フロレシエンシスはクレチン病を患った現生人類?
インドネシア領フローレス島のリアン=ブア洞窟で発見された更新世の人骨群が、ホモ=フロレシエンシスという人類の新種なのか、それとも病変・発達障害の現生人類なのかという議論については、このブログでも何度も取り上げてきました。この人骨群が新種であるとの研究(Matthew W. Tocheri et al.,2007)を昨年9月22日分の記事で紹介し、これで論争も収束に向かうのかと思っていたら、その後も、今年1月6日分の記事で紹介したように現生人類説(Anita Rauch et al.,2008)が提示されており、最近になってまた現生人類説を主張する新たな研究(Peter J. Obendorf et al.,2008)が報道されました。
リアン=ブア洞窟では、30歳くらいの女性とされるほぼ完全な人骨(LB1)や、LB1と同様の形態の下顎骨を有するLB6が発見されています。これらの人骨群は人類の新種ホモ=フロレシエンシスとされ、LB1はその正基準標本とされています。LB1の年代は18000年前頃、LB6の年代は15000年前頃とされています。以上のことを前提として、以下この研究についてざっと見ていくことにします。
クレチン病は甲状腺機能の低下をもたらし、体格の小型化とともに精神遅滞と運動障害をもたらします。ただ、風土性粘液水腫クレチン病患者の精神遅滞と運動障害の程度は、神経性風土性クレチン病患者ほどではありません。この研究では、LB1などリアン=ブア洞窟出土の更新世の人類は、風土性粘液水腫クレチン病を患った現生人類だったのではないか、との仮説が提示され、さまざまな観点から検証されています。
風土性粘液水腫クレチン病は、近年のインドネシアでも症例があり、アフリカ中央部でも見られます。風土性粘液水腫クレチン病は、ヨウ素不足を含む環境的要因により生じますから、潜在的にずっと人類集団に存在し続ける環境的障害であり、自然選択による遺伝的小型化とは異なります。散発性クレチン病は先天的甲状腺機能低下症であり、遺伝的要因により起こるものです。
この研究ではさまざまな観点から、LB1・LB6と、クレチン病患者、健常者、小頭症患者、化石人類(アフリカヌス・エレクトス・カブウェ人骨)が比較されました。ただ、LB1・LB6は直接測定されたわけではありません。
クレチン病は、さまざまな点でLB1・LB6と同様の形態学的特徴をもたらします。まず身長ですが、アフリカ中央部の風土性粘液水腫クレチン病患者の身長は、同地の健常者の7割ていどですが、これはLB1とフローレス島の中央高地人との身長比と似ています。
散発性クレチン病患者の28歳の欧州人男性(DC)とLB1の頭蓋冠はともに厚く、両者に散発性クレチン病患者の23歳のスリランカ人女性(HC)を加えた三者は、同様の頭蓋指数と頭骨の非対称性を示しています。頤がない(顎が未発達)というLB1・LB6の特徴は、欧州のクレチン病患者にも多く見られます。また、LB1の下顎小臼歯の特徴はDC・HCと一致します。
LB1の骨格は現生人類よりも頑丈だと評価され、それがLB1を人類の新種とする根拠の一つにもなっていました。しかし、甲状腺切除の実験では、四肢骨の成長は幅よりも長さのほうが妨げられ、四肢骨が頑丈なように見えます。つまり、甲状腺機能の低下によってもたらされた形態的特徴は、真の頑丈さとは異なるというわけです。
昨年8月18日分の記事にて、LB1の上腕や肩の構造が現代人とは異なることを指摘した研究(Susan G. Larson et al.,2007)を紹介しましたが、その研究にたいしても、現代人よりも20度ていど上腕骨後捻角が減少するというLB1の特徴は、現代の健常者と比較したクレチン病患者と一致する、と指摘されています。新種説の決定打になるのではないかと期待された、手根骨についての研究(Matthew W. Tocheri et al.,2007)にたいしても、クレチン病説で説明できると指摘されています。ただ、さらなる研究が必要であるとも述べられています。
この研究でとくに注目されるのは、下垂体窩の大きさです。LB1の下垂体窩は、体格が全体として小型化しているにも関わらず、健常者よりも肥大化していました。これは、中国のクレチン病患者とおおむね一致します。
LB1の特徴としてとくに驚かれたのは、417ccという脳容量の小ささでした。クレチン病は最大約5割の脳容量の減少をもたらしますから、LB1よりも大きな脳を持つことになります。ただ、LB1骨格が地中で圧力を受けたことにより、本来の脳容量よりも少なく推定されている可能性があります。また、南アジアから東南アジアにかけての現生人類のなかには小柄な集団も多く、脳容量が1000cc以下の現生人類の通常者もいました。たとえば、ニューアイルランド島の健常な女性の5%は、脳容量が1000cc以下です。
そう考えると、クレチン病患者のなかに、500cc以下の脳容量の女性がいるかもしれません。採集狩猟民集団においては、移動能力に劣っていて仲間とはぐれることにより、若いクレチン病患者の成長が妨げられ、脳容量が減少したかもしれません。このように考えると、クレチン病患者のなかにLB1ていどの脳容量の持ち主がいた可能性もあります。
これまで、LB1はラロン型小人症の現生人類ではないかとする研究(Israel Hershkovitz et al.,2007)や、一昨年8月22日分の記事で紹介したような、LB1は小頭症の現生人類ではないかとする研究(T. Jacob et al.,2006)が提示されてきました。しかし、たとえばラロン型小人症の患者には、はっきりとした顎、薄い頭蓋冠、通常者と同じか小さくさえある下垂体窩など、LB1とはっきり異なる特徴が認められます。また頭蓋データなどにおいて、LB1はクレチン病患者集団と関連づけられるのにたいして、小頭症患者集団とは明確に異なります。上記のような形態学的観点から見ると、LB1がクレチン病患者だとまだ証明されたわけではありませんが、クレチン病説のみが検証に耐えるものだと言えます。
では、LB1がクレチン病患者だとすると、LB1の出土状況やフローレス島の環境との因果関係はどのように説明されるのでしょうか。低度のセレンと、高度のチオシアン酸を伴う低度のヨウ素という組み合わせは、甲状腺の壊死を誘発します。これは食料とも関連していて、キャッサバのなかの青酸配糖体から生ずるリンパ液のチオシアン酸の増加は、アフリカの風土性粘液水腫クレチン病患者と関連しています。フローレス島では、青酸性植物が食料として採集狩猟民に利用されていました。
風土性の甲状腺腫はインドネシア諸島に見られ、現在でもこうした地域では甲状腺腫の割合が高いのですが(4~5割ていど)、それがただちにクレチン病に直結するわけではありません。しかし採集狩猟民は、ヨウ素の豊富な海岸資源をあまり利用しなかったため、深刻なヨウ素不足に陥ったことでしょう。リアン=ブア洞窟は内陸にあり、海岸まで直線距離でも24kmありますが、LB1の存在していた最終氷期にはさらに遠くなったことでしょう。
季節ごとに移動する採集狩猟民では、クレチン病患者は移動が制限され、集団とは離れ離れになってしまう成人もいたでしょう。成人クレチン病患者による洞窟の使用と埋葬の欠如という想定は、リアン=ブア洞窟での発掘状況を説明できます。一方、健常な採集狩猟民たちは季節的な移動を行ない、洞窟を避難所として利用していたと考えると、リアン=ブア洞窟において健常者の人骨が発見されていないことが納得できるでしょう。かりに、25~100人ていどの集団に1%ていどクレチン病患者がいたとしたら、リアン=ブア洞窟での人骨の残存状況を説明できます。
小柄で毛深く頑丈で、洞窟に住んでいて人の食べ物を盗み、不完全な言葉を話す人類がいたというフローレス島のエブ=ゴゴ伝説も、クレチン病患者のことを指していると理解できます。母親が自らのエブ=ゴゴたる子供を殺し、悲嘆に暮れるという不思議な物語は、母親が健常者で子供がクレチン病患者と考えれば理解できます。
また、42000年前の東ティモールの現生人類は、リアン=ブア洞窟の更新世の堆積層から出土したものと同じような石器を用いていたという研究(Sue O'Connor.,2007)が提示されていることも、クレチン病説の間接的証拠となります。LB1やLB6の登場する前から、フローレス島の近辺に現生人類が存在しており、しかも同じような石器を用いていたとなると、LB1を現生人類とは異なる系統の人類と考えるのは難しいでしょう。
ただ、LB1人骨を直接検査し、もっと多くのクレチン病患者の人骨が検査されるまでは、この研究で提示された見解は仮説にとどまらざるをえないでしょう。
以上、この研究についてざっと見てきましたが、LB1を含むリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群を病変の現生人類とする諸研究のなかでは、もっとも説得力があると思います。私はこれまでずっと新種説を支持してきましたが、意外というか困ったものだなあ、というのが率直な感想です。
この研究の弱点は、クレチン病説では、現生人類患者の脳容量がLB1ほどには小さくならない、ということでしょう。この疑問にたいしても回答は用意されていますが、他の形態学的比較ほどには説得力がないと思います。LB1以外にも、脳容量を測定できるような頭蓋骨が発見されればよいのですが、都合よく発見できるものでもないでしょう。
また、更新世のフローレス島の人類集団が、ヨウ素不足に陥りがちだったかどうかも、必ずしも決定的とは言えないでしょう。農耕が本格的に行なわれるようになった完新世の社会と、まだほとんど採集狩猟に依拠していたであろう更新世の社会とでは、採集狩猟民の社会的地位・行動が大きく異なっていた可能性もあると思います。
報道では、遺伝子解析が新種か現生人類かという議論を解決するだろうとの指摘もありますが、これまで失敗していることから、新たに保存状態のよい人骨が発見されないかぎり、遺伝子解析は難しいと思います。なお、42000年前の東ティモールの現生人類の事例は、人類種と石器技術とは必ずしも一致しないことから、LB1を現生人類とする有力な証拠にはならないでしょうし、現生人類とは異なる人類種フロレシエンシスが、フローレス島を訪れた現生人類から石器(もしくは石器製作技術)を得た、という想定も可能だと思います。
報道によると、LB1を発見した研究チームの一員だったピーター=ブラウン博士は、この研究はまったくの憶測だ、と述べています。ブラウン博士はさらに、この研究ではLB1人骨が直接調べられておらず、研究者たちが他者によって得られたデータに依拠していることと、研究者たちは化石人骨を扱った経験がほとんどないか皆無であることを指摘し、この研究を批判しています。新種説を強力に主張するブラウン博士には、新種説を決定づけるような研究の提示を期待しています。
参考文献:
Anita Rauch, Christian T. Thiel, Detlev Schindler, Ursula Wick, Yanick J. Crow, Arif B. Ekici, Anthonie J. van Essen, Timm O. Goecke, Lihadh Al-Gazali, Krystyna H. Chrzanowska, Christiane Zweier, Han G. Brunner, Kristin Becker, Cynthia J. Curry, Bruno Dallapiccola, Koenraad Devriendt, Arnd Dörfler, Esther Kinning, André Megarbane, Peter Meinecke, Robert K. Semple, Stephanie Spranger, Annick Toutain, Richard C. Trembath, Egbert Voß, Louise Wilson, Raoul Hennekam, Francis de Zegher, Helmut-Günther Dörr, and André Reis.(2008): Mutations in the Pericentrin (PCNT) Gene Cause Primordial Dwarfism. Science, 319, 5864, 816-849.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1151174
Israel Hershkovitz, Liora Kornreich, and Zvi Laron.(2007): Comparative skeletal features between Homo floresiensis and patients with primary growth hormone insensitivity (Laron syndrome). American Journal of Physical Anthropology, 134, 2, 198-208.
http://dx.doi.org/doi:10.1002/ajpa.20655
Matthew W. Tocheri, Caley M. Orr, Susan G. Larson, Thomas Sutikna, Jatmiko, E. Wahyu Saptomo, Rokus Awe Due, Tony Djubiantono, Michael J. Morwood, and William L. Jungers.(2007): The Primitive Wrist of Homo floresiensis and Its Implications for Hominin Evolution. Science, 317, 5845, 1743-1745.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1147143
Peter J. Obendorf, Charles E. Oxnard, and Ben J. Kefford.(2008): Are the small human-like fossils found on Flores human endemic cretins?. Proceedings of the Royal Society B, 275, 1640, 1287-1296.
http://dx.doi.org/10.1098/rspb.2007.1488
Sue O'Connor.(2007): New evidence from East Timor contributes to our understanding of earliest modern human colonisation east of the Sunda Shelf. Antiquity, 81, 313, 523–535.
http://www.antiquity.ac.uk/Ant/081/ant0810523.htm
Susan G. Larson, William L. Jungers, Michael J. Morwood, Thomas Sutikna, Jatmiko, E. Wahyu Saptomo, Rokus Awe Due, and Tony Djubiantono.(2007): Homo floresiensis and the evolution of the hominin shoulder. Journal of Human Evolution, 53, 6, 718-731.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.06.003
T. Jacob, E. Indriati, R. P. Soejono, K. Hsü, D. W. Frayer, R. B. Eckhardt, A. J. Kuperavage, A. Thorne, and M. Henneberg.(2006): Pygmoid Australomelanesian Homo sapiens skeletal remains from Liang Bua, Flores: Population affinities and pathological abnormalities. PNAS, 103, 36, 13421-13426.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0605563103
リアン=ブア洞窟では、30歳くらいの女性とされるほぼ完全な人骨(LB1)や、LB1と同様の形態の下顎骨を有するLB6が発見されています。これらの人骨群は人類の新種ホモ=フロレシエンシスとされ、LB1はその正基準標本とされています。LB1の年代は18000年前頃、LB6の年代は15000年前頃とされています。以上のことを前提として、以下この研究についてざっと見ていくことにします。
クレチン病は甲状腺機能の低下をもたらし、体格の小型化とともに精神遅滞と運動障害をもたらします。ただ、風土性粘液水腫クレチン病患者の精神遅滞と運動障害の程度は、神経性風土性クレチン病患者ほどではありません。この研究では、LB1などリアン=ブア洞窟出土の更新世の人類は、風土性粘液水腫クレチン病を患った現生人類だったのではないか、との仮説が提示され、さまざまな観点から検証されています。
風土性粘液水腫クレチン病は、近年のインドネシアでも症例があり、アフリカ中央部でも見られます。風土性粘液水腫クレチン病は、ヨウ素不足を含む環境的要因により生じますから、潜在的にずっと人類集団に存在し続ける環境的障害であり、自然選択による遺伝的小型化とは異なります。散発性クレチン病は先天的甲状腺機能低下症であり、遺伝的要因により起こるものです。
この研究ではさまざまな観点から、LB1・LB6と、クレチン病患者、健常者、小頭症患者、化石人類(アフリカヌス・エレクトス・カブウェ人骨)が比較されました。ただ、LB1・LB6は直接測定されたわけではありません。
クレチン病は、さまざまな点でLB1・LB6と同様の形態学的特徴をもたらします。まず身長ですが、アフリカ中央部の風土性粘液水腫クレチン病患者の身長は、同地の健常者の7割ていどですが、これはLB1とフローレス島の中央高地人との身長比と似ています。
散発性クレチン病患者の28歳の欧州人男性(DC)とLB1の頭蓋冠はともに厚く、両者に散発性クレチン病患者の23歳のスリランカ人女性(HC)を加えた三者は、同様の頭蓋指数と頭骨の非対称性を示しています。頤がない(顎が未発達)というLB1・LB6の特徴は、欧州のクレチン病患者にも多く見られます。また、LB1の下顎小臼歯の特徴はDC・HCと一致します。
LB1の骨格は現生人類よりも頑丈だと評価され、それがLB1を人類の新種とする根拠の一つにもなっていました。しかし、甲状腺切除の実験では、四肢骨の成長は幅よりも長さのほうが妨げられ、四肢骨が頑丈なように見えます。つまり、甲状腺機能の低下によってもたらされた形態的特徴は、真の頑丈さとは異なるというわけです。
昨年8月18日分の記事にて、LB1の上腕や肩の構造が現代人とは異なることを指摘した研究(Susan G. Larson et al.,2007)を紹介しましたが、その研究にたいしても、現代人よりも20度ていど上腕骨後捻角が減少するというLB1の特徴は、現代の健常者と比較したクレチン病患者と一致する、と指摘されています。新種説の決定打になるのではないかと期待された、手根骨についての研究(Matthew W. Tocheri et al.,2007)にたいしても、クレチン病説で説明できると指摘されています。ただ、さらなる研究が必要であるとも述べられています。
この研究でとくに注目されるのは、下垂体窩の大きさです。LB1の下垂体窩は、体格が全体として小型化しているにも関わらず、健常者よりも肥大化していました。これは、中国のクレチン病患者とおおむね一致します。
LB1の特徴としてとくに驚かれたのは、417ccという脳容量の小ささでした。クレチン病は最大約5割の脳容量の減少をもたらしますから、LB1よりも大きな脳を持つことになります。ただ、LB1骨格が地中で圧力を受けたことにより、本来の脳容量よりも少なく推定されている可能性があります。また、南アジアから東南アジアにかけての現生人類のなかには小柄な集団も多く、脳容量が1000cc以下の現生人類の通常者もいました。たとえば、ニューアイルランド島の健常な女性の5%は、脳容量が1000cc以下です。
そう考えると、クレチン病患者のなかに、500cc以下の脳容量の女性がいるかもしれません。採集狩猟民集団においては、移動能力に劣っていて仲間とはぐれることにより、若いクレチン病患者の成長が妨げられ、脳容量が減少したかもしれません。このように考えると、クレチン病患者のなかにLB1ていどの脳容量の持ち主がいた可能性もあります。
これまで、LB1はラロン型小人症の現生人類ではないかとする研究(Israel Hershkovitz et al.,2007)や、一昨年8月22日分の記事で紹介したような、LB1は小頭症の現生人類ではないかとする研究(T. Jacob et al.,2006)が提示されてきました。しかし、たとえばラロン型小人症の患者には、はっきりとした顎、薄い頭蓋冠、通常者と同じか小さくさえある下垂体窩など、LB1とはっきり異なる特徴が認められます。また頭蓋データなどにおいて、LB1はクレチン病患者集団と関連づけられるのにたいして、小頭症患者集団とは明確に異なります。上記のような形態学的観点から見ると、LB1がクレチン病患者だとまだ証明されたわけではありませんが、クレチン病説のみが検証に耐えるものだと言えます。
では、LB1がクレチン病患者だとすると、LB1の出土状況やフローレス島の環境との因果関係はどのように説明されるのでしょうか。低度のセレンと、高度のチオシアン酸を伴う低度のヨウ素という組み合わせは、甲状腺の壊死を誘発します。これは食料とも関連していて、キャッサバのなかの青酸配糖体から生ずるリンパ液のチオシアン酸の増加は、アフリカの風土性粘液水腫クレチン病患者と関連しています。フローレス島では、青酸性植物が食料として採集狩猟民に利用されていました。
風土性の甲状腺腫はインドネシア諸島に見られ、現在でもこうした地域では甲状腺腫の割合が高いのですが(4~5割ていど)、それがただちにクレチン病に直結するわけではありません。しかし採集狩猟民は、ヨウ素の豊富な海岸資源をあまり利用しなかったため、深刻なヨウ素不足に陥ったことでしょう。リアン=ブア洞窟は内陸にあり、海岸まで直線距離でも24kmありますが、LB1の存在していた最終氷期にはさらに遠くなったことでしょう。
季節ごとに移動する採集狩猟民では、クレチン病患者は移動が制限され、集団とは離れ離れになってしまう成人もいたでしょう。成人クレチン病患者による洞窟の使用と埋葬の欠如という想定は、リアン=ブア洞窟での発掘状況を説明できます。一方、健常な採集狩猟民たちは季節的な移動を行ない、洞窟を避難所として利用していたと考えると、リアン=ブア洞窟において健常者の人骨が発見されていないことが納得できるでしょう。かりに、25~100人ていどの集団に1%ていどクレチン病患者がいたとしたら、リアン=ブア洞窟での人骨の残存状況を説明できます。
小柄で毛深く頑丈で、洞窟に住んでいて人の食べ物を盗み、不完全な言葉を話す人類がいたというフローレス島のエブ=ゴゴ伝説も、クレチン病患者のことを指していると理解できます。母親が自らのエブ=ゴゴたる子供を殺し、悲嘆に暮れるという不思議な物語は、母親が健常者で子供がクレチン病患者と考えれば理解できます。
また、42000年前の東ティモールの現生人類は、リアン=ブア洞窟の更新世の堆積層から出土したものと同じような石器を用いていたという研究(Sue O'Connor.,2007)が提示されていることも、クレチン病説の間接的証拠となります。LB1やLB6の登場する前から、フローレス島の近辺に現生人類が存在しており、しかも同じような石器を用いていたとなると、LB1を現生人類とは異なる系統の人類と考えるのは難しいでしょう。
ただ、LB1人骨を直接検査し、もっと多くのクレチン病患者の人骨が検査されるまでは、この研究で提示された見解は仮説にとどまらざるをえないでしょう。
以上、この研究についてざっと見てきましたが、LB1を含むリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群を病変の現生人類とする諸研究のなかでは、もっとも説得力があると思います。私はこれまでずっと新種説を支持してきましたが、意外というか困ったものだなあ、というのが率直な感想です。
この研究の弱点は、クレチン病説では、現生人類患者の脳容量がLB1ほどには小さくならない、ということでしょう。この疑問にたいしても回答は用意されていますが、他の形態学的比較ほどには説得力がないと思います。LB1以外にも、脳容量を測定できるような頭蓋骨が発見されればよいのですが、都合よく発見できるものでもないでしょう。
また、更新世のフローレス島の人類集団が、ヨウ素不足に陥りがちだったかどうかも、必ずしも決定的とは言えないでしょう。農耕が本格的に行なわれるようになった完新世の社会と、まだほとんど採集狩猟に依拠していたであろう更新世の社会とでは、採集狩猟民の社会的地位・行動が大きく異なっていた可能性もあると思います。
報道では、遺伝子解析が新種か現生人類かという議論を解決するだろうとの指摘もありますが、これまで失敗していることから、新たに保存状態のよい人骨が発見されないかぎり、遺伝子解析は難しいと思います。なお、42000年前の東ティモールの現生人類の事例は、人類種と石器技術とは必ずしも一致しないことから、LB1を現生人類とする有力な証拠にはならないでしょうし、現生人類とは異なる人類種フロレシエンシスが、フローレス島を訪れた現生人類から石器(もしくは石器製作技術)を得た、という想定も可能だと思います。
報道によると、LB1を発見した研究チームの一員だったピーター=ブラウン博士は、この研究はまったくの憶測だ、と述べています。ブラウン博士はさらに、この研究ではLB1人骨が直接調べられておらず、研究者たちが他者によって得られたデータに依拠していることと、研究者たちは化石人骨を扱った経験がほとんどないか皆無であることを指摘し、この研究を批判しています。新種説を強力に主張するブラウン博士には、新種説を決定づけるような研究の提示を期待しています。
参考文献:
Anita Rauch, Christian T. Thiel, Detlev Schindler, Ursula Wick, Yanick J. Crow, Arif B. Ekici, Anthonie J. van Essen, Timm O. Goecke, Lihadh Al-Gazali, Krystyna H. Chrzanowska, Christiane Zweier, Han G. Brunner, Kristin Becker, Cynthia J. Curry, Bruno Dallapiccola, Koenraad Devriendt, Arnd Dörfler, Esther Kinning, André Megarbane, Peter Meinecke, Robert K. Semple, Stephanie Spranger, Annick Toutain, Richard C. Trembath, Egbert Voß, Louise Wilson, Raoul Hennekam, Francis de Zegher, Helmut-Günther Dörr, and André Reis.(2008): Mutations in the Pericentrin (PCNT) Gene Cause Primordial Dwarfism. Science, 319, 5864, 816-849.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1151174
Israel Hershkovitz, Liora Kornreich, and Zvi Laron.(2007): Comparative skeletal features between Homo floresiensis and patients with primary growth hormone insensitivity (Laron syndrome). American Journal of Physical Anthropology, 134, 2, 198-208.
http://dx.doi.org/doi:10.1002/ajpa.20655
Matthew W. Tocheri, Caley M. Orr, Susan G. Larson, Thomas Sutikna, Jatmiko, E. Wahyu Saptomo, Rokus Awe Due, Tony Djubiantono, Michael J. Morwood, and William L. Jungers.(2007): The Primitive Wrist of Homo floresiensis and Its Implications for Hominin Evolution. Science, 317, 5845, 1743-1745.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1147143
Peter J. Obendorf, Charles E. Oxnard, and Ben J. Kefford.(2008): Are the small human-like fossils found on Flores human endemic cretins?. Proceedings of the Royal Society B, 275, 1640, 1287-1296.
http://dx.doi.org/10.1098/rspb.2007.1488
Sue O'Connor.(2007): New evidence from East Timor contributes to our understanding of earliest modern human colonisation east of the Sunda Shelf. Antiquity, 81, 313, 523–535.
http://www.antiquity.ac.uk/Ant/081/ant0810523.htm
Susan G. Larson, William L. Jungers, Michael J. Morwood, Thomas Sutikna, Jatmiko, E. Wahyu Saptomo, Rokus Awe Due, and Tony Djubiantono.(2007): Homo floresiensis and the evolution of the hominin shoulder. Journal of Human Evolution, 53, 6, 718-731.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.06.003
T. Jacob, E. Indriati, R. P. Soejono, K. Hsü, D. W. Frayer, R. B. Eckhardt, A. J. Kuperavage, A. Thorne, and M. Henneberg.(2006): Pygmoid Australomelanesian Homo sapiens skeletal remains from Liang Bua, Flores: Population affinities and pathological abnormalities. PNAS, 103, 36, 13421-13426.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0605563103
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