現生人類の出アフリカの時期・回数とオーストラレーシアの初期現生人類
オーストラレーシアの初期現生人類は、現代人の多数の祖先がアフリカから拡散する以前に、出アフリカを果たした現生人類の子孫ではないか、との研究(Schillaci.,2008)が報道されました。まだ要約しか読んでいませんが、この論文は校正中で印刷されておらず、確定版ではないので、印刷されたら国会図書館で全文を閲覧してプリントアウトしようと思います。
この研究では、現代および先史時代の、少なくとも28になる人類集団の頭蓋データが検査され、遺伝的類似性が推定されています。この分析が示唆しているのは、オーストラレーシア出土の更新世末期~完新世初期の化石は、レヴァントの初期現生人類と似ているということです。これは、レヴァントの初期現生人類がオーストラレーシアの初期現生人類の祖先であるか、両者に直近の共通祖先がいたことを示しています。一方現在の人類は、それらの集団よりも4~1万年前頃のヨーロッパ人のほうに似ています。
これは、5万年前頃に出アフリカを果たした現生人類集団が、現代人の祖先になったという通説を部分的に支持する一方で、5万年前頃以前(100000~76000年前頃)に出アフリカを果たした現生人類集団がいたことをも示唆します。また、オーストラレーシアの初期現生人類は、いくつかの点でネアンデルタール人との類似性も認められました。これは、限定的な交雑、もしくは両者が新しい年代において共通祖先を有していたことの結果かもしれません。
こうした分析に基づくもっとも合理的な説明は、5万年前頃の大規模な現生人類の出アフリカ(2回目)の前に、現生人類の最初の出アフリカがあり、オーストラレーシアまで進出しましたが、2回目の大規模な出アフリカの結果、遺伝的浸透により、最初に出アフリカを果たした現生人類の解剖学的・遺伝的特徴が失われた、というものです。また、最初に出アフリカを果たした現生人類集団は、現代人とは亜種の関係にあったかもしれません。
この研究にたいして、ネアンデルタール人研究の世界的権威であるエリック=トリンカウス博士は、もっと多数の標本を用いた研究が今後進められることを期待している、と述べています。またトリンカウス博士は、この研究では東南アジアの最初期の現生人類人骨が無視されている、とも警告しています。
一方、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるクリストファー=ストリンガー博士は、トリンカウス博士よりもこの研究に好意的です。ただストリンガー博士は、オーストラレーシアの初期現生人類や、アフリカの初期現生人類(エチオピア出土の160000~154000年前頃の人骨)が、現代人と亜種の関係にあるとの見解にたいしては、まだ同意していません。ストリンガー博士は、先史時代の生活の厳しさにより、頑丈な形態が生じた可能性を指摘しています。
現生人類の成功した出アフリカは1回だけというのが通説ですが(たとえば、オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』)、現生人類の出アフリカが複数回起き、後の大規模な出アフリカとそれに伴う遺伝的浸透により、それ以前に出アフリカを果たした現生人類の解剖学的・遺伝的特徴が失われたとの見解は、私の考えとほぼ同じです。ただ、現代人の主要な遺伝子供給源になった大規模な出アフリカの時期については、5万年前よりもさかのぼる可能性があるでしょう(オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』や、Mellars.,2006 など)。
参考文献:
Mellars P.(2006B): Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. PNAS, 103, 25, 9381-9386.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0510792103
Schillaci MA.(2008): Human cranial diversity and evidence for an ancient lineage of modern humans. Journal of Human Evolution, 54, 6, 814-826.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.10.010
オッペンハイマー,スティーヴン著、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、2007年)
この研究では、現代および先史時代の、少なくとも28になる人類集団の頭蓋データが検査され、遺伝的類似性が推定されています。この分析が示唆しているのは、オーストラレーシア出土の更新世末期~完新世初期の化石は、レヴァントの初期現生人類と似ているということです。これは、レヴァントの初期現生人類がオーストラレーシアの初期現生人類の祖先であるか、両者に直近の共通祖先がいたことを示しています。一方現在の人類は、それらの集団よりも4~1万年前頃のヨーロッパ人のほうに似ています。
これは、5万年前頃に出アフリカを果たした現生人類集団が、現代人の祖先になったという通説を部分的に支持する一方で、5万年前頃以前(100000~76000年前頃)に出アフリカを果たした現生人類集団がいたことをも示唆します。また、オーストラレーシアの初期現生人類は、いくつかの点でネアンデルタール人との類似性も認められました。これは、限定的な交雑、もしくは両者が新しい年代において共通祖先を有していたことの結果かもしれません。
こうした分析に基づくもっとも合理的な説明は、5万年前頃の大規模な現生人類の出アフリカ(2回目)の前に、現生人類の最初の出アフリカがあり、オーストラレーシアまで進出しましたが、2回目の大規模な出アフリカの結果、遺伝的浸透により、最初に出アフリカを果たした現生人類の解剖学的・遺伝的特徴が失われた、というものです。また、最初に出アフリカを果たした現生人類集団は、現代人とは亜種の関係にあったかもしれません。
この研究にたいして、ネアンデルタール人研究の世界的権威であるエリック=トリンカウス博士は、もっと多数の標本を用いた研究が今後進められることを期待している、と述べています。またトリンカウス博士は、この研究では東南アジアの最初期の現生人類人骨が無視されている、とも警告しています。
一方、現生人類アフリカ単一起源説の代表的論者であるクリストファー=ストリンガー博士は、トリンカウス博士よりもこの研究に好意的です。ただストリンガー博士は、オーストラレーシアの初期現生人類や、アフリカの初期現生人類(エチオピア出土の160000~154000年前頃の人骨)が、現代人と亜種の関係にあるとの見解にたいしては、まだ同意していません。ストリンガー博士は、先史時代の生活の厳しさにより、頑丈な形態が生じた可能性を指摘しています。
現生人類の成功した出アフリカは1回だけというのが通説ですが(たとえば、オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』)、現生人類の出アフリカが複数回起き、後の大規模な出アフリカとそれに伴う遺伝的浸透により、それ以前に出アフリカを果たした現生人類の解剖学的・遺伝的特徴が失われたとの見解は、私の考えとほぼ同じです。ただ、現代人の主要な遺伝子供給源になった大規模な出アフリカの時期については、5万年前よりもさかのぼる可能性があるでしょう(オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』や、Mellars.,2006 など)。
参考文献:
Mellars P.(2006B): Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. PNAS, 103, 25, 9381-9386.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0510792103
Schillaci MA.(2008): Human cranial diversity and evidence for an ancient lineage of modern humans. Journal of Human Evolution, 54, 6, 814-826.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.10.010
オッペンハイマー,スティーヴン著、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、2007年)
この記事へのコメント
もっとも人種の相違などは、「遺伝子的には大した相違ではない」というような見解も耳にしたような気がしますし、実際、そうなのかもしれませんが、やはり私などには結構大きな違いに見えます。もちろん、人種間に優劣があるなどと主張するつもりは毛頭ありませんが。
とくに問題となるのは、現代人の起源がアフリカにある証拠ともされている黒色人種の多様性で、黒色人種を黄色人種や白色人種と並置させる区分には大いに問題があります。
もちろん、現在の人類集団には地域的な違いが認められますが、それを一般に浸透している人種区分で説明するのは苦しいでしょう。
現在の人類集団の地域的な違いは、この5万年間、あるいはもう少し長くみてこの10万年間における、創始者効果・瓶首効果・環境への適応などの結果だと思います。