「チベット」と「中国」について
昨日の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事は、その返信です。外国人がラサの情勢を把握するのは難しく、死者は10人ともされている一方で、最大で100人に達している、との報道もあります。じっさいのところどうなのか、現時点はもちろんのこと、後世になっても把握できないかもしれません。
現在のダライ=ラマ法王が中国からの「チベット」の独立を要求していないことは、以前から報道されていたのでわりとよく知られていると思いますが、じっさい、現在の国際情勢において「チベット」が中国から独立できる可能性はほとんどなく、少なくとも短中期的には、この情勢は変わらないでしょう。
中国に支配されるまでの「チベット」社会の評価は難しいところですが、日本軍の特務機関員の証言も含めて、さまざまな資料・観点からの評価が必要なのだと思います。「暗黒社会」との評価については、何と比較しての「暗黒社会」なのかという問題があり、判断の難しいところだとは思います。
チベットは歴史的には東方の「中国」との因縁がもっとも深いとの見解(宮崎市定「中国周辺史総論」P187~190)は、碩学の見解だけに傾聴すべきところがありますが、正直なところ、「中国史」に引きつけすぎた見解であるように思われます。宮崎「中国周辺史総論」でも指摘されているように、チベットはインド文明の影響を受け、文字もインド由来のものが用いられていました。
前近代において、「チベット人」には中国大陸文明にたいする思慕の念はとくになく、18世紀半ばにダイチン=グルンが宿敵ジューン=ガルを滅ぼし、「チベット」を含む広大な土地を新たに「支配」するにあたっても、中国大陸文明が有効に機能したわけではありませんでした(平野聡『興亡の世界史17』P134、146)。
前近代において文化的には、「チベット」は朝鮮半島や日本列島の大半よりもずっと中国大陸との関わりが浅かった、と言うべきでしょう。政治的には、「チベット」は日本列島の大半よりも中国大陸との関わりが深いと言えるかもしれませんが、朝鮮半島よりはずっと関わりが浅かったと言ってよいでしょう。
文化・政治的側面以外で、前近代における「チベット」と中国大陸との関わりの浅さを間接的に示しているのが、Y染色体についての研究です。これは昨年3月30日分の記事でも述べましたが、Y染色体の分析において、華北や朝鮮半島では低頻度のハプログループDが、日本列島では3~4割、「チベット」においては3割ていど認められる、というものです(篠田謙一『日本人になった祖先たち』P193~201)。
これは、日本列島と「チベット」との近縁性を示しているというよりは、更新世から新石器時代にかけてハプログループDが広く分布していたユーラシア東部において、おそらくは有史以降の人類集団の大規模な移動により、華北や朝鮮半島ではハプログループDが減少してしまった、ということなのだと思います。「チベット」や日本列島では、そうした人類集団の移動による影響が小さかったのでしょう。人類集団の大きな流れという点では、ある時期以降、「チベット」は中国大陸との動きとは大きく異なる様相を示していたのでしょう。その流れが大きく変わったのは、中国が「チベット」を実効支配してからのことでしょう。
では、このような「チベット」はどのように位置づけられるべきなのでしょうか。これが難問であることは言うまでもありませんが、現時点では、大きくみると「中央ユーラシア」に区分される、との見解(森安孝夫『興亡の世界史05』P50~51)がもっとも魅力的であるように思われます。もちろん、さらに詳細な地理的区分が必要になってくるとは思います。
参考文献:
篠田謙一『日本人になった祖先たち』(日本放送出版協会、2007年)
平野聡『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』(講談社、2007年)
宮崎市定「中国周辺史総論」宮崎市定著、礪波護編『東西交渉史論』(中央公論社、1998年)
森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)
現在のダライ=ラマ法王が中国からの「チベット」の独立を要求していないことは、以前から報道されていたのでわりとよく知られていると思いますが、じっさい、現在の国際情勢において「チベット」が中国から独立できる可能性はほとんどなく、少なくとも短中期的には、この情勢は変わらないでしょう。
中国に支配されるまでの「チベット」社会の評価は難しいところですが、日本軍の特務機関員の証言も含めて、さまざまな資料・観点からの評価が必要なのだと思います。「暗黒社会」との評価については、何と比較しての「暗黒社会」なのかという問題があり、判断の難しいところだとは思います。
チベットは歴史的には東方の「中国」との因縁がもっとも深いとの見解(宮崎市定「中国周辺史総論」P187~190)は、碩学の見解だけに傾聴すべきところがありますが、正直なところ、「中国史」に引きつけすぎた見解であるように思われます。宮崎「中国周辺史総論」でも指摘されているように、チベットはインド文明の影響を受け、文字もインド由来のものが用いられていました。
前近代において、「チベット人」には中国大陸文明にたいする思慕の念はとくになく、18世紀半ばにダイチン=グルンが宿敵ジューン=ガルを滅ぼし、「チベット」を含む広大な土地を新たに「支配」するにあたっても、中国大陸文明が有効に機能したわけではありませんでした(平野聡『興亡の世界史17』P134、146)。
前近代において文化的には、「チベット」は朝鮮半島や日本列島の大半よりもずっと中国大陸との関わりが浅かった、と言うべきでしょう。政治的には、「チベット」は日本列島の大半よりも中国大陸との関わりが深いと言えるかもしれませんが、朝鮮半島よりはずっと関わりが浅かったと言ってよいでしょう。
文化・政治的側面以外で、前近代における「チベット」と中国大陸との関わりの浅さを間接的に示しているのが、Y染色体についての研究です。これは昨年3月30日分の記事でも述べましたが、Y染色体の分析において、華北や朝鮮半島では低頻度のハプログループDが、日本列島では3~4割、「チベット」においては3割ていど認められる、というものです(篠田謙一『日本人になった祖先たち』P193~201)。
これは、日本列島と「チベット」との近縁性を示しているというよりは、更新世から新石器時代にかけてハプログループDが広く分布していたユーラシア東部において、おそらくは有史以降の人類集団の大規模な移動により、華北や朝鮮半島ではハプログループDが減少してしまった、ということなのだと思います。「チベット」や日本列島では、そうした人類集団の移動による影響が小さかったのでしょう。人類集団の大きな流れという点では、ある時期以降、「チベット」は中国大陸との動きとは大きく異なる様相を示していたのでしょう。その流れが大きく変わったのは、中国が「チベット」を実効支配してからのことでしょう。
では、このような「チベット」はどのように位置づけられるべきなのでしょうか。これが難問であることは言うまでもありませんが、現時点では、大きくみると「中央ユーラシア」に区分される、との見解(森安孝夫『興亡の世界史05』P50~51)がもっとも魅力的であるように思われます。もちろん、さらに詳細な地理的区分が必要になってくるとは思います。
参考文献:
篠田謙一『日本人になった祖先たち』(日本放送出版協会、2007年)
平野聡『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』(講談社、2007年)
宮崎市定「中国周辺史総論」宮崎市定著、礪波護編『東西交渉史論』(中央公論社、1998年)
森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年)
この記事へのコメント
少なくとも主権者を誰と考えるかが大切だと思います。
チベット自治区に住む人たちの主権を考えれば、チベット自治区はひとつの国家だと認識できます。ただし、国家機能を有していないので国家として独立する途中段階と考えます。歴史的解釈をしようとすると、この地に先祖代々住む人々の国であると考えるのが妥当と思います。中国の世界観では、本来中原に住む人の選民思想であり、世界全てが中国の支配対象(属国)なのですから。未だにこの考えは変わっていないと思います。
いずれにしても、中国政府の行動に対して、住民の不満が鬱積しており、抗議行動に結びついたこと。死者が多く出ている。という事実に目を向ける必要があるかと思います。歴史自身が都合の良いものを記録している可能性を考えると、現実を見て判断する以外に無いと思います。
正直なところ、3月15日分の記事で述べたように、分離独立派にしても中国政府にしてもその「歴史的根拠」には学術的に問題がありますが、どちらも前近代の歴史を根拠として主張しており、歴史的側面は無視できないでしょう。
別に私は、独立運動を否定するつもりはありませんし、中国政府の行動を積極的に支持するつもりもありませんが、チベット自治区が独立できる環境は整っていないと考えています。
現代中国の世界観と前近代の観念との関係については、私も興味をもっているので、今後さらに関連書籍を読んでいく必要があると思っています。
報道制限については、統治上の理由などから報道の大幅な自由化が自国のためにはならない、と中国政府は判断しているでしょうから、今よりも大幅に緩めるつもりは当分ないでしょう。中国とはそのような国だと割り切って、経済・安全保障上の理由から付き合っていくしかないのだと思います。
欧米諸国が中国の自由化を要求する口実として北京五輪を承認したという側面もあるでしょうが、中国がさまざまな問題を抱えているということは承知のうえで、経済的動機などからけっきょく国際社会は北京五輪開催を承認したわけで、「国際社会の圧力」が中国における報道規制を大幅に緩和させることは、当分はないでしょう。