「近代化」と「幸福」の問題

 このところ、「チベット問題」が日本でも大々的に報道されていますが、それに関連した興味深いブログの記事を見つけました。けっきょくのところ、いくら近代化して経済発展したとしても、その恩恵を受けられない人はいるものですし、恩恵を一定水準以上受けていたとしても、必ずしも「幸福」だとは限らないわけです。また、近代化・経済発展の陰で、犠牲になる人々もけっして少なくありません。

 これらは日本などのいわゆる先進諸国でも散々社会問題として言われてきたことで、中国政府がいかに近代化・経済発展を誇示したとしても、同様のことが中国やそのチベット自治区にも言えるのでしょう。もちろん、その程度や様相の違いということも問題であり、おそらくチベット族居住地域では、漢族にたいするチベット族の反感という形で不満が鬱積しており、それ故に反政府行動が絶えないものと思われます。また、そうした反感を扇動する勢力が存在するとしても、そもそも不満がさほどなければ、扇動の効果はあまりないでしょう。

 もっとも専門家ではない私は、中国政府の政策のどこがチベット族に反感を抱かれているのか、またチベット族の不満はどの程度のものなのかということについて、色々とおぞましい情報も耳にしてはいますが、確実な情報・見解を提示できるわけではありません。しかし、チベット族居住地域で長年にわたって「暴動」がたびたび起きているということは、中国政府の統治に重大な問題があると推測する根拠になると思います。ただ、まだ常識論的な感想の域にとどまっていることは否定できません。

 同様のことは新疆ウイグル自治区にも言えるのでしょうが、「チベット問題」では、リチャード=ギア氏をはじめとして、欧米の有名人が色々と中国政府を批判する発言を繰り返しているのにたいして、新疆ウイグル自治区の問題があまり注目されず、よく知られていないのは、上述の記事で指摘されているように、ウイグル族(近代の産物としての性格がひじょうに強い概念です)の大半がムスリムであり、欧米では同情されにくいからなのだと思います。こうした状況を改善するには、できるだけ言論の自由を維持することが必要なのでしょう。

この記事へのコメント

2008年03月24日 15:51
善意であろうと悪意であろうと、異民族統治そのものが否定されているんでしょうね。それは、ブッシュのイラク統治についてもおなじだろうと思う。近代とは…西欧の近代とは、自分のことは自分で決める。それが人権であり、自分たちのことは自分たちで決める。それが自決権で、現在の国際社会の基本的な倫理になっている。
 支那の共産政権は、それを乗り越える倫理を生み出せないでいると思う。
2008年03月24日 23:17
引用されたブログ記事、それなりに興味深く拝見しました(別に支持したわけではありませんが)。ただ、一般の民衆レベルでは、色々難しいことがあるようですね。もっとも、日本とて国内マイノリティに対する差別は厳然として存在していると思いますが。
 確かに、現在の中国政府のチベット統治が「完全」だとは思いません。しかし、何かあれば「民主・人権」を口にする欧米政府が中国以上にうまくチベット問題を解決できるとは思いません。むしろ、今の暴動など、まだ子供の遊びと思えるような泥沼の混迷をもたらすと思います。
 そもそも、今回、ややもすれば中国をする欧米諸国が、そんなに真剣にチベット人の運命を考えているとは思えません(個人レベルでは知りませんが)。むしろ、中国を牽制するカードに使っているとしか思えません。
2008年03月24日 23:21
字数制限に引っかかったので、上のコメントの続きを書きます。
 確かに、中国ではチベット族でなくても、経済発展の恩恵に浴していない人はまだまだ少なくないと思います。実際、格差は拡大しています。今後の中国政府の主要政策は、この格差を是正していく事にあると思います。実は現在の日本の格差拡大の方が、実際にはえぐいものがあるのですが、少なくとも中国の格差は、これを是正しようとする努力が新たな経済発展をもたらすと思います。

 それと前のコメントの「ややもすれば中国をする欧米諸国」は、「ややもすれば中国を批判する欧米諸国」の間違いです。
2008年03月25日 00:01
もちろん、各個人はともかくとして欧米各国の政府は、真剣にチベット人を案じているというよりは、中国を牽制するための材料として、「チベット問題」を持ち出しているのでしょう。また、また人権重視という原則を掲げている以上、何らかの抗議をせざるを得ません。国家とはそういうものですし、個人のように「お人よし」になるわけにはいかないでしょう(そのように振舞う必要はありますが)。

もっとも、中国経済の規模が天安門事件の頃よりもずっと大きくなっていおり、欧米諸国にせよ日本にせよ、実質的な制裁措置はとれないでしょう。もちろん、中国が国連安保理の常任理事国で核兵器保有国だということも、実質的な制裁措置を難しくする理由になっています。
2008年03月25日 00:16
天安門事件と今回の事件を比べると、前者は今回と同様、反政府勢力による暴動だったにも関わらず、インターネット等の未発達な状況で、西側では、これを民主的集会に対する武力弾圧と非難しました。しかし、今回は、西側諸国もこれが暴動であること自体は認めざるを得ない状態になっています。
 後、共通するであろうことは、1989年の天安門事件の時も、日本の新聞は未確認の情報も含めて、今回のように騒ぎ立てましたが、(おそらくは中国が反論報道を世界に発信したとたん)半月ほどでぴたっと関連報道を取りやめたことです。今回もこの様になると思います。
 当のアメリカも、天安門事件の際、「制裁」措置として、「高官交流」の停止を宣言しましたが、後で分かったことですが、事件直後すぐスコウクロフト(当時の国家安全保障担当大統領補佐官)を派遣し、中国側と何らかの協議を行いました。
2008年03月25日 03:35
ブロガーもメディアも見落としていますが、あとひとつ、ちょっとスパンの長い視野でながめれば、インドの対応がおおきなインパクトをもつと思う。中印関係が良好な現在は中立・不干渉をよそおっていますが、この平穏がつづく保証はない。
 カシミールと呼ぶ爆弾が爆発すれば、いやおうなくチベットは巻き込まれていく。カラコルムを超えて、現代的な兵器が供給されれば、事態の深刻さは想像を絶する。
 もちろん、だからといって、われわれができることは、なにもない。ただ関心をもって見守るほかないのですが…
2008年03月25日 20:44
日本のマスコミは概して欧米ほどには「チベット」報道に熱心ではないようなので、そのうち下火になるのは避けがたいでしょう。

ただ、「チベット」について日本国民が関心を持つ契機になったかもしれません。

もっとも、このように言っている私自身も、自慢できるほど「チベット」について知っているわけではありませんが。
2008年03月27日 06:08
たしかに、この国の言論に欠落しているのは持続力ですね。ただ、チベット問題に関しては…しょせん遠隔地の出来事ではありながら、拉致事件とならんで、平和憲法の矛盾をさらけ出す…ノーテンキに隣国の良心なんて、信用できるものではない。支那も朝鮮も、その独裁政権に支配される犯罪国家で、非武装中立なんて平和念仏をとなえていれば、餌食にされるだけのことだと、戦後平和主義の目をさましてくれた効果はあったから、これからもことあるたびに、連想されるのではないのでしょうか。
2008年03月27日 07:38
西側のマスコミの「期待」通りに、チベットの騒乱が拡大しない限り、日本始め欧米のマスコミも沈黙せざるを得ないと思います。もし、チベット亡命「政府」の主張するような「弾圧」を本当に中国が行ったのなら、騒乱はますます拡大しているでしょう。
中国や北朝鮮報道に関しては、日本のマスコミを鵜呑みにしない、惑わされないという姿勢が必要だと思います。
2008年03月27日 21:02
一般論として、マスコミの報道にせよ政府発表にせよ、鵜呑みにしないことが大切だとは思います。
2008年03月31日 04:19
マスコミに踊らされないのは、あなたのおっしゃるとおりなんですが、同時に、日本人としては原理・原則論に忠実でありたい。個人には人権があり、集団には自決権がある。民族には民族自決権がある。このケースでは、ヨーロッパのキリスト教文明や支那の全体主義の中からながめた心象風景とはちがった同情心が日本人のなかにあることは、重要だと思う。
 それは日本の近現代を大東亜戦争の敗戦で二分する近代史ではなく、中国のアヘン戦争以来のアジアを一貫して俯瞰する日本人だけがもてる歴史観から生まれる、チベットへの共感だと思う。

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