小島毅『足利義満 消された日本国王』
光文社新書の一冊として、光文社より2008年2月に刊行されました。本書は一応啓蒙書に分類されるのでしょうが、『靖国史観-幕末維新という深淵』
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_29.html
でもそうだったように、著者の人柄が反映されているのか、くだけた・軽い・ふざけた文章が頻出するのは、内容自体はなかなか面白いだけに、残念でなりません。
本書では、明に冊封されたということで日本ではきわめて評判の悪い足利義満が、東アジア的な視点から「日本国王」として再評価されています。義満は「夜郎自大」な日本一国的価値観を超越しており、明に冊封されたことをはじめとして義満の事績は、日本史という枠組みを超えて評価すべきだ、とされています。また、天皇を上位の存在と考えることを当然とする日本一国的な価値観は、「夜郎自大」・虚構として厳しく批判されています。
なるほど、義満というよりも当時の日本列島全体は、日本列島だけではなく、より広域的な枠組みで考えねばなりません。また、「日本」と「中華」を並置対等視して中世日本を考察するのには問題があり、当時の「中華文明」は、義満など少なからぬ日本の知識層にとって、いわば現在の欧米文明のような普遍的規範であったので、そうした視点から義満の事績を問い直す必要はあるでしょう。余談になりますが、義満よりも200年近く後の、「欧州文明に理解を示した先進的な」織田信長にとっても、じつは「中華文明」は普遍的規範だったと考えるのが妥当だと思われます。
しかし本書を読んでも、義満にとって「日本国王」の地位が実質的にどれだけ重みのあったものなのか、どうも見えてきませんし、そもそも、義満が偉大な政治家であったという印象も強く残りません。義満が当時の普遍的規範であった「中華文明」の導入に努めたことは否定できませんが、「日本国王」という称号自体は、義満の権力基盤の周辺にあってはほとんど意味がなかったように思われます。
義満が明から冊封を受けたのは、モンゴル帝国とは異なり交易の統制と華夷秩序の再建(という名のもとでの創出)を強く打ち出した明が、モンゴル帝国に替わって中華地域を支配するようになったという情勢の変動を受けて、交易を維持・独占・統制するためであり、それ以上の意味を見出すのは、中華的大義名分論というか虚構を、実態以上に過大評価することになりかねない、と思います。
たしかに、「日本史」は日本列島だけで完結するものではありませんが、だからといって、「東アジア」という枠組みを所与の大前提としてしまえば、やはり「日本」という枠組みのみで考察するときと同じ過ちを犯すことになるのでしょう。皇国史観的な虚構を排したのはよいのですが、その代わりに「中華」的虚構を過大視してしまったのではないか、というのが本書にたいする率直な感想です。
ただそれでも、本書はなかなか面白く、興味深い見解が随所に見られますので、一読の価値はじゅうぶんにあると思います。著者の専門が中国思想史だけあって、孟子の思想が室町時代の日本にあってどのように解釈されていたのか、ということに関する指摘は、専門家ではない私にはたいへん興味深いものでした。どうも、義満は孟子の言説を革命思想とは認識していなかったようで、これは当時の中華世界の思想状況を反映したものであったようです。
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でもそうだったように、著者の人柄が反映されているのか、くだけた・軽い・ふざけた文章が頻出するのは、内容自体はなかなか面白いだけに、残念でなりません。
本書では、明に冊封されたということで日本ではきわめて評判の悪い足利義満が、東アジア的な視点から「日本国王」として再評価されています。義満は「夜郎自大」な日本一国的価値観を超越しており、明に冊封されたことをはじめとして義満の事績は、日本史という枠組みを超えて評価すべきだ、とされています。また、天皇を上位の存在と考えることを当然とする日本一国的な価値観は、「夜郎自大」・虚構として厳しく批判されています。
なるほど、義満というよりも当時の日本列島全体は、日本列島だけではなく、より広域的な枠組みで考えねばなりません。また、「日本」と「中華」を並置対等視して中世日本を考察するのには問題があり、当時の「中華文明」は、義満など少なからぬ日本の知識層にとって、いわば現在の欧米文明のような普遍的規範であったので、そうした視点から義満の事績を問い直す必要はあるでしょう。余談になりますが、義満よりも200年近く後の、「欧州文明に理解を示した先進的な」織田信長にとっても、じつは「中華文明」は普遍的規範だったと考えるのが妥当だと思われます。
しかし本書を読んでも、義満にとって「日本国王」の地位が実質的にどれだけ重みのあったものなのか、どうも見えてきませんし、そもそも、義満が偉大な政治家であったという印象も強く残りません。義満が当時の普遍的規範であった「中華文明」の導入に努めたことは否定できませんが、「日本国王」という称号自体は、義満の権力基盤の周辺にあってはほとんど意味がなかったように思われます。
義満が明から冊封を受けたのは、モンゴル帝国とは異なり交易の統制と華夷秩序の再建(という名のもとでの創出)を強く打ち出した明が、モンゴル帝国に替わって中華地域を支配するようになったという情勢の変動を受けて、交易を維持・独占・統制するためであり、それ以上の意味を見出すのは、中華的大義名分論というか虚構を、実態以上に過大評価することになりかねない、と思います。
たしかに、「日本史」は日本列島だけで完結するものではありませんが、だからといって、「東アジア」という枠組みを所与の大前提としてしまえば、やはり「日本」という枠組みのみで考察するときと同じ過ちを犯すことになるのでしょう。皇国史観的な虚構を排したのはよいのですが、その代わりに「中華」的虚構を過大視してしまったのではないか、というのが本書にたいする率直な感想です。
ただそれでも、本書はなかなか面白く、興味深い見解が随所に見られますので、一読の価値はじゅうぶんにあると思います。著者の専門が中国思想史だけあって、孟子の思想が室町時代の日本にあってどのように解釈されていたのか、ということに関する指摘は、専門家ではない私にはたいへん興味深いものでした。どうも、義満は孟子の言説を革命思想とは認識していなかったようで、これは当時の中華世界の思想状況を反映したものであったようです。
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