夫婦別姓問題をめぐる歴史認識と今後の社会

 夫婦別姓問題をめぐる議論とそこでの歴史認識について、今年2月5日分の記事今年2月14日分の記事にて述べましたが、その後も少しずつこの問題について調べています(以下、青字が引用箇所です)。ネットで検索してみて改めて思ったのは、夫婦別姓容認論の側には、日本における夫婦同姓は明治以降の根の浅いもの(創られた伝統)との見解が根強くある、ということです。

 なかには、夫婦の同氏で歴史や伝統を語ろうとするのは、かなり無理があります。無理があるどころか、その人の歴史認識を疑いたくなります、と述べられているブログもあります。日本における夫婦同姓は、日本の伝統社会に根ざした側面が多分にある、と考えている私は、このブログ主の方にとっては、見識が疑われる人物だということなのでしょう。もっとも私からみると、日本における夫婦同姓は根の浅いものだという見解のほうこそ、歴史認識としては問題有ということになるのですが、その根拠については上記二つの記事で述べましたので、ここでは繰り返しません。

 日本における夫婦同姓が、日本の伝統社会に根ざした側面が多分にあるということは、夫婦別姓容認は伝統的破壊になる、と主張する夫婦別姓容認反対論にも、一定水準以上の根拠があることになります。おそらく、夫婦別姓問題にかんする議論とは、あるいはその当事者の多くの方に自覚はないかもしれませんが、今後の日本社会はいかにあるべきなのかという、時間的にも大きな枠組みの問題なのでしょう。

 日本のいわゆる伝統社会はおおむね16世紀頃に成立し、イエ制度を前提とした共同体社会でした。こうした伝統社会の基本的な枠組みは近代以降にも残り、高度成長期以降に崩壊が顕著に見られるようになり、現在にいたっているものと思われます。現状認識には色々と見解があるでしょうが、いわゆる伝統社会の崩壊はかなり進展しつつも、いぜんとして根強く残ってもいる、といったところでしょうか。

 夫婦別姓容認論にたいする賛成意見が増えてきたものの、いぜんとして反対意見も根強いという現状は、このような文脈で理解できるのではないかと思います。イエ制度を前提とした伝統的共同体社会が崩壊していくなかで、個人に重きを置く夫婦別姓容認論の勢いが高まっていくのは、自然なことだと言えます。

 いっぽう夫婦別姓容認反対論者の多くは、そのような伝統社会のこれ以上の崩壊を防ぎ、伝統社会の再建(という名のもとでの新たな共同体社会の建設)を考えているものと思われます。そうした反対派の見解は、次のような歴史認識とも相通ずるところが多分にあると思われます(足立啓二『専制国家史論』P273~279)。

 人類史は集団の発展拡大史であり、拡大を支える結合力の開発史であった。ヒトはシングルから始まり、今や国民経済と国民国家を越える単一の世界統合に向けて進みつつある。(中略)国家間対立を激化させつつも、国家政策の自立性は急速に失われ、世界経済に国家主権は従属化しつつある。経済のみならず政治的にも、世界は単一の世界統合に向けて進みつつある。

 その中で先進資本主義国における統合原理が転換しつつある。封建社会が生み出した団体結合能力の発展の上に、近代経済と政治的統合の実現したことを縷述してきた。しかし成立した資本主義と近代国家は、自らの結合力の再生産の基礎であった団体そのものを掘り崩す。

 (中略)封建社会の生み出した団体的な規範を資源に、資本は封建社会の中の部分的な関係として生まれた。それは近代になって全面的に展開し、順を追って自らの力によって社会を組織化し、自らの運動にしたがって人々の意思を領有し、ついに世界を動かすにいたり、さらには自らを生み出した社会基盤をも掘り崩し始めている。資本による社会統合は、さしあたり経済と政治の枠組みを管理しつづけるだろう。しかし社会と人格の安定的な再生産は、おそらくその手に余るに違いない。社会を越えて自己運動を始めた資本を、再度社会の管理の中に埋め込むことが必要である。もしもそれが可能であるとするならば、現在までのところ、それをなしうる最も強い力は発達した共同体的規範能力を除いてはない。封建社会の人倫は、局所的な集団関係の中で、あるいは社会の他の部分の排除を前提として成立するにすぎなかった。社会の拡大は、この制約を解消する条件も広げている。フランス革命において、理論的には既に国民国家の枠組みさえ越えて一般化されていたはずの人権の一般性は、ようやく実現しつつある。

 より一般化された成員権を前提に、如何にして共同性は復権しうるか。それは急速に蝕まれつつある。遅すぎないことが必要である。


 その意味で、夫婦別姓反対論者の多くは、たんなる「反動」や「郷愁」から夫婦別姓に反対しているのではなく、現実社会にたいする危機感を前提とし、その対処策の一環として夫婦別姓に反対しているのではないかと思われます。ただ正直なところ、現代の日本社会にあって共同体の再建はなかなか難しく、伝統社会の崩壊は進んでいくでしょうから、やがては夫婦別姓が認められることになると思います。


参考文献:
足立啓二『専制国家史論』(柏書房、1998年)

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