした。こうした状況が4万年前以降に変わり、再び人類の移動が活発になったのは、後期石器時代の発展した文化の普及と、環境条件の改善のためだと思われます。こうして、中期石器時代にはL0d系統とL0k系統のみだったと思われるコイサン族の祖先集団に、アフリカ東部由来のL1~5系統が浸透することになり、完新世になってのバンツー族の大移動により、さらに多くのL1~5系統がコイサン族に浸透することになったと思われます。またこの研究では、出アフリカ時の現生人類のミトコンドリアDNAの系統は、現在では消滅したものも含めて多数あった、とも推測されています。ミトコンドリアDNAの系統は、頻繁に消滅するようです。
この研究にたいしては、批判もなされています。アフリカの集団遺伝学の専門家サラー=ティシュコフ博士は、コイサン族(の祖先集団)はアフリカ東部系と推定されている系統の多くを有していたものの、時間の経過によりそれらが失われた可能性があることと、ミトコンドリアDNAの系統の分岐年代と、じっさいの人類集団の分岐年代の関係についても、さまざまな可能性が考えられることを指摘しています。
遺伝子データからの人類史の復元が有効であることは間違いありませんが、限界があることも否定できません。現生人類の進化史において、10数万年前~4万年前頃にかけてアフリカ東部と南部が分断されており、遺伝的交流がなかったとするこの研究の見解については、疑問の残るところです。サハラ砂漠以南のアフリカにおいて、大きな技術・経済・社会変化が8~7万年前頃に起きたとすると(Mellars.,2006)、その頃よりアフリカ東部と南部の間で、人類の遺伝的交流があったとしても不思議ではないでしょう。
参考文献:
Behar DM. et al.(2008): The Dawn of Human Matrilineal Diversity. The American Journal of Human Genetics, 82, 5, 1130-1140.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2008.04.002
Mellars P.(2006): Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. PNAS, 103, 25, 9381-9386.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0510792103
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L0系統とL1~5系統の分岐は21~14万年前頃と推定されますが、アフリカのどこで起きたかはまだ不明です。おそらくその時期の現生人類(ホモ=サピエンス)は小集団で、L0系統とL1~5系統という二つの系統に分岐し、L0系統はアフリカ南部に、L1~5系統はアフリカ東部に居住したと考えられます。アフリカ南部で進化したL0系統において、まずL0d系統とL0abfk系統が分岐した後、144000年前頃後者において、コイサン族に見られるL0k系統と、コイサン族以外に見られるL0abf系統が分岐します。この頃に、L0abf系統がアフリカ南部からもアフリカ東部へ移住したと考えられますが、それはアフリカ東部の環境条件がアフリカ南部よりもよかったためかもしれません。
その後、アフリカ東部の気候条件の悪化もあり、アフリカの東部および南部の人類は、それぞれ孤立したままでした。こうした状況が4万年前以降に変わり、再び人類の移動が活発になったのは、後期石器時代の発展した文化の普及と、環境条件の改善のためだと思われます。こうして、中期石器時代にはL0d系統とL0k系統のみだったと思われるコイサン族の祖先集団に、アフリカ東部由来のL1~5系統が浸透することになり、完新世になってのバンツー族の大移動により、さらに多くのL1~5系統がコイサン族に浸透することになったと思われます。またこの研究では、出アフリカ時の現生人類のミトコンドリアDNAの系統は、現在では消滅したものも含めて多数あった、とも推測されています。ミトコンドリアDNAの系統は、頻繁に消滅するようです。
この研究にたいしては、批判もなされています。アフリカの集団遺伝学の専門家サラー=ティシュコフ博士は、コイサン族(の祖先集団)はアフリカ東部系と推定されている系統の多くを有していたものの、時間の経過によりそれらが失われた可能性があることと、ミトコンドリアDNAの系統の分岐年代と、じっさいの人類集団の分岐年代の関係についても、さまざまな可能性が考えられることを指摘しています。
遺伝子データからの人類史の復元が有効であることは間違いありませんが、限界があることも否定できません。現生人類の進化史において、10数万年前~4万年前頃にかけてアフリカ東部と南部が分断されており、遺伝的交流がなかったとするこの研究の見解については、疑問の残るところです。サハラ砂漠以南のアフリカにおいて、大きな技術・経済・社会変化が8~7万年前頃に起きたとすると(Mellars.,2006)、その頃よりアフリカ東部と南部の間で、人類の遺伝的交流があったとしても不思議ではないでしょう。
参考文献:
Behar DM. et al.(2008): The Dawn of Human Matrilineal Diversity. The American Journal of Human Genetics, 82, 5, 1130-1140.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2008.04.002
Mellars P.(2006): Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. PNAS, 103, 25, 9381-9386.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0510792103
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