崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』第2刷(2)
前編の続きです。
日本列島の多様性
日本列島中間部へは多様な文明・文化がいろいろな時代に入ってきて、それら多様な文化が重層化し、あるいは共存していることがうかがわれます。そのため、日本列島中間部の多様性は金属器時代以降も維持され、その時々でいくつもの文化圏が並存しており、その集積が現在の日本列島中間部において地域ごとに異なる文化や言語を生み出しているようです。また遺伝的にも、ユーラシアではチベットをのぞいてほとんど駆逐されてしまったD2系統が高頻度で確認されているように、日本列島中間部では遺伝的多様性が維持されてきました。
北海道と琉球も含めると、日本列島の多様性はさらに大きくなります。日本列島における多様性の維持は、各集団間が没交渉的に共存してきたというよりも、あるていどの関わりあいのなかで、一方が他方を抹殺することなく助けあってきたような状況があったからとも考えられます。つまり、単なる共存ではなく、もっと積極的な共生というものだったのでしょう。このように、日本列島において異なる出自の集団が共存して多様性が維持されてきた理由は、次のように考えられます。
●気候が温暖で降雨量が多く、暖温帯林および冷温帯林の豊かな植物相が存在します。この温暖湿潤な気候は、新石器時代からの雑穀農耕による積極的な栄養源確保の方法の開拓にも、好条件を提供したと思われます。同様に豊かな植物相は、タンパク源の哺乳動物にも好都合な生存環境を提供したと思われます。
●日本列島の周囲には暖流や寒流などによるプランクトンの豊かな海があり、新石器時代に導入された漁撈技術により、安定的タンパク源となる漁獲を提供してきたとも考えられます。
●豊かな環境要因と低い人口密度であれば、大きな争いがなくても安定的生存を可能にしたのと思われます。
●金属器時代以降、ユーラシア東部の混乱により難民化した人々は、小規模な集団で数次にわたり少しずつ移動してきたと推定されていますが、水稲農耕や金属器などの新技術を日本列島に持ち込むことによって、先住系の人々と争うよりも平和共存の道を選んだと考えられ、東アジア行なわれたような民族間の争いは日本列島では起きなかったようです。
日本列島における多様性の喪失
弱者に優しい多様性維持が日本列島の伝統的特徴でしたが、欧米に倣って中央集権的国民国家の成立を目指した近代以降、それは失われてしまいます。特定地域(領地)に唯一の国民をもつことを前提としている国民国家という枠組みは、多くの国家で実情と合わず、非現実的である種の幻想でしかありません。この国民国家という非現実的な概念と多民族共存という現実のきしみの結果、一つの国家に本来存在する複数民族の共存や複数言語の存続が脅かされ、強大な一つの集団の支配下でその多様性が失われてしまう危険性にさらされ、国家内のさまざまな伝統的価値観の消失、さらには多様性の喪失につながっていきました。
現在、国民国家の起源地である西欧では地域主義の流れが定着しつつあり、地域言語の保護も進められつつあります。しかし日本列島は、西欧の潮流とは異なり、相変わらず19世紀的な古い国民国家の問題点を自らの手で克服できないまま、現在に至っています。19世紀後半以降、急速なアイヌ民族の同化やアイヌ文化・アイヌ語の喪失が進んできており、それは琉球でも同様です。日本列島中間部でも、東京文化圏による文化・経済・言語的支配が強まり、急速にその多様性が失われてきています。とくにマスメディアの発達した1960年代以降、言語的多様性の喪失にともなう地域語・方言の消滅傾向が、地域固有の伝統的文化の弱体化を招いています。
こうした日本列島において、欧州文明の影響下にある国民国家という概念は、むしろ日本列島の伝統的価値観の喪失に拍車をかけています。海外においても、中央集権主義は地方分権主義に対立する概念であり、地域ナショナリズムの中核として、国家語とは異なる地域固有言語が、そのアイデンティティ形成に大きな役割を果たしていることが指摘されています。国家とは異なる次元において現実に存在する諸民族のあり方を、日本列島においても真剣に再検討する時期に来ているものと考えられます。
また、20世紀末の通信や交通の発達による経済のグローバル化が、全世界的に文化・言語の多様性喪失に拍車をかけていると指摘されています。このグローバル化は米国主導下で行なわれており、欧州文明の延長線上にある米国による覇権主義の一形態だと理解されます。支配的文化・言語からの同化圧力は、劣位に置かれた文化・言語の有用性をさらに低下させ、その存続の意味をも失わせてしまいます。日本列島内において支配的な東京語圏が日本列島内部の多様性を喪失させてきましたが、その一方で、米国や中国というもっとグローバルな支配力をもった言語文化圏からの同化圧力が、東京語圏およびその支配下の日本列島全域に及ぶことが今後懸念されます。こうした懸念は、シベリアなど日本列島の周辺地域にも当てはまります。
多様性維持の提言
文明の衝突の世紀として位置づけられる殺伐とした21世紀のなかで、欧州・キリスト教文明的な支配の原理とは異なる共生の原理という対案を示すにあたって、共生の原理による多様性維持という日本列島の伝統は新たな価値を提示できそうであり、それは世界の平和と多文化共存に貢献できる機会になると思われます。そのためには、日本列島中間部における言語的多様性を維持するとともに、琉球およびアイヌ民族との関係を変える必要があります。
琉球を日本の他地域と同格の県としてきたことは、琉球が別国家だったという歴史の独自性や民族的アイデンティティを無化させることにつながっています。民族自決権の観点からは、あるていどの自己決定権をもつ自治政府の下で、琉球語の正常化のプロセスが開始されることが望ましく、地域公用語を伴う複数の国民・民族の存在が法的に認められているスペインの事例が参考になりそうです。
アイヌ民族は琉球とは異なり、一つの国家を形成するまでには至りませんでしたが、国家形成の有無を問わず、一つの民族としてままとまりがある集団については、その固有文化・固有言語を保護し維持することが今や世界の潮流となっています。北海道の地名を正しいアイヌ語として表示することは、地域の共有資産として地域アイデンティティの核になりうるものであり、日本列島における多民族共存の現実を示すことで、支配の原理ではなく、共生の原理を現実化・具体化するものとしての意義もあります。
また、地名を通してのアイヌ語の言語保護が、アイヌ民族以外にとっても、地域の共有資産の認知や地域アイデンティティの確立に寄与するとともに、地域を超えて普遍的な原理転換、つまり過去の支配から未来の共生原理への転換に寄与する可能性すら想定できます。ただし、中心はあくまでアイヌ民族にあり、アイヌ民族の主体性を脅かすことがないような配慮が必要です。
アイヌ民族に関連するもう一つの問題は、アイヌ民族の先住民としての権利が法的に保障されていないことです。先住民は先住民独自の国籍・民族所属性をもつ権利があります。つまり、アイヌ民族個人は先住民としてのアイヌ民族へ所属する権利を持ち、それは上位の国家としての日本国の国籍と同様の意味をもちます。
アイヌ民族の伝統的文化・生活様式やアイヌ語の復興・維持・継承の問題は、単にアイヌ民族だけの問題ではなく、21世紀という文明の衝突の世紀のなかで、それを日本列島における貴重な精神的遺産として共有することに大きな意味があります。アイヌ文化は、欧州・キリスト教文明やイスラーム文明や中華文明とは異なる対案を示しうる、21世紀の世界を覆う支配の原理とは異なる共生の原理を内包する文化として、現代社会にたいして独自の貢献が図れる可能性を秘めています。
アイヌ伝統的文化とアイヌ語の再生・継承は、日本列島に居住する我々の義務です。この日本列島において伝統的だった多様性維持を再評価し、それを普遍的な言葉でもって国際的に発信することで、共生の原理による世界的な民族紛争や文明間の対立の回避・緩和を進める可能性と機会が、我々の手元にあるのではないでしょうか。
疑問点
日本人起源論について包括的な説明がなされた本書は良書と言ってよく、現代の地理区分・国境線による区分を過去にそのまま当てはめることの問題点を、改めて認識させられます。ただ、疑問点も少なからずあるので、以下列挙していきます。
本題とあまり関わりないところでは、人類の系統とチンパンジーの系統との470万年前頃という分岐年代は新しすぎるのではないかということと、現生人類はネアンデルタール人の血を引いていないとの見解に疑問があります。現生人類とネアンデルタール人との混血の可能性を指摘した論文は少なくありません(関連記事)。また、ミトコンドリアやY染色体のDNA分析から得られた、母系・父系における現代人にとっての最終共通祖先を、現生人類の起源と結びつける見解も疑問で、遺伝学上のイヴやアダムの追及と、現生人類の起源の追求とは別の概念・問題です。以下、本題についての疑問です。
全体的に、DNA分析による人類の移動の復元は興味深いのですが、本書ではその限界についての言及が弱いように思われます。研究者を対象とした論文ならそれでもよいのでしょうが、一般向け書籍としてはやや配慮が足りないのではないでしょうか。この点は、類書(篠田.,2007)と対照的です。Y染色体DNAの多様性の減少をヒト集団の消滅と直結させるような見解も疑問で、日本列島と朝鮮半島や中国東北部との、ミトコンドリアDNAの類似とY染色体DNAの相違(篠田.,2007)は、朝鮮半島や中国東北部における、外来者の男性と在来の女性との融合を示唆するものではないでしょうか。
文明論については大いに疑問が残りました。6500~6000年前頃に始まる仰韶文化以降が黄河文明、7000年前頃に始まる河姆渡文化以降が長江文明とされていて、一般的な文明の定義とは異なっており、縄文文明論者でもある過激な長江文明論者から悪影響を受けすぎではないでしょうか。さすがに本書では、縄文文明なる言葉は用いられていませんが、縄文文明論までもう少しという危ういところまで行っているように思われます。
また本書では、紀元前5~4世紀にかけての呉と越の滅亡が長江文明崩壊の指標とされていますが、この認識にも疑問があります。モンゴル帝国の支配下でも華北と華南の違いが意識されましたが、そうした違いは「長江文明崩壊」前から続いてきたものではないでしょうか。「長江文明崩壊」と水稲農耕の伝播を結びつける見解も苦しく、「崩壊」以前に、水稲農耕は朝鮮半島や日本列島に伝わっていたのではないでしょうか。
弥生時代の開始年代について、本書ではじゅうらいよりもずっと年代の繰り上がった新説も紹介されていますが、そうすると長江文明崩壊と水稲農耕開始の年代が合わないためか、けっきょくは従来の説を前提に記述が進められています。呉越の滅亡以前から、長江流域の人類集団の周辺への拡散は少しずつ行なわれており、呉や越といった国は崩壊しても、長江流域の新石器時代以来の文化要素は、後々までかなり残ったのではないでしょうか。そう考えると、長江文明起源のO2b系統の移動開始時期は2800年前頃で、少人数で何度も日本列島に移住してきた、とする本書の想定と整合的だと思われます。
長江文明起源の水稲農耕文化が朝鮮半島に達するのが紀元前1000年以降なので、長江文明起源の河川漁撈文化が、紀元前5000年紀に出現する南朝鮮西九州型漁撈文化の起源ではありえないとされていますが、移動性の高い漁撈民なら、早期に朝鮮半島南部に到達した可能性もあるでしょう。長江流域の住民にしても、かなり多様な集団から構成されていた可能性が高いでしょうから、そのうち漁撈に特化した集団が、水稲農耕の流入以前に朝鮮半島から日本列島へ移住してきた可能性があると思います。
こうしたこととも関連しますが、ユーラシア東部における集団の移動については、とくにY染色体DNAから復元する場合、有史以降の移動(魏晋南北朝や五代十国~元や明末清初)も考慮に入れるべきではないでしょうか。それが、日本列島と中国東北部とのY染色体DNAの相違の一因になった可能性もあると思います。漢民族をO3e系統に代表させ、たんに黄河文明起源と説明してすませることは疑問です。
日本列島における言語の成立過程についての記述は興味深いのですが、D2系統が圧倒的なアイヌ民族の言語が、北方系の細石刃文化集団C3系統に由来するとの想定には、疑問も残ります。そのことも含めて、日本語の形成過程についての本書の見解には、検証が必要なところが少なくないように思われます。
本書でもっとも疑問なのは、日本列島における多様性とその価値観にたいする評価で、著者の価値観が過剰に投影されてしまい、虚構性の強い見解になっているのではないか、との疑問が強く残ります。日本列島における共存については、弱者に優しいというよりも、山がちで複雑な地形が、多様な集団の共存を可能にしてきたのではないでしょうか。
縄文文化とアイヌ文化における生態系全体への理解との認識も疑問です。キリスト教的世界観のもつ危険性を過大視し、その逆に、アイヌ的価値観を過大視したというか、あまりにも自分の価値観にひきよせて都合よく評価しているのではないでしょうか。しかも、民族の言語・文化の保護という潮流も欧州が重要な発信地であり、支配の原理として欧州文明を批判する著者の価値観も、かなりのところ欧州人と共通するのではないかとの疑問が残ります。さらに、普遍性を誰がどのように保証するのかという問題もあります。欧米やかつての共産主義も、普遍性を謳っていたのではないでしょうか。
内部の多様性の維持・自立性の促進は、単一化に伴う犠牲が進展した地域だからこそできることではないのか、国民国家の確立に苦闘している国は今でも珍しくなく、世界のどの地域でも適用できるものなのだろうか、との疑問も残ります。
本書では最後に、欧州文明的価値観の代替となりうる価値観の提示と、地域固有の精神文化の見直しが真剣に主張されていますが、現在の日本列島では、そうした見直しも本質的には欧州文明を通してしか理解できないのではないでしょうか。欧州文明を通じての地域固有の精神文化の見直しは、欧州文明的な新たな価値観の創出になる恐れがあるのではないか、との疑問が強く残ります。
以上、本書における著者の提言について色々と疑問を述べてきましたが、著者の提言が真摯なものであり、真剣に検討するに値するものであることは、否定できないだろうと思います。
参考文献:
崎谷満(2008)『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』第2刷(昭和堂、初版第1刷の刊行は2008年2月)
篠田謙一(2007)『日本人になった祖先たち』(日本放送出版協会)、関連記事
日本列島の多様性
日本列島中間部へは多様な文明・文化がいろいろな時代に入ってきて、それら多様な文化が重層化し、あるいは共存していることがうかがわれます。そのため、日本列島中間部の多様性は金属器時代以降も維持され、その時々でいくつもの文化圏が並存しており、その集積が現在の日本列島中間部において地域ごとに異なる文化や言語を生み出しているようです。また遺伝的にも、ユーラシアではチベットをのぞいてほとんど駆逐されてしまったD2系統が高頻度で確認されているように、日本列島中間部では遺伝的多様性が維持されてきました。
北海道と琉球も含めると、日本列島の多様性はさらに大きくなります。日本列島における多様性の維持は、各集団間が没交渉的に共存してきたというよりも、あるていどの関わりあいのなかで、一方が他方を抹殺することなく助けあってきたような状況があったからとも考えられます。つまり、単なる共存ではなく、もっと積極的な共生というものだったのでしょう。このように、日本列島において異なる出自の集団が共存して多様性が維持されてきた理由は、次のように考えられます。
●気候が温暖で降雨量が多く、暖温帯林および冷温帯林の豊かな植物相が存在します。この温暖湿潤な気候は、新石器時代からの雑穀農耕による積極的な栄養源確保の方法の開拓にも、好条件を提供したと思われます。同様に豊かな植物相は、タンパク源の哺乳動物にも好都合な生存環境を提供したと思われます。
●日本列島の周囲には暖流や寒流などによるプランクトンの豊かな海があり、新石器時代に導入された漁撈技術により、安定的タンパク源となる漁獲を提供してきたとも考えられます。
●豊かな環境要因と低い人口密度であれば、大きな争いがなくても安定的生存を可能にしたのと思われます。
●金属器時代以降、ユーラシア東部の混乱により難民化した人々は、小規模な集団で数次にわたり少しずつ移動してきたと推定されていますが、水稲農耕や金属器などの新技術を日本列島に持ち込むことによって、先住系の人々と争うよりも平和共存の道を選んだと考えられ、東アジア行なわれたような民族間の争いは日本列島では起きなかったようです。
日本列島における多様性の喪失
弱者に優しい多様性維持が日本列島の伝統的特徴でしたが、欧米に倣って中央集権的国民国家の成立を目指した近代以降、それは失われてしまいます。特定地域(領地)に唯一の国民をもつことを前提としている国民国家という枠組みは、多くの国家で実情と合わず、非現実的である種の幻想でしかありません。この国民国家という非現実的な概念と多民族共存という現実のきしみの結果、一つの国家に本来存在する複数民族の共存や複数言語の存続が脅かされ、強大な一つの集団の支配下でその多様性が失われてしまう危険性にさらされ、国家内のさまざまな伝統的価値観の消失、さらには多様性の喪失につながっていきました。
現在、国民国家の起源地である西欧では地域主義の流れが定着しつつあり、地域言語の保護も進められつつあります。しかし日本列島は、西欧の潮流とは異なり、相変わらず19世紀的な古い国民国家の問題点を自らの手で克服できないまま、現在に至っています。19世紀後半以降、急速なアイヌ民族の同化やアイヌ文化・アイヌ語の喪失が進んできており、それは琉球でも同様です。日本列島中間部でも、東京文化圏による文化・経済・言語的支配が強まり、急速にその多様性が失われてきています。とくにマスメディアの発達した1960年代以降、言語的多様性の喪失にともなう地域語・方言の消滅傾向が、地域固有の伝統的文化の弱体化を招いています。
こうした日本列島において、欧州文明の影響下にある国民国家という概念は、むしろ日本列島の伝統的価値観の喪失に拍車をかけています。海外においても、中央集権主義は地方分権主義に対立する概念であり、地域ナショナリズムの中核として、国家語とは異なる地域固有言語が、そのアイデンティティ形成に大きな役割を果たしていることが指摘されています。国家とは異なる次元において現実に存在する諸民族のあり方を、日本列島においても真剣に再検討する時期に来ているものと考えられます。
また、20世紀末の通信や交通の発達による経済のグローバル化が、全世界的に文化・言語の多様性喪失に拍車をかけていると指摘されています。このグローバル化は米国主導下で行なわれており、欧州文明の延長線上にある米国による覇権主義の一形態だと理解されます。支配的文化・言語からの同化圧力は、劣位に置かれた文化・言語の有用性をさらに低下させ、その存続の意味をも失わせてしまいます。日本列島内において支配的な東京語圏が日本列島内部の多様性を喪失させてきましたが、その一方で、米国や中国というもっとグローバルな支配力をもった言語文化圏からの同化圧力が、東京語圏およびその支配下の日本列島全域に及ぶことが今後懸念されます。こうした懸念は、シベリアなど日本列島の周辺地域にも当てはまります。
多様性維持の提言
文明の衝突の世紀として位置づけられる殺伐とした21世紀のなかで、欧州・キリスト教文明的な支配の原理とは異なる共生の原理という対案を示すにあたって、共生の原理による多様性維持という日本列島の伝統は新たな価値を提示できそうであり、それは世界の平和と多文化共存に貢献できる機会になると思われます。そのためには、日本列島中間部における言語的多様性を維持するとともに、琉球およびアイヌ民族との関係を変える必要があります。
琉球を日本の他地域と同格の県としてきたことは、琉球が別国家だったという歴史の独自性や民族的アイデンティティを無化させることにつながっています。民族自決権の観点からは、あるていどの自己決定権をもつ自治政府の下で、琉球語の正常化のプロセスが開始されることが望ましく、地域公用語を伴う複数の国民・民族の存在が法的に認められているスペインの事例が参考になりそうです。
アイヌ民族は琉球とは異なり、一つの国家を形成するまでには至りませんでしたが、国家形成の有無を問わず、一つの民族としてままとまりがある集団については、その固有文化・固有言語を保護し維持することが今や世界の潮流となっています。北海道の地名を正しいアイヌ語として表示することは、地域の共有資産として地域アイデンティティの核になりうるものであり、日本列島における多民族共存の現実を示すことで、支配の原理ではなく、共生の原理を現実化・具体化するものとしての意義もあります。
また、地名を通してのアイヌ語の言語保護が、アイヌ民族以外にとっても、地域の共有資産の認知や地域アイデンティティの確立に寄与するとともに、地域を超えて普遍的な原理転換、つまり過去の支配から未来の共生原理への転換に寄与する可能性すら想定できます。ただし、中心はあくまでアイヌ民族にあり、アイヌ民族の主体性を脅かすことがないような配慮が必要です。
アイヌ民族に関連するもう一つの問題は、アイヌ民族の先住民としての権利が法的に保障されていないことです。先住民は先住民独自の国籍・民族所属性をもつ権利があります。つまり、アイヌ民族個人は先住民としてのアイヌ民族へ所属する権利を持ち、それは上位の国家としての日本国の国籍と同様の意味をもちます。
アイヌ民族の伝統的文化・生活様式やアイヌ語の復興・維持・継承の問題は、単にアイヌ民族だけの問題ではなく、21世紀という文明の衝突の世紀のなかで、それを日本列島における貴重な精神的遺産として共有することに大きな意味があります。アイヌ文化は、欧州・キリスト教文明やイスラーム文明や中華文明とは異なる対案を示しうる、21世紀の世界を覆う支配の原理とは異なる共生の原理を内包する文化として、現代社会にたいして独自の貢献が図れる可能性を秘めています。
アイヌ伝統的文化とアイヌ語の再生・継承は、日本列島に居住する我々の義務です。この日本列島において伝統的だった多様性維持を再評価し、それを普遍的な言葉でもって国際的に発信することで、共生の原理による世界的な民族紛争や文明間の対立の回避・緩和を進める可能性と機会が、我々の手元にあるのではないでしょうか。
疑問点
日本人起源論について包括的な説明がなされた本書は良書と言ってよく、現代の地理区分・国境線による区分を過去にそのまま当てはめることの問題点を、改めて認識させられます。ただ、疑問点も少なからずあるので、以下列挙していきます。
本題とあまり関わりないところでは、人類の系統とチンパンジーの系統との470万年前頃という分岐年代は新しすぎるのではないかということと、現生人類はネアンデルタール人の血を引いていないとの見解に疑問があります。現生人類とネアンデルタール人との混血の可能性を指摘した論文は少なくありません(関連記事)。また、ミトコンドリアやY染色体のDNA分析から得られた、母系・父系における現代人にとっての最終共通祖先を、現生人類の起源と結びつける見解も疑問で、遺伝学上のイヴやアダムの追及と、現生人類の起源の追求とは別の概念・問題です。以下、本題についての疑問です。
全体的に、DNA分析による人類の移動の復元は興味深いのですが、本書ではその限界についての言及が弱いように思われます。研究者を対象とした論文ならそれでもよいのでしょうが、一般向け書籍としてはやや配慮が足りないのではないでしょうか。この点は、類書(篠田.,2007)と対照的です。Y染色体DNAの多様性の減少をヒト集団の消滅と直結させるような見解も疑問で、日本列島と朝鮮半島や中国東北部との、ミトコンドリアDNAの類似とY染色体DNAの相違(篠田.,2007)は、朝鮮半島や中国東北部における、外来者の男性と在来の女性との融合を示唆するものではないでしょうか。
文明論については大いに疑問が残りました。6500~6000年前頃に始まる仰韶文化以降が黄河文明、7000年前頃に始まる河姆渡文化以降が長江文明とされていて、一般的な文明の定義とは異なっており、縄文文明論者でもある過激な長江文明論者から悪影響を受けすぎではないでしょうか。さすがに本書では、縄文文明なる言葉は用いられていませんが、縄文文明論までもう少しという危ういところまで行っているように思われます。
また本書では、紀元前5~4世紀にかけての呉と越の滅亡が長江文明崩壊の指標とされていますが、この認識にも疑問があります。モンゴル帝国の支配下でも華北と華南の違いが意識されましたが、そうした違いは「長江文明崩壊」前から続いてきたものではないでしょうか。「長江文明崩壊」と水稲農耕の伝播を結びつける見解も苦しく、「崩壊」以前に、水稲農耕は朝鮮半島や日本列島に伝わっていたのではないでしょうか。
弥生時代の開始年代について、本書ではじゅうらいよりもずっと年代の繰り上がった新説も紹介されていますが、そうすると長江文明崩壊と水稲農耕開始の年代が合わないためか、けっきょくは従来の説を前提に記述が進められています。呉越の滅亡以前から、長江流域の人類集団の周辺への拡散は少しずつ行なわれており、呉や越といった国は崩壊しても、長江流域の新石器時代以来の文化要素は、後々までかなり残ったのではないでしょうか。そう考えると、長江文明起源のO2b系統の移動開始時期は2800年前頃で、少人数で何度も日本列島に移住してきた、とする本書の想定と整合的だと思われます。
長江文明起源の水稲農耕文化が朝鮮半島に達するのが紀元前1000年以降なので、長江文明起源の河川漁撈文化が、紀元前5000年紀に出現する南朝鮮西九州型漁撈文化の起源ではありえないとされていますが、移動性の高い漁撈民なら、早期に朝鮮半島南部に到達した可能性もあるでしょう。長江流域の住民にしても、かなり多様な集団から構成されていた可能性が高いでしょうから、そのうち漁撈に特化した集団が、水稲農耕の流入以前に朝鮮半島から日本列島へ移住してきた可能性があると思います。
こうしたこととも関連しますが、ユーラシア東部における集団の移動については、とくにY染色体DNAから復元する場合、有史以降の移動(魏晋南北朝や五代十国~元や明末清初)も考慮に入れるべきではないでしょうか。それが、日本列島と中国東北部とのY染色体DNAの相違の一因になった可能性もあると思います。漢民族をO3e系統に代表させ、たんに黄河文明起源と説明してすませることは疑問です。
日本列島における言語の成立過程についての記述は興味深いのですが、D2系統が圧倒的なアイヌ民族の言語が、北方系の細石刃文化集団C3系統に由来するとの想定には、疑問も残ります。そのことも含めて、日本語の形成過程についての本書の見解には、検証が必要なところが少なくないように思われます。
本書でもっとも疑問なのは、日本列島における多様性とその価値観にたいする評価で、著者の価値観が過剰に投影されてしまい、虚構性の強い見解になっているのではないか、との疑問が強く残ります。日本列島における共存については、弱者に優しいというよりも、山がちで複雑な地形が、多様な集団の共存を可能にしてきたのではないでしょうか。
縄文文化とアイヌ文化における生態系全体への理解との認識も疑問です。キリスト教的世界観のもつ危険性を過大視し、その逆に、アイヌ的価値観を過大視したというか、あまりにも自分の価値観にひきよせて都合よく評価しているのではないでしょうか。しかも、民族の言語・文化の保護という潮流も欧州が重要な発信地であり、支配の原理として欧州文明を批判する著者の価値観も、かなりのところ欧州人と共通するのではないかとの疑問が残ります。さらに、普遍性を誰がどのように保証するのかという問題もあります。欧米やかつての共産主義も、普遍性を謳っていたのではないでしょうか。
内部の多様性の維持・自立性の促進は、単一化に伴う犠牲が進展した地域だからこそできることではないのか、国民国家の確立に苦闘している国は今でも珍しくなく、世界のどの地域でも適用できるものなのだろうか、との疑問も残ります。
本書では最後に、欧州文明的価値観の代替となりうる価値観の提示と、地域固有の精神文化の見直しが真剣に主張されていますが、現在の日本列島では、そうした見直しも本質的には欧州文明を通してしか理解できないのではないでしょうか。欧州文明を通じての地域固有の精神文化の見直しは、欧州文明的な新たな価値観の創出になる恐れがあるのではないか、との疑問が強く残ります。
以上、本書における著者の提言について色々と疑問を述べてきましたが、著者の提言が真摯なものであり、真剣に検討するに値するものであることは、否定できないだろうと思います。
参考文献:
崎谷満(2008)『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』第2刷(昭和堂、初版第1刷の刊行は2008年2月)
篠田謙一(2007)『日本人になった祖先たち』(日本放送出版協会)、関連記事
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