NHKスペシャル『病の起源第2集 骨と皮膚の病~それは“出アフリカ”に始まった~』
現代人の病の起源を人類進化史に求めるシリーズ(全6回)の第2回です。肌の色と環境適応の問題が取り上げられましたが、これは人類進化史に関心のある人にとっては馴染みのあることだったと思います。
今回の疑問点はいくつかありますが、一つ目は、タンザニアのハザ族が初期ホモ=サピエンス(現生人類)の姿に近いと紹介されたことです。サハラ砂漠以南のアフリカ人も現生人類の誕生以降進化し続けているわけで、こうした紹介は誤解を招くものではないでしょうか。二つ目は、出アフリカの経路として、アフリカ東部→アラビア半島が無視され、アフリカ北部→スエズ地峡→レヴァントのみが紹介されたことです。
三番目は、出アフリカ後、距離のわりには、オーストラリアへの移住が早かったのにたいして、欧州への移住が遅れたのは、環境の違いが要因だと紹介されたことです。確かにそれも一因だった可能性は高いのですが、南アジアや東南アジアと欧州との、先住人類の人口密度の違いも一因だったかもしれません。つまり、欧州にはネアンデルタール人がそれなりにいたのにたいして、南アジアや東南アジアには先住人類がほとんどいなかったか絶滅しており、オーストラリアは現生人類が移住するまで無人の地だったからではないのか、ということです。ただ、今後南アジアや東南アジアで人骨・人工遺物の発見が増加した場合は、この仮説は見直さなければなりませんが。
最後は、高緯度の欧州に進出した現生人類は肌の色が薄かっただろう、との説明です。これは通説と言ってよいと思うのですが、最近になって、肌の色に関わる遺伝子の一つとされる‘SLC24A5’の分析から、欧州の現生人類の肌の色が薄くなったのは12000~6000年前という最近のことではないか、と指摘した研究が報道されています(Gibbons et al., 2007)。
上記報道では、欧州の初期現生人類の肌の色が濃かっただろうということは、30年前に遺伝学者のルーカ=カヴァリ=スフォルツァ博士が示唆していた、と指摘されています。スフォルツァ博士によると、肌の色が薄くなったのは農業の開始とも関わっているだろう、とのことです。
番組でも、高緯度地域に住むイヌイットの肌の色が薄くない理由が説明されていましたが、同様の理由で、狩猟・採集・漁撈で生計を立てていた更新世の欧州の現生人類も、肌の色が薄くなくても生きていけたのではないか、と推測されています。しかし、農業の開始により食事でのビタミンD摂取量が減ったため、肌の色の薄さが生存に有利になり、集団に広まったのではないか、というわけです。スフォルツァ博士は碩学だけあって、やはり先見性があるものだと思います。
もっとも、肌の色に関わる遺伝子は複数存在すると思われるだけに、古人類の肌の色については、現時点では断定は避けるのが妥当なところでしょう。‘SLC24A5’以外に肌の色に関わる遺伝子としては、昨年10月26日分の記事で取り上げた‘MC1R’も知られています(Lalueza-Fox et al., 2007)。
ネアンデルタール人にも、現代人とは異なる型ながら、現代人と同様に色素形成機能を減少させる‘MC1R’が発見され、ネアンデルタール人と現生人類には、それぞれ別に色素形成機能を減少させる変異が生じたのではないか、と推測されています。そうすると、肌の色の変化は、人類進化史においてさほど珍しいことではないのかもしれません。
参考文献:
Gibbons A.(2007): AMERICAN ASSOCIATION OF PHYSICAL ANTHROPOLOGISTS MEETING: European Skin Turned Pale Only Recently, Gene Suggests. Science, 316, 5823, 364.
http://dx.doi.org/10.1126/science.316.5823.364a
Lalueza-Fox C. et al.(2007): A Melanocortin 1 Receptor Allele Suggests Varying Pigmentation Among Neanderthals. Science, 318, 5855, 1453-1455.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1147417
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今回の疑問点はいくつかありますが、一つ目は、タンザニアのハザ族が初期ホモ=サピエンス(現生人類)の姿に近いと紹介されたことです。サハラ砂漠以南のアフリカ人も現生人類の誕生以降進化し続けているわけで、こうした紹介は誤解を招くものではないでしょうか。二つ目は、出アフリカの経路として、アフリカ東部→アラビア半島が無視され、アフリカ北部→スエズ地峡→レヴァントのみが紹介されたことです。
三番目は、出アフリカ後、距離のわりには、オーストラリアへの移住が早かったのにたいして、欧州への移住が遅れたのは、環境の違いが要因だと紹介されたことです。確かにそれも一因だった可能性は高いのですが、南アジアや東南アジアと欧州との、先住人類の人口密度の違いも一因だったかもしれません。つまり、欧州にはネアンデルタール人がそれなりにいたのにたいして、南アジアや東南アジアには先住人類がほとんどいなかったか絶滅しており、オーストラリアは現生人類が移住するまで無人の地だったからではないのか、ということです。ただ、今後南アジアや東南アジアで人骨・人工遺物の発見が増加した場合は、この仮説は見直さなければなりませんが。
最後は、高緯度の欧州に進出した現生人類は肌の色が薄かっただろう、との説明です。これは通説と言ってよいと思うのですが、最近になって、肌の色に関わる遺伝子の一つとされる‘SLC24A5’の分析から、欧州の現生人類の肌の色が薄くなったのは12000~6000年前という最近のことではないか、と指摘した研究が報道されています(Gibbons et al., 2007)。
上記報道では、欧州の初期現生人類の肌の色が濃かっただろうということは、30年前に遺伝学者のルーカ=カヴァリ=スフォルツァ博士が示唆していた、と指摘されています。スフォルツァ博士によると、肌の色が薄くなったのは農業の開始とも関わっているだろう、とのことです。
番組でも、高緯度地域に住むイヌイットの肌の色が薄くない理由が説明されていましたが、同様の理由で、狩猟・採集・漁撈で生計を立てていた更新世の欧州の現生人類も、肌の色が薄くなくても生きていけたのではないか、と推測されています。しかし、農業の開始により食事でのビタミンD摂取量が減ったため、肌の色の薄さが生存に有利になり、集団に広まったのではないか、というわけです。スフォルツァ博士は碩学だけあって、やはり先見性があるものだと思います。
もっとも、肌の色に関わる遺伝子は複数存在すると思われるだけに、古人類の肌の色については、現時点では断定は避けるのが妥当なところでしょう。‘SLC24A5’以外に肌の色に関わる遺伝子としては、昨年10月26日分の記事で取り上げた‘MC1R’も知られています(Lalueza-Fox et al., 2007)。
ネアンデルタール人にも、現代人とは異なる型ながら、現代人と同様に色素形成機能を減少させる‘MC1R’が発見され、ネアンデルタール人と現生人類には、それぞれ別に色素形成機能を減少させる変異が生じたのではないか、と推測されています。そうすると、肌の色の変化は、人類進化史においてさほど珍しいことではないのかもしれません。
参考文献:
Gibbons A.(2007): AMERICAN ASSOCIATION OF PHYSICAL ANTHROPOLOGISTS MEETING: European Skin Turned Pale Only Recently, Gene Suggests. Science, 316, 5823, 364.
http://dx.doi.org/10.1126/science.316.5823.364a
Lalueza-Fox C. et al.(2007): A Melanocortin 1 Receptor Allele Suggests Varying Pigmentation Among Neanderthals. Science, 318, 5855, 1453-1455.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1147417
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