戦後日本における欧米化と東アジア世界についての雑感
戦後日本において欧米化、とくにアメリカ化が進行したことは現代の日本人の常識となっていますが、敵国としてはげしく戦ったアメリカ合衆国の文化・技術・諸制度などをかくも容易に受け入れたことについては、過去にこだわらず、優れたものを素直に受け入れて自分のものとする日本民族の特性だ、といったような説明がなされています。
私は、こういった民族論の多くに胡散臭いものを感じているのですが、それはともかくとして、敗戦後の日本において米国の影響が強まったのは、戦前の日本においてすでに、技術・文化などさまざまな局面で米国の影響が浸透し、多くの日本人が程度の差はあれ、米国文化に馴染んでいたという下地があったからだと思います。
戦中における外国語・外国文化の排斥は、第一次大戦中に欧州でも見られた事象で、日本に特異だというわけではなく、そうして敵国である英米への敵対心を煽らなければならないほど、戦前の日本において英米文化が浸透していたことを示しているのでしょう。
敗戦後の日本の歴史学に大きな影響を与えた津田左右吉は、日本における中国文明の影響が皮相的なものにとどまったのにたいし、明治以降の日本における欧米文明の影響は強く、生活に密着して真に日本文化を形成する要素となったと考え、日本は東洋文明圏の一員ではないと主張していました。私は津田とは異なり、前近代において日本をも含む東アジア文明圏という枠組みを設定するのが妥当だと考えてきましたが、最近では東アジアという枠組み設定を自明のものとすることにたいして、疑問をもっています。ただ、かりに前近代における東アジア文明圏という枠組みを認める場合でも、欧米文明の影響についての津田の評価には同意します。
「東アジア世界」という枠組みを認めるにしても、その範囲における近代化という名の欧米化が、地域ごとに程度の差はあれ、良くも悪くも不可逆的に進行してしまった現在、もはや前近代のような「東アジア文明」という枠組みは崩壊してしまった、と考えるべきでしょう。「東アジア文明」を成立させていた重要な要素である漢文の素養についてみると、私も含めて戦後に育った日本人の多くは、江戸時代までの知識層はもちろんのこと、戦前までの日本人と比較しても、お粗末きわまりないというのが現状です。
じつは日本の「伝統」を真に知るには、漢文の素養がないとどうにもならないのですが、それはともかくとして、もはや他の「東アジア」諸国にたいして同文同種といった変な親近感を寄せるのはやめて、重要な外国として冷静に付き合っていくことが必要なのだと思います。それでも、同じアジアの民だという考えはあるかもしれませんが、自分たちのことアジア人と認識しているのは、日本では半数弱、中国では6%程度にすぎず、同じアジアの民という共感も幻想にすぎない、と考えておくほうが無難でしょう。
欧米化が他の「東アジア」諸国よりも進展している日本では、捕鯨問題での対立はあるにしても、中国よりもオーストラリアのほうとさまざまな面で価値観を共有できるところがあるといえるかもしれず、日本とオーストラリアとの経済的な結びつきもけっして弱くはないのですから、地域統合を進めるさいには、中国や朝鮮のほうばかりに目を向けるのではなく、オーストラリアも重視すべきだろうと思います。その意味で、2007年3月の日豪安保共同宣言はよかったと思います。もっとも、こうした見解には個人の感情が反映されるもので、私の場合は、色々と不満はあるにしても、オーストラリアへの好感情が前提としてあるわけです。
私は、こういった民族論の多くに胡散臭いものを感じているのですが、それはともかくとして、敗戦後の日本において米国の影響が強まったのは、戦前の日本においてすでに、技術・文化などさまざまな局面で米国の影響が浸透し、多くの日本人が程度の差はあれ、米国文化に馴染んでいたという下地があったからだと思います。
戦中における外国語・外国文化の排斥は、第一次大戦中に欧州でも見られた事象で、日本に特異だというわけではなく、そうして敵国である英米への敵対心を煽らなければならないほど、戦前の日本において英米文化が浸透していたことを示しているのでしょう。
敗戦後の日本の歴史学に大きな影響を与えた津田左右吉は、日本における中国文明の影響が皮相的なものにとどまったのにたいし、明治以降の日本における欧米文明の影響は強く、生活に密着して真に日本文化を形成する要素となったと考え、日本は東洋文明圏の一員ではないと主張していました。私は津田とは異なり、前近代において日本をも含む東アジア文明圏という枠組みを設定するのが妥当だと考えてきましたが、最近では東アジアという枠組み設定を自明のものとすることにたいして、疑問をもっています。ただ、かりに前近代における東アジア文明圏という枠組みを認める場合でも、欧米文明の影響についての津田の評価には同意します。
「東アジア世界」という枠組みを認めるにしても、その範囲における近代化という名の欧米化が、地域ごとに程度の差はあれ、良くも悪くも不可逆的に進行してしまった現在、もはや前近代のような「東アジア文明」という枠組みは崩壊してしまった、と考えるべきでしょう。「東アジア文明」を成立させていた重要な要素である漢文の素養についてみると、私も含めて戦後に育った日本人の多くは、江戸時代までの知識層はもちろんのこと、戦前までの日本人と比較しても、お粗末きわまりないというのが現状です。
じつは日本の「伝統」を真に知るには、漢文の素養がないとどうにもならないのですが、それはともかくとして、もはや他の「東アジア」諸国にたいして同文同種といった変な親近感を寄せるのはやめて、重要な外国として冷静に付き合っていくことが必要なのだと思います。それでも、同じアジアの民だという考えはあるかもしれませんが、自分たちのことアジア人と認識しているのは、日本では半数弱、中国では6%程度にすぎず、同じアジアの民という共感も幻想にすぎない、と考えておくほうが無難でしょう。
欧米化が他の「東アジア」諸国よりも進展している日本では、捕鯨問題での対立はあるにしても、中国よりもオーストラリアのほうとさまざまな面で価値観を共有できるところがあるといえるかもしれず、日本とオーストラリアとの経済的な結びつきもけっして弱くはないのですから、地域統合を進めるさいには、中国や朝鮮のほうばかりに目を向けるのではなく、オーストラリアも重視すべきだろうと思います。その意味で、2007年3月の日豪安保共同宣言はよかったと思います。もっとも、こうした見解には個人の感情が反映されるもので、私の場合は、色々と不満はあるにしても、オーストラリアへの好感情が前提としてあるわけです。
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