羽田正『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』
講談社の『興亡の世界史』シリーズ11冊目となります(2007年12月刊行)。東インド会社を軸として、近代への移行も視野にいれつつ、「アジアの海」を中心とした17~18世紀の世界史が描かれます。膨大な研究蓄積があり、本書が扱う地理的範囲の中心となる「アジアの海」も広大なだけに、これを一冊の一般向け書籍として執筆するにあたっては、歴史家としてのかなりの力量が要求されますが、本書の試みは一定の成果をおさめたように思われます。
ただ、紙幅の制約があるとはいえ、西欧の変容やアメリカ大陸と他地域との関わりについては、もう少し触れられたほうがよかったように思います。本書は基本的に、これまでの膨大な研究蓄積に依拠したものであり、きわだって斬新な見解が提示されているとは言いがたいでしょうが、この時期の日本以外の地域について不勉強な私にとっては、英蘭仏のそれぞれの東インド会社の違いなど、色々と教えられるところがありました。
本書の基調をなすのは、欧州中心史観・近代以降の価値観を前提とした歴史観からの脱却だと思います。欧州(本書はこの言葉の使用に慎重ですが)の貧しさとアジアの豊かさ、欧州ではアジアの生活文化が大きな影響を有したのにたいして、19世紀を迎えるまで、アジアでは欧州の生活文化が大きな影響力をもたなかったこと、日本がオランダから主に輸入したのは欧州の産物ではなくアジア、とくに中国の産物だったこと、近代国民国家の概念になじんだ現代(日本)人からは不可解に思える、西・南・東南アジアの現地勢力の西欧勢力への対応の理由など、欧州中心史観・近代化論では見落とされるか理解されにくい事象がしっかりと説明されているのは、本書の重要な特徴でしょう。
しかし一方で、本書ではまず西欧で近代が始まった理由についても展望されており、単純に欧州中心史観が覆されているだけではありません。西欧勢力がアメリカ大陸の富を得て、大々的に豊かなアジア地域と貿易ができたことと、アメリカ大陸から東アジアまで世界の広大な地域に乗り出してさまざまな情報を蓄積できたことが、近代化の前提として重要だったとされます。
ただ、近代国民国家的な概念が西欧で生じた理由について、詳しく述べられていなかったのは残念でした。その問題と関連しますが、西・南・東南アジアの現地勢力とは異なり、徳川政権が人間の「内」と「外」の区別をはっきりとつける方針をとっていたことが、日本の近代化を比較的容易にした一因ではないか、との見通しも提示されています。
その他の具体的歴史解釈では、私の不勉強もあるのでしょうが、紅茶の英国での浸透の在り様と、欧州で香辛料が求められた理由と、インド文化についての解釈とがなかなか興味深いものでした。1730年代の英国において紅茶と緑茶の輸入量が逆転し、紅茶が上流階級から中流階級へと浸透したとの通説にたいしては、高級緑茶の輸入量の割合が減少していないことが指摘され、疑問が呈されています。けっきょくのところ、本書では英国において紅茶が選択された理由について明快な解釈は提示されず、今後の研究を待つとされていますが、なかなか興味深い指摘でした。
欧州で香辛料が求められた理由は、肉の保存と味付けのためだとの通説にたいしては、保存剤は塩・酢・植物油が基本だったこと、当時は肉を今よりも新鮮なうちに食べており、腐肉を食べるような下層民は香辛料とは縁遠かっただろうことなどを理由として、当時の医学水準も考慮したうえで、香辛料はまず医薬品として求められたのだ、とする見解が紹介されます。中世~近世の西欧史について不勉強な私にとっては、新鮮な見解でした。
インド文化については、地域によってさまざまだったインドにおける信仰(イスラーム・ジャイナ教・スィク教などを除く)を、キリスト教やイスラームに匹敵するヒンドゥー教として一まとめに理解したのは英国人であり、西アジアの人々が北インドの人々を指したヒンドゥーという言葉が、欧州起源の宗教という概念と結びつけられたのだとの指摘は、インド史に無知な私にとってはたいへん新鮮でした。これも伝統の発見・創造の一例と言うべきで、現在の知の枠組みが欧州的価値観に強く規制されていることを改めて思い知らされました。
ただ、紙幅の制約があるとはいえ、西欧の変容やアメリカ大陸と他地域との関わりについては、もう少し触れられたほうがよかったように思います。本書は基本的に、これまでの膨大な研究蓄積に依拠したものであり、きわだって斬新な見解が提示されているとは言いがたいでしょうが、この時期の日本以外の地域について不勉強な私にとっては、英蘭仏のそれぞれの東インド会社の違いなど、色々と教えられるところがありました。
本書の基調をなすのは、欧州中心史観・近代以降の価値観を前提とした歴史観からの脱却だと思います。欧州(本書はこの言葉の使用に慎重ですが)の貧しさとアジアの豊かさ、欧州ではアジアの生活文化が大きな影響を有したのにたいして、19世紀を迎えるまで、アジアでは欧州の生活文化が大きな影響力をもたなかったこと、日本がオランダから主に輸入したのは欧州の産物ではなくアジア、とくに中国の産物だったこと、近代国民国家の概念になじんだ現代(日本)人からは不可解に思える、西・南・東南アジアの現地勢力の西欧勢力への対応の理由など、欧州中心史観・近代化論では見落とされるか理解されにくい事象がしっかりと説明されているのは、本書の重要な特徴でしょう。
しかし一方で、本書ではまず西欧で近代が始まった理由についても展望されており、単純に欧州中心史観が覆されているだけではありません。西欧勢力がアメリカ大陸の富を得て、大々的に豊かなアジア地域と貿易ができたことと、アメリカ大陸から東アジアまで世界の広大な地域に乗り出してさまざまな情報を蓄積できたことが、近代化の前提として重要だったとされます。
ただ、近代国民国家的な概念が西欧で生じた理由について、詳しく述べられていなかったのは残念でした。その問題と関連しますが、西・南・東南アジアの現地勢力とは異なり、徳川政権が人間の「内」と「外」の区別をはっきりとつける方針をとっていたことが、日本の近代化を比較的容易にした一因ではないか、との見通しも提示されています。
その他の具体的歴史解釈では、私の不勉強もあるのでしょうが、紅茶の英国での浸透の在り様と、欧州で香辛料が求められた理由と、インド文化についての解釈とがなかなか興味深いものでした。1730年代の英国において紅茶と緑茶の輸入量が逆転し、紅茶が上流階級から中流階級へと浸透したとの通説にたいしては、高級緑茶の輸入量の割合が減少していないことが指摘され、疑問が呈されています。けっきょくのところ、本書では英国において紅茶が選択された理由について明快な解釈は提示されず、今後の研究を待つとされていますが、なかなか興味深い指摘でした。
欧州で香辛料が求められた理由は、肉の保存と味付けのためだとの通説にたいしては、保存剤は塩・酢・植物油が基本だったこと、当時は肉を今よりも新鮮なうちに食べており、腐肉を食べるような下層民は香辛料とは縁遠かっただろうことなどを理由として、当時の医学水準も考慮したうえで、香辛料はまず医薬品として求められたのだ、とする見解が紹介されます。中世~近世の西欧史について不勉強な私にとっては、新鮮な見解でした。
インド文化については、地域によってさまざまだったインドにおける信仰(イスラーム・ジャイナ教・スィク教などを除く)を、キリスト教やイスラームに匹敵するヒンドゥー教として一まとめに理解したのは英国人であり、西アジアの人々が北インドの人々を指したヒンドゥーという言葉が、欧州起源の宗教という概念と結びつけられたのだとの指摘は、インド史に無知な私にとってはたいへん新鮮でした。これも伝統の発見・創造の一例と言うべきで、現在の知の枠組みが欧州的価値観に強く規制されていることを改めて思い知らされました。
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