中日新聞社説で取り上げられた聖徳太子非実在説
「書き換わる聖徳太子像 週のはじめに考える」という題の中日新聞2月10日付社説では、聖徳太子非実在説が取り上げられています。聖徳太子非実在説の代表的論者である、大山誠一中部大学教授の見解に依拠した社説なのですが、はたして大山説に代表される聖徳太子非実在説は、本当にこの社説で述べられているように、決定的と言えるのでしょうか?
聖徳太子実在論争については、大山教授の著書である『聖徳太子と日本人』(風媒社、2001年)の雑感を、前編と後編の2回にわけて7年前に述べてからというもの、ほとんど勉強が進んでいないので、大山説が現在通説となっているのか、私には断言の難しいところです。
ただ、最近の論考である遠山美都男「“聖徳太子非実在説”とは何か」を読むと、大山説にたいする批判は近年もなされており、とても大山説で決定的とは言えない状況のようです。また、上記の雑感でも述べましたが、誰がなぜ聖徳太子を創出したのかという、大山説でもっとも弱いと思われる部分も、まだ克服されていないようです。まだ論争中の見解を、あたかも定説であるかのように取り上げたという点において、この社説はかなり問題だと言うべきでしょう。
なお、『日本書紀』と万世一系との関係については、『日本書紀』は万世一系を証明しようとした歴史書とは一概に言えない、との指摘もあります(遠山美都男『天皇誕生』)。また『隋書』などの中国の史書は、あくまでも中国の知識人の通念にしたがった記述になっているのであり、日本側の史料と矛盾するように見えるからといって、中国の史書の一節を安易に現代的価値観から解釈し、日本側の史料を否定するのは危険だと思います。
参考文献:
遠山美都男「“聖徳太子非実在説”とは何か」『歴史読本』2007年12月号(新人物往来社、2007年10月)
遠山美都男『天皇誕生』(中央公論新社、2001年)
この記事へのコメント
それから、『日本書紀』の編者は「外国」の史書を見ていない、といった非常識なことを私は述べていないので、「編者らが外国史書を見ていないとは言い難いでしょう」と指摘されても困惑してしまいます。