パラオ諸島でフロレシエンシスと類似した人骨が発見される
パラオ諸島で発見された2890~940年前の小柄な人骨群には、フローレス島で発見された更新世の人骨群と似た特徴が認められる、との研究(Berger et al.,2008)が“EurekAlert”や“NewScientist”で報道されました。フローレス島で発見された更新世の人骨群は、新種ホモ=フロレシエンシス(正基準標本はLB1)とも、病変の現生人類とも主張されていて、議論が続いています。
パラオ諸島では10以上の洞窟で人骨が発見されていますが、この研究で取り上げられるのは、ウチェリウングス洞窟とオメドケル洞窟出土の小柄な人類です。前者から出土した人骨の年代は2890~1420年前で、すべて小柄な体格でした。後者から出土した人骨のうち、内部出土の人骨の年代は2300~1410年前で、小柄な体格でしたが、入口から出土した人骨はより大柄で、年代は1080~940年前でした。洞窟には動物の骨はなく、文化的遺物はまれだったので、居住跡ではなかったと考えられます。なお、著者たちが知らなかったためか、この研究では触れられていませんが、ウイリアム=ジャンガー博士によると、フィリピンには両洞窟の初期パラオ人と同じくらい小さい現生人類集団が現存しているとのことです。
パラオ諸島への人類の移住はフィリピン方面からなされたようですが、最初の移住については定かではありません。最初の移住にかんする信頼できる年代は3000年前頃ですが、あまり信頼できない年代として、4000年前頃という年代も提示されていまする。また花粉分析などからは、4500年前に人類が居住していた可能性が指摘されています。考古学的証拠によると、パラオ諸島の住民は他の西カロリン諸島の住民と交流があったようですが、ヨーロッパ人の到来まで、パラオ人が遠距離航海に出ることはなかったようです。
両洞窟からは大量の人骨が発見されましたが、人骨が断片的だったことと、海からの波や生物撹乱などの影響もあったため、体格を正確に測定するための復元は困難でした。また、ほぼ完全な頭蓋も発見されましたが、地中にしっかりと埋まっていてまだ取り出せていないため、正確な脳容量の測定は困難でした。このような限界があることを前提として、この研究ではパラオの人骨群と他の人骨の比較分析が行なわれています。
両洞窟出土の人骨は、アウストラロピテクス属の小柄な集団やLB1と同じくらい小柄な体格をしていましたが、はっきりとした上顎犬歯窩など、現生人類(ホモ=サピエンス)的特徴が認められたので、現生人類と分類されました。しかし一方で、両洞窟出土の人骨は、小柄な体型・縮小した顔面・はっきりとした眼窩上隆起・頤がないことなど、原始的特徴も示しており、これはLB1とも共通します。
上述の理由で脳容量の測定は難しかったのですが、両洞窟出土の人骨群の脳容量値は、小柄な集団も含む現生人類集団147人の下限値(1000cc)と同等かそれ以下と推定され、LB1(417cc)ほど小さくはなく、エレクトスの範囲内(775~1250cc)に収まることになりそうです。これら両洞窟の初期パラオ人は、遺伝的に孤立してはいないにしても、隣接集団との遺伝子交換の水準が低く、そのために創始者効果により元々小柄だった体型を維持したか、島嶼化により小型化した可能性が考えられます。
両洞窟の初期パラオ人と、LB1を含むフローレス島の更新世の人類とに共通する特徴が示唆しているのは、LB1が現生人類とは別種だと解釈された根拠である原始的特徴のうちの少なくともいくつかは、体格の小型化した人間における共通した環境適応かもしれない、ということです。さらに、フローレス島の更新世の人類は、新種ではなくフローレス島に適応した現生人類であり、そのなかに先天的障害のある個体もいた可能性が考えられます。
以上、この研究についてざっと見てきました。今年3月7日分の記事にて、LB1を含むフローレス島の更新世の人類は、クレチン病の現生人類だと指摘する研究を紹介しましたが、このように二週続けて現生人類説が提示され、私は新種説をずっと主張してきただけに、困惑しています。ただ、今年3月8日分の記事で紹介したように、クレチン病説にたいする批判が続出しており、この研究にも批判が寄せられていますから、現生人類説が優勢になったということはなく、依然として新種説が優勢だと言えるでしょう。
この研究で提示された仮説の弱点としては、両洞窟の初期パラオ人の脳がLB1よりもずっと大きいことが挙げられます。また、LB1の頭蓋の研究(関連記事)で知られるディーン=フォーク博士は、LB1には全体的に原始的特徴が認められると指摘しました。LB1の手首の構造の研究(関連記事)で知られるマシュー=トッチェリ博士は、LB1の手首がチンパンジーと似ていることを合理的に説明する必要がある、と指摘しました。
確かに、LB1を現生人類とは別種とする根拠だった原始的特徴のいくつかは、原始的特徴というよりは、島嶼化などによる小型化に伴って現れる形態的特徴なのかもしれません。しかし、両洞窟の初期パラオ人とLB1との間に形態的な違いがあることも否定できません。現時点では、LB1を含むフローレス島の更新世の人類は、現生人類の祖先とは200~150万年前の間に分岐した、別系統の人類の子孫だという見解が、もっとも説得力があるように思われます。
参考文献:
Berger LR, Churchill SE, De Klerk B, Quinn RL (2008) Small-Bodied Humans from Palau, Micronesia. PLoS ONE 3(3): e1780.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0001780
パラオ諸島では10以上の洞窟で人骨が発見されていますが、この研究で取り上げられるのは、ウチェリウングス洞窟とオメドケル洞窟出土の小柄な人類です。前者から出土した人骨の年代は2890~1420年前で、すべて小柄な体格でした。後者から出土した人骨のうち、内部出土の人骨の年代は2300~1410年前で、小柄な体格でしたが、入口から出土した人骨はより大柄で、年代は1080~940年前でした。洞窟には動物の骨はなく、文化的遺物はまれだったので、居住跡ではなかったと考えられます。なお、著者たちが知らなかったためか、この研究では触れられていませんが、ウイリアム=ジャンガー博士によると、フィリピンには両洞窟の初期パラオ人と同じくらい小さい現生人類集団が現存しているとのことです。
パラオ諸島への人類の移住はフィリピン方面からなされたようですが、最初の移住については定かではありません。最初の移住にかんする信頼できる年代は3000年前頃ですが、あまり信頼できない年代として、4000年前頃という年代も提示されていまする。また花粉分析などからは、4500年前に人類が居住していた可能性が指摘されています。考古学的証拠によると、パラオ諸島の住民は他の西カロリン諸島の住民と交流があったようですが、ヨーロッパ人の到来まで、パラオ人が遠距離航海に出ることはなかったようです。
両洞窟からは大量の人骨が発見されましたが、人骨が断片的だったことと、海からの波や生物撹乱などの影響もあったため、体格を正確に測定するための復元は困難でした。また、ほぼ完全な頭蓋も発見されましたが、地中にしっかりと埋まっていてまだ取り出せていないため、正確な脳容量の測定は困難でした。このような限界があることを前提として、この研究ではパラオの人骨群と他の人骨の比較分析が行なわれています。
両洞窟出土の人骨は、アウストラロピテクス属の小柄な集団やLB1と同じくらい小柄な体格をしていましたが、はっきりとした上顎犬歯窩など、現生人類(ホモ=サピエンス)的特徴が認められたので、現生人類と分類されました。しかし一方で、両洞窟出土の人骨は、小柄な体型・縮小した顔面・はっきりとした眼窩上隆起・頤がないことなど、原始的特徴も示しており、これはLB1とも共通します。
上述の理由で脳容量の測定は難しかったのですが、両洞窟出土の人骨群の脳容量値は、小柄な集団も含む現生人類集団147人の下限値(1000cc)と同等かそれ以下と推定され、LB1(417cc)ほど小さくはなく、エレクトスの範囲内(775~1250cc)に収まることになりそうです。これら両洞窟の初期パラオ人は、遺伝的に孤立してはいないにしても、隣接集団との遺伝子交換の水準が低く、そのために創始者効果により元々小柄だった体型を維持したか、島嶼化により小型化した可能性が考えられます。
両洞窟の初期パラオ人と、LB1を含むフローレス島の更新世の人類とに共通する特徴が示唆しているのは、LB1が現生人類とは別種だと解釈された根拠である原始的特徴のうちの少なくともいくつかは、体格の小型化した人間における共通した環境適応かもしれない、ということです。さらに、フローレス島の更新世の人類は、新種ではなくフローレス島に適応した現生人類であり、そのなかに先天的障害のある個体もいた可能性が考えられます。
以上、この研究についてざっと見てきました。今年3月7日分の記事にて、LB1を含むフローレス島の更新世の人類は、クレチン病の現生人類だと指摘する研究を紹介しましたが、このように二週続けて現生人類説が提示され、私は新種説をずっと主張してきただけに、困惑しています。ただ、今年3月8日分の記事で紹介したように、クレチン病説にたいする批判が続出しており、この研究にも批判が寄せられていますから、現生人類説が優勢になったということはなく、依然として新種説が優勢だと言えるでしょう。
この研究で提示された仮説の弱点としては、両洞窟の初期パラオ人の脳がLB1よりもずっと大きいことが挙げられます。また、LB1の頭蓋の研究(関連記事)で知られるディーン=フォーク博士は、LB1には全体的に原始的特徴が認められると指摘しました。LB1の手首の構造の研究(関連記事)で知られるマシュー=トッチェリ博士は、LB1の手首がチンパンジーと似ていることを合理的に説明する必要がある、と指摘しました。
確かに、LB1を現生人類とは別種とする根拠だった原始的特徴のいくつかは、原始的特徴というよりは、島嶼化などによる小型化に伴って現れる形態的特徴なのかもしれません。しかし、両洞窟の初期パラオ人とLB1との間に形態的な違いがあることも否定できません。現時点では、LB1を含むフローレス島の更新世の人類は、現生人類の祖先とは200~150万年前の間に分岐した、別系統の人類の子孫だという見解が、もっとも説得力があるように思われます。
参考文献:
Berger LR, Churchill SE, De Klerk B, Quinn RL (2008) Small-Bodied Humans from Palau, Micronesia. PLoS ONE 3(3): e1780.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0001780
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