人類の拡散と石器技術
人類の拡散と石器技術との関係を論じた研究が公表されました。まだ要約しか読んでいませんが、国会図書館だと閲覧・プリントアウトできるので、国会図書館に行ったときに、他の論文とあわせてプリントアウトしようと考えています。
アシュール文化(段階2の石器技術。石器技術の段階については、私見の「現代的行動の起源とサピエンスの拡散」を参照してください)に見られる両面加工のハンドアックス(握斧)作製の技術はアフリカで発展し、その後の人類の移住により、北部・西部ユーラシアに拡散したという仮説が広く支持されています。しかし現在まで、この仮説の本格的な検証はほとんど行なわれていません。この研究では、形態測定学や文化伝達理論、それに集団遺伝学の提示する拡散モデルが組み合わされて、上記の仮説が検証されます。
人類の源郷からの地理的距離と石器技術内の相違との間に、いちじるしい逆転関係が見出されるならば、反復的創始者効果(瓶首効果が繰り返されます)モデルが支持されると思われます。この研究での分析結果が支持する仮説は、反復的創始者効果モデルという仮定のもと、アシュール文化の技術はアフリカで発展し、移住する人類集団とともに北部・西部ユーラシアに拡散した、というものです。
こうした仮説のもとでは、モヴィウス線の東側(東・東南アジア)に見られるような確実な段階1の石器技術や、ブリテン島のクラクトニアン文化(ハンドアックスが存在しません)の例は、植民した集団の規模が、段階2の石器技術が維持され得る水準以下に落ち込んだことを示すもの、と解釈されます。人類の源郷たるアフリカからの距離が遠い地域への植民では、たびたび人口減少による創始者効果が発生し、段階2の石器技術が継承されなかった(忘れ去られた)というわけです。
東・東南アジアでほとんどハンドアックスが見られないのは、ハンドアックスが使用される前の段階1(オルドヴァイ文化)の時点で出アフリカを果たした人類が、東・東南アジアに定着したからだ、との解釈も可能です。しかしこの研究では、石器技術と集団の規模との関係が指摘されています。
この研究と同様の見解は、以前に本かサイトで読んだ記憶があるのですが(出典を思い出せませんが、確か日本語でした)、そのときはさほど気にとめず、更新世前期に東・東南アジアに進出した人類は、そもそもアシュール文化を有していなかったのだ、という見解を変えませんでした。
しかし、アシュール文化以降にアフリカから東・東南アジアへ人類がほとんど進出しなかったというのは、確かに不自然な想定だとも言えるわけで、この研究で提示された見解のほうが妥当なのかもしれません。ただ、東・東南アジアの最初期の人類およびその祖先は、アシュール文化を一度も有したことがなかっただろうと思います。
参考文献:
Stephen J. Lycett and Noreen von Cramon-Taubadel.(2008): Acheulean variability and hominin dispersals: a model-bound approach. Journal of Archaeological Science, 35, 3, 553-562.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jas.2007.05.003
アシュール文化(段階2の石器技術。石器技術の段階については、私見の「現代的行動の起源とサピエンスの拡散」を参照してください)に見られる両面加工のハンドアックス(握斧)作製の技術はアフリカで発展し、その後の人類の移住により、北部・西部ユーラシアに拡散したという仮説が広く支持されています。しかし現在まで、この仮説の本格的な検証はほとんど行なわれていません。この研究では、形態測定学や文化伝達理論、それに集団遺伝学の提示する拡散モデルが組み合わされて、上記の仮説が検証されます。
人類の源郷からの地理的距離と石器技術内の相違との間に、いちじるしい逆転関係が見出されるならば、反復的創始者効果(瓶首効果が繰り返されます)モデルが支持されると思われます。この研究での分析結果が支持する仮説は、反復的創始者効果モデルという仮定のもと、アシュール文化の技術はアフリカで発展し、移住する人類集団とともに北部・西部ユーラシアに拡散した、というものです。
こうした仮説のもとでは、モヴィウス線の東側(東・東南アジア)に見られるような確実な段階1の石器技術や、ブリテン島のクラクトニアン文化(ハンドアックスが存在しません)の例は、植民した集団の規模が、段階2の石器技術が維持され得る水準以下に落ち込んだことを示すもの、と解釈されます。人類の源郷たるアフリカからの距離が遠い地域への植民では、たびたび人口減少による創始者効果が発生し、段階2の石器技術が継承されなかった(忘れ去られた)というわけです。
東・東南アジアでほとんどハンドアックスが見られないのは、ハンドアックスが使用される前の段階1(オルドヴァイ文化)の時点で出アフリカを果たした人類が、東・東南アジアに定着したからだ、との解釈も可能です。しかしこの研究では、石器技術と集団の規模との関係が指摘されています。
この研究と同様の見解は、以前に本かサイトで読んだ記憶があるのですが(出典を思い出せませんが、確か日本語でした)、そのときはさほど気にとめず、更新世前期に東・東南アジアに進出した人類は、そもそもアシュール文化を有していなかったのだ、という見解を変えませんでした。
しかし、アシュール文化以降にアフリカから東・東南アジアへ人類がほとんど進出しなかったというのは、確かに不自然な想定だとも言えるわけで、この研究で提示された見解のほうが妥当なのかもしれません。ただ、東・東南アジアの最初期の人類およびその祖先は、アシュール文化を一度も有したことがなかっただろうと思います。
参考文献:
Stephen J. Lycett and Noreen von Cramon-Taubadel.(2008): Acheulean variability and hominin dispersals: a model-bound approach. Journal of Archaeological Science, 35, 3, 553-562.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jas.2007.05.003
この記事へのコメント