70万年前頃の組織的な屠殺と「現代的な行動」の問題
イスラエル北部にあるガリラヤ湖近くのアシュール文化に属するジスル=バノト=ヤコブ遺跡において、中期更新世の初期(酸素同位体ステージ18の時期、およそ80~70万年前頃)に、およそ10万年間にわたって、人類によるダマジカの組織的な屠殺があったことが認められる、との研究が公表されました。
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡から出土したダマジカの骨はたいへん保存状況がよかったため、緻密な分析が可能となりました。カットマークやパーカッションマーク(打撃痕)のようなこれらの骨についた傷は、肉食獣によるものは少なく、人類によるものが大半でした。そのため、当時の人類の活動を復元するうえで、じゅうような資料となりました。
ダマジカの骨の緻密な分析により、当時の人類は、ダマジカの皮をはぎ、離断し、肉を削ぎ落とし、骨髄を取り出していた、と推測されました。こうした屠殺は、同じ方法・過程で何度も繰り返されたと思われますが、当時の狩猟者が獲物の解剖学的知識に詳しく、効率的・組織的方法で定期的に狩猟をしていたことを示唆しています。
このような人類による動物骨の傷痕のうち、散発的なカットマークは250万年前頃よりアフリカで見られるようになり、系統的なカットマークは175万年前頃より見られます。レヴァント最初期の遺跡(140万年前頃)であるウベイディヤでは、人類による動物骨の傷痕は限定的で、カットマークはジスル=バノト=ヤコブ遺跡のほうが多くなっています。肉を削ぎ落としたことを示唆する打撃痕は、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡では多いのですが、ウベイディヤではまったく認められません。これについては、両者の生存戦略の相違によるという説明が可能です。
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡以降のレヴァントにおける証拠は断片的ですが、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡と同じような動物の利用が、更新世の間は認められます。たとえば、イスラエルのガリラヤ西部にあるハヨニム洞窟のオーリニャック文化層(28000年前)から出土したダマジカの傷痕は、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡のそれと似ていました。ただ、胴体部分の利用においては、両者の間に違いが見られました。この原因としては、両者の歴史の違いと、自然条件の違い(ハヨニム遺跡は洞窟なのにたいして、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡は開地です)が考えられます。
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡の住人は、熟練した伝達者であり学習者だった、と評価できます。また彼らは、詳しい解剖学的知識・器用な手先・印象的な技術的能力・先見性を有していたとも言え、火の管理も行なっていたと思われます。人類が動物を狩って処理した方法を現代性の評価基準とするならば、下部旧石器時代のジスル=バノト=ヤコブ遺跡と、上部旧石器時代のハヨニム洞窟遺跡との類似は、人類の行動の進化にたいする理解に、重要な示唆を与えることになるでしょう。
以上、この研究についてざっと見てきました。獲物の解体という点では、すでに中期アシュール文化の時点で、上部旧石器時代の人類集団とほぼ同じ水準に達していたかもしれない人類集団が存在していたとの見解は、たいへん興味深いものです。こうした見解が定着するには、さらなる研究の蓄積が必要となるでしょうから、今後の研究の進展に期待したいところです。
この研究成果の提示を受けて気になるのは、「行動の現代性」およびその出現時期についてです。おそらく「現代的な行動」とは、ごく短期間に全面開花するのではなく、長い期間を要してじょじょに蓄積されていったのでしょう。もちろん、獲物の解体という点で「現代性」が認められたとしても、70万年前頃の人類が現代人と同等の潜在的知的資質を有していた、という見解が証明されるわけではありません。
ただ、そもそも「現代的な行動」の定義に曖昧なところがありますし、それを考慮に入れなくとも、「現代的な」諸々の行動すべてが、現代人と同等の潜在的知的資質を有していなければ不可能かどうかということは、まだほとんど検証されていません。現在一般的に「現代的な行動」と考えられているもののうちのいくつかは、現代人と同等の潜在的知的資質がなくても可能なのかもしれません。
現代人と同等の潜在的知的資質は、長い時間をかけてじょじょに形成されていき、その間に現代的な行動も次第に増えていったのでしょう。ただ、現代人と同等の潜在的知的資質があるからといって、ただちに「現代的な行動」が全面開花するわけではないのでしょう。「現代的な行動」は文化の問題でもあり、文化がそれを作る人間の生物学的条件に規定されることは言うまでもありませんが、生物学的条件と同等以上に、社会的蓄積にも依存するものだと思います。
参考文献:
Rivka Rabinovich, Sabine Gaudzinski-Windheuser, and Naama Goren-Inbar.(2008): Systematic butchering of fallow deer (Dama) at the early middle Pleistocene Acheulian site of Gesher Benot Ya‘aqov (Israel). Journal of Human Evolution, 54, 1, 134-149.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.07.007
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡から出土したダマジカの骨はたいへん保存状況がよかったため、緻密な分析が可能となりました。カットマークやパーカッションマーク(打撃痕)のようなこれらの骨についた傷は、肉食獣によるものは少なく、人類によるものが大半でした。そのため、当時の人類の活動を復元するうえで、じゅうような資料となりました。
ダマジカの骨の緻密な分析により、当時の人類は、ダマジカの皮をはぎ、離断し、肉を削ぎ落とし、骨髄を取り出していた、と推測されました。こうした屠殺は、同じ方法・過程で何度も繰り返されたと思われますが、当時の狩猟者が獲物の解剖学的知識に詳しく、効率的・組織的方法で定期的に狩猟をしていたことを示唆しています。
このような人類による動物骨の傷痕のうち、散発的なカットマークは250万年前頃よりアフリカで見られるようになり、系統的なカットマークは175万年前頃より見られます。レヴァント最初期の遺跡(140万年前頃)であるウベイディヤでは、人類による動物骨の傷痕は限定的で、カットマークはジスル=バノト=ヤコブ遺跡のほうが多くなっています。肉を削ぎ落としたことを示唆する打撃痕は、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡では多いのですが、ウベイディヤではまったく認められません。これについては、両者の生存戦略の相違によるという説明が可能です。
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡以降のレヴァントにおける証拠は断片的ですが、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡と同じような動物の利用が、更新世の間は認められます。たとえば、イスラエルのガリラヤ西部にあるハヨニム洞窟のオーリニャック文化層(28000年前)から出土したダマジカの傷痕は、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡のそれと似ていました。ただ、胴体部分の利用においては、両者の間に違いが見られました。この原因としては、両者の歴史の違いと、自然条件の違い(ハヨニム遺跡は洞窟なのにたいして、ジスル=バノト=ヤコブ遺跡は開地です)が考えられます。
ジスル=バノト=ヤコブ遺跡の住人は、熟練した伝達者であり学習者だった、と評価できます。また彼らは、詳しい解剖学的知識・器用な手先・印象的な技術的能力・先見性を有していたとも言え、火の管理も行なっていたと思われます。人類が動物を狩って処理した方法を現代性の評価基準とするならば、下部旧石器時代のジスル=バノト=ヤコブ遺跡と、上部旧石器時代のハヨニム洞窟遺跡との類似は、人類の行動の進化にたいする理解に、重要な示唆を与えることになるでしょう。
以上、この研究についてざっと見てきました。獲物の解体という点では、すでに中期アシュール文化の時点で、上部旧石器時代の人類集団とほぼ同じ水準に達していたかもしれない人類集団が存在していたとの見解は、たいへん興味深いものです。こうした見解が定着するには、さらなる研究の蓄積が必要となるでしょうから、今後の研究の進展に期待したいところです。
この研究成果の提示を受けて気になるのは、「行動の現代性」およびその出現時期についてです。おそらく「現代的な行動」とは、ごく短期間に全面開花するのではなく、長い期間を要してじょじょに蓄積されていったのでしょう。もちろん、獲物の解体という点で「現代性」が認められたとしても、70万年前頃の人類が現代人と同等の潜在的知的資質を有していた、という見解が証明されるわけではありません。
ただ、そもそも「現代的な行動」の定義に曖昧なところがありますし、それを考慮に入れなくとも、「現代的な」諸々の行動すべてが、現代人と同等の潜在的知的資質を有していなければ不可能かどうかということは、まだほとんど検証されていません。現在一般的に「現代的な行動」と考えられているもののうちのいくつかは、現代人と同等の潜在的知的資質がなくても可能なのかもしれません。
現代人と同等の潜在的知的資質は、長い時間をかけてじょじょに形成されていき、その間に現代的な行動も次第に増えていったのでしょう。ただ、現代人と同等の潜在的知的資質があるからといって、ただちに「現代的な行動」が全面開花するわけではないのでしょう。「現代的な行動」は文化の問題でもあり、文化がそれを作る人間の生物学的条件に規定されることは言うまでもありませんが、生物学的条件と同等以上に、社会的蓄積にも依存するものだと思います。
参考文献:
Rivka Rabinovich, Sabine Gaudzinski-Windheuser, and Naama Goren-Inbar.(2008): Systematic butchering of fallow deer (Dama) at the early middle Pleistocene Acheulian site of Gesher Benot Ya‘aqov (Israel). Journal of Human Evolution, 54, 1, 134-149.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2007.07.007
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