平川南『日本の歴史第2巻 日本の原像』(2008年1月刊行)
小学館『日本の歴史』2冊目の刊行となります。「新視点・古代史、稲作や特産物から探る古代社会の実像」とのことで、2000年代の講談社版『日本の歴史』の「**史の論点」の巻と似た役割を担うことになるのでしょう。本書の特徴は、各地の発掘成果が多数紹介され、そこから日本史像が構成されていることで、中央からの視点・中央の動向に偏らない叙述となっていて、なかなか興味深い一冊となっています。
本書では、すでに古代より稲には多数の品種があり、それらのうち少なからぬものが近世まで受け継がれたことと、中央政権が稲作の管理にたいへん力を入れていたこととが指摘されており、後者はその後の日本の政治権力のあり方をあるていど方向づけるものだった、と言えるかもしれません。
都ではほとんど使われなかった則天文字が地方でそれなりに使われていたことや、西国と東国の国名の違いによる、日本国成立過程の説明や、郡の役所における役人間の文字習熟度の違いや、平安時代になって道路の規模が縮小されたことなど、日本全域を対象とした研究成果の紹介には興味深いものがあります。
また、網野善彦氏により提示された、地域間の活発な交流がなされていたという中世像について、その中世像自体は肯定的に紹介しつつも、網野氏の古代像には閉塞感が漂うとして批判的なことも注目されます。著者は、各地の具体的な研究成果を引用しつつ、古代においても各地の水上交通は盛んであり、これが中世の基盤となったのだ、と指摘しています。
こうした研究成果をもとに、筆者は古代から中世への転換について、次のようにまとめています(青字の箇所、一部算用数字に改めました)。時代の移り変わり、変化とは、表層・深層のそこかしこにみられるものであるが、国家の象徴の可視的な変革と、社会基盤の深層的な変革の波動がほぼ合致した世紀が10世紀であり、9世紀をその前兆の世紀、11世紀を中世社会への胎動の世紀と位置づけることができるであろう。この見解には、私もおおむね賛同します。
本書では、すでに古代より稲には多数の品種があり、それらのうち少なからぬものが近世まで受け継がれたことと、中央政権が稲作の管理にたいへん力を入れていたこととが指摘されており、後者はその後の日本の政治権力のあり方をあるていど方向づけるものだった、と言えるかもしれません。
都ではほとんど使われなかった則天文字が地方でそれなりに使われていたことや、西国と東国の国名の違いによる、日本国成立過程の説明や、郡の役所における役人間の文字習熟度の違いや、平安時代になって道路の規模が縮小されたことなど、日本全域を対象とした研究成果の紹介には興味深いものがあります。
また、網野善彦氏により提示された、地域間の活発な交流がなされていたという中世像について、その中世像自体は肯定的に紹介しつつも、網野氏の古代像には閉塞感が漂うとして批判的なことも注目されます。著者は、各地の具体的な研究成果を引用しつつ、古代においても各地の水上交通は盛んであり、これが中世の基盤となったのだ、と指摘しています。
こうした研究成果をもとに、筆者は古代から中世への転換について、次のようにまとめています(青字の箇所、一部算用数字に改めました)。時代の移り変わり、変化とは、表層・深層のそこかしこにみられるものであるが、国家の象徴の可視的な変革と、社会基盤の深層的な変革の波動がほぼ合致した世紀が10世紀であり、9世紀をその前兆の世紀、11世紀を中世社会への胎動の世紀と位置づけることができるであろう。この見解には、私もおおむね賛同します。
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