アメリカ大陸への移住の経緯
昨年11月1日分の記事にて、アメリカ大陸への移住についての論文を取り上げましたが、その論文では「ベーリング陸橋潜伏モデル」が提唱されていました。これは、先住アメリカ人の祖先集団は、最終氷期の最寒冷期前にベーリング陸橋に到達し、アメリカ大陸に進出する15000年前まで、生態学的障壁のために地理的に孤立していた、というものです。その論文の著者の一人であるコニー=マリガン博士らの新たな研究が報道されました。
この研究は、遺伝学・考古学・地質学・古気候学の研究成果を統合し、アメリカ大陸への人類の移住の経緯を、三段階に区分して説明しています。ベーリング陸橋は、60000年前から11000~10000年前頃にまで存在した、ユーラシア北東部とアメリカ大陸北西部(アラスカ)とを含む陸地です。現在のベーリング海峡は、当時は海面の低下により陸地になっており、更新世末から完新世にかけての気温上昇に伴い海面が上昇したため、現在のような地形になりました。ただ、ベーリング陸橋によりユーラシア大陸とアメリカ大陸とが陸続きになっていたとはいえ、14000年前までは、北米に存在した氷河のため、ベーリング陸橋とアメリカ大陸との間の陸路は閉ざされていた、と考えられています。
第一段階は、43000~36000年前です。この頃にアジア集団と遺伝的に分岐したアメリカ先住民の祖先集団は、現在のシベリア集団がシベリアに居住するようになる前に、短期間でシベリアを通過してベーリング陸橋へ進出したと考えられます。この時期の遺跡がシベリアでは発見されていないのは、そのためだと思われます。なお、アメリカ先住民の遺伝的多様性がアジア集団と比較して乏しいのは、アメリカ先住民の祖先集団が瓶首効果を受けたからだと考えられます。第一段階では、人口の増加は緩やかだったと推測されます。
第二段階は、36000~16000年前です。古気候学と古生物学の研究成果によると、この時期のベーリング陸橋は、マンモスや馬やトナカイのような大型哺乳類が存在する草原であり、人類の居住が可能だったと考えられます。この時期、人口変動はあまりなかったようです。この時期に、アメリカ大陸の先住民に特有の遺伝子変異が蓄積されたと思われます。
第三段階は、16000年前以降です。アメリカ大陸への進出が始まるとともに、人口が急速に増加しますが、人口が急速に増加する前に、やや人口が減少しています。無氷回廊の出現とともに、陸路でアメリカ大陸へと進出したものと考えられます。しかし同時に、太平洋岸沿いの移動も考えられます。おそらくその両方の経路で、アメリカ先住民の祖先集団はアメリカ大陸へと進出していったのでしょう。
以上、ざっとこの研究について見てきました。現時点での諸分野の研究成果を総合した学際的な研究で、なかなか興味深いものがあります。ただ、諸分野の研究、とくに考古学については、今後この見解に修正を迫るような発見・解釈が提示される可能性が低くはないでしょう。しかしそうなったとしても、アメリカ大陸への人類の移住にかんする研究方法・方向性を提示したという意味において、この研究の意義はけっして小さくないように思われます。
参考文献:
Kitchen A, Miyamoto MM, Mulligan CJ (2008) A Three-Stage Colonization Model for the Peopling of the Americas. PLoS ONE 3(2): e1596.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0001596
この研究は、遺伝学・考古学・地質学・古気候学の研究成果を統合し、アメリカ大陸への人類の移住の経緯を、三段階に区分して説明しています。ベーリング陸橋は、60000年前から11000~10000年前頃にまで存在した、ユーラシア北東部とアメリカ大陸北西部(アラスカ)とを含む陸地です。現在のベーリング海峡は、当時は海面の低下により陸地になっており、更新世末から完新世にかけての気温上昇に伴い海面が上昇したため、現在のような地形になりました。ただ、ベーリング陸橋によりユーラシア大陸とアメリカ大陸とが陸続きになっていたとはいえ、14000年前までは、北米に存在した氷河のため、ベーリング陸橋とアメリカ大陸との間の陸路は閉ざされていた、と考えられています。
第一段階は、43000~36000年前です。この頃にアジア集団と遺伝的に分岐したアメリカ先住民の祖先集団は、現在のシベリア集団がシベリアに居住するようになる前に、短期間でシベリアを通過してベーリング陸橋へ進出したと考えられます。この時期の遺跡がシベリアでは発見されていないのは、そのためだと思われます。なお、アメリカ先住民の遺伝的多様性がアジア集団と比較して乏しいのは、アメリカ先住民の祖先集団が瓶首効果を受けたからだと考えられます。第一段階では、人口の増加は緩やかだったと推測されます。
第二段階は、36000~16000年前です。古気候学と古生物学の研究成果によると、この時期のベーリング陸橋は、マンモスや馬やトナカイのような大型哺乳類が存在する草原であり、人類の居住が可能だったと考えられます。この時期、人口変動はあまりなかったようです。この時期に、アメリカ大陸の先住民に特有の遺伝子変異が蓄積されたと思われます。
第三段階は、16000年前以降です。アメリカ大陸への進出が始まるとともに、人口が急速に増加しますが、人口が急速に増加する前に、やや人口が減少しています。無氷回廊の出現とともに、陸路でアメリカ大陸へと進出したものと考えられます。しかし同時に、太平洋岸沿いの移動も考えられます。おそらくその両方の経路で、アメリカ先住民の祖先集団はアメリカ大陸へと進出していったのでしょう。
以上、ざっとこの研究について見てきました。現時点での諸分野の研究成果を総合した学際的な研究で、なかなか興味深いものがあります。ただ、諸分野の研究、とくに考古学については、今後この見解に修正を迫るような発見・解釈が提示される可能性が低くはないでしょう。しかしそうなったとしても、アメリカ大陸への人類の移住にかんする研究方法・方向性を提示したという意味において、この研究の意義はけっして小さくないように思われます。
参考文献:
Kitchen A, Miyamoto MM, Mulligan CJ (2008) A Three-Stage Colonization Model for the Peopling of the Americas. PLoS ONE 3(2): e1596.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0001596
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