人類の進化と環境変化の関係

 形質人類学的に確実な最古のホモ=サピエンス(現生人類)の年代は、現在のところ160000~154000年前頃でさかのぼり、年代と復元に疑問点が残るものの、エチオピアで発見された現生人類人骨のなかには、195000年までさかのぼるものもあります(この問題については、私見の「サピエンスの起源」を参照してください)。解剖学的には、16万年前もしくは20万年前頃までに、現代人と基本的には変わらない人類集団が登場していたというわけです。

 5万年前頃に、この現生人類集団(解剖学的現代人)の神経系に突然変異が生じ(その起源は集団というより特定の個人にあると言うべきですが)、行動学的にも現代人と変わらないような集団が登場したという見解(神経学仮説)を受け入れるにしても(この問題については、私見の「現代的行動の起源とサピエンスの拡散」を参照してください)、遅くとも5万年前頃には、形態的にも知的にも現代人とほぼ同質の集団が登場していたというわけです。

 しかしもちろん、人類の進化が5万年前で止まったと考えるのは間違いであるわけで、それどころか完新世になって人類の進化は加速している、との研究も提示されました(昨年12月13日分の記事で紹介しました)。ただ、進化における断続平衡説を認めるにしても、進化という事象は個人の一生・近代文明以降の科学的観測という時間単位からすると、たいへん長い時間を要するものであり、人間が自身の進化を観察するのはなかなか難しいところがあります。


 しかしゲノムに注目すると、5万年前以降、現在も進行中の人間の進化を追跡することができ、10~5万年前以降に加速した人口増や新たな環境への進出は、世界各地で適応的な変異の定着する確率を高めます。そのような人類史のうえでわりと近年の現生人類の遺伝子の変異を指摘した研究が、サイエンスディスカヴァリーチャンネルで報道されました。

 この研究では、ナイジェリア・中国・日本・欧州北西部の人類集団のゲノムの、280万もの一塩基多型が分析されました。次に、15259ものアミノ酸置換の起きる変異に焦点が当てられ、変異が分類されました。統計的分析を用いると、いくつかの変異は、同集団の他の一塩基多型と比較して高頻度で起きていました。

 そのような変異の定着は、生存と生殖の成功率を改善するような、強い正淘汰圧の結果だったと思われ、この分析では582の遺伝子が特定されました。こうした適応的な変異は各地で生じ、人類集団の多様性を生じさせます。逆に病気にかかりやすいといった負の淘汰を受けてしまうような変異は、世界的に集団の遺伝的違いを減少させます。

 強い正淘汰を受けてきたであろう582の遺伝子のうち、大部分の遺伝子の機能はまだ特定されていませんが、そのうち50の遺伝子については、病気または食事・環境の変化への対応であるように思われます。そうした遺伝子は、たとえば、インシュリンの調節、糖分や澱粉の消化、エタノールや亜鉛の新陳代謝、病原体への免疫反応の調節、DNAの修繕・複製といったことに関わります。

 昨年12月13日分の記事で紹介した論文の執筆者の一人であるジョン=ホークス博士によると、上記のような人々を糖尿病や肥満から守る新しい変異は、農耕の開始に関連したものだろう、とのことです。農耕の開始により食事が変わり、たとえばいくつかの穀物へ依存するようになりますが、これは澱粉の効率的な消化を要求しますから、糖分や澱粉の消化に関わる遺伝子が、強い淘汰を受けることになります。

 このように、新たな地域への進出や、新たな社会形態への移行や、気候の変化などによる環境の変化は強い淘汰圧となり、適合的な遺伝子変異の定着率を高め、人類集団間に遺伝的多様性を生じさせます。しかし、この論文の著者の一人であるムルシ博士は、これらの集団間の違いはゲノムの一部を表しているだけであり、再度確認すべきなのは、遺伝子による「人種」概念はすでに撤廃されているということだ、と指摘しています。


 以上、この研究と報道についてざっと見てきました。多様な環境への適応が人類の進化(適応的な遺伝子変異の定着)を早めるだろうということは、以前から指摘されていましたが、このように大規模な研究においても、現生人類の世界各地への拡散以降の変異が確認されたのは、意義深いと言えるかもしれません。ただそれでも、現在の人類が一つの生物学的集団を構成していることは間違いなく、人類のような寿命の長い生物(他の生物と比較して)の進化には、長い時間を要するということなのでしょう。そのために、人類は自身の進化をなかなか実感しにくいのだろうと思います。


参考文献:
Luis B Barreiro, Guillaume Laval, Hélène Quach, Etienne Patin, and Lluís Quintana-Murci.(2008): Natural selection has driven population differentiation in modern humans. Nature Genetics, 40, 340-345.
http://dx.doi.org/10.1038/ng.78

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