平野聡『興亡の世界史17 大清帝国と中華の混迷』
講談社の『興亡の世界史』シリーズ10冊目となります(2007年10月刊行)。現代の「中国」という枠組みが築かれるうえで決定的な役割を果たした清帝国の興亡とともに、近現代の「中国」という概念がいかなる歴史的文脈のもとに形成されたか、叙述されています。
清帝国を「中国」の一王朝という前提のもとに語る見解にたいする懐疑は、私のような専門家ではない日本人の間にも浸透しつつあるでしょうが、本書においては、チベット・モンゴルと清帝国との関係に焦点が当てられる形で、内陸アジアの帝国としての清帝国の性格が強調されています。
清帝国の漢人知識層の内発的な動きと欧米列強のアジア侵出という状況のなか、華夷思想と内陸アジアの帝国としての性格に規定された清帝国の秩序と世界観は崩壊していき、近代欧州の国民国家と領土という概念に基づいた世界認識が浸透していきます。その過程で現代の「中国」という概念が生まれることになります。
改めて言うまでもなく、清帝国や日本を含む前近代の東アジア・内陸アジアには(南・東南アジアも)、国民国家と領土からなる国際関係という近代欧州の概念はありませんでしたが、日中・日韓・中朝・中印といった現代のアジア諸国の領土紛争は、近代以前の歴史的経緯を継承したうえで、正統性が争われています。本書を読むと、現代のアジア諸国における前近代の歴史を持ち出しての領土紛争が滑稽に見えてきますが、そうした見方は、現代日本のような脱近代社会でないと、なかなか受け入れられないのかもしれません。
現代の「東アジア世界」がいかに形成されてきたのかを知り、今後「東アジア諸国」はどのような関係を築くべきなのか、考えるうえでも参考になる一冊で、色々と深く考えさせられるという意味でかなりの好著であり、これまでの『興亡の世界史』シリーズではもっとも出来がよいと思います。
清帝国を「中国」の一王朝という前提のもとに語る見解にたいする懐疑は、私のような専門家ではない日本人の間にも浸透しつつあるでしょうが、本書においては、チベット・モンゴルと清帝国との関係に焦点が当てられる形で、内陸アジアの帝国としての清帝国の性格が強調されています。
清帝国の漢人知識層の内発的な動きと欧米列強のアジア侵出という状況のなか、華夷思想と内陸アジアの帝国としての性格に規定された清帝国の秩序と世界観は崩壊していき、近代欧州の国民国家と領土という概念に基づいた世界認識が浸透していきます。その過程で現代の「中国」という概念が生まれることになります。
改めて言うまでもなく、清帝国や日本を含む前近代の東アジア・内陸アジアには(南・東南アジアも)、国民国家と領土からなる国際関係という近代欧州の概念はありませんでしたが、日中・日韓・中朝・中印といった現代のアジア諸国の領土紛争は、近代以前の歴史的経緯を継承したうえで、正統性が争われています。本書を読むと、現代のアジア諸国における前近代の歴史を持ち出しての領土紛争が滑稽に見えてきますが、そうした見方は、現代日本のような脱近代社会でないと、なかなか受け入れられないのかもしれません。
現代の「東アジア世界」がいかに形成されてきたのかを知り、今後「東アジア諸国」はどのような関係を築くべきなのか、考えるうえでも参考になる一冊で、色々と深く考えさせられるという意味でかなりの好著であり、これまでの『興亡の世界史』シリーズではもっとも出来がよいと思います。
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