ネアンデルタール人の象徴的思考能力について
ネアンデルタール人見直し論の急先鋒とも言うべきフランチェスコ=デリコ博士らによる、ネアンデルタール人の象徴的思考能力を主題とした2007年の論文が、このブログでも何度か紹介したことのあるザルヴァトール氏のブログで取り上げられました。この論文はフランス語で公表されており、私はまったくフランス語を解さないので、ザルヴァトール氏の記事を通じてこの論文の一端を見ていくことにします。
社会的関係や物事の意味を色で表現することになる顔料の使用は、現代的な行動・象徴的思考能力の指標とされています。この能力が、上部旧石器・後期石器時代以降の現生人類にあることは広く認められていますが、最近では、中部旧石器・中期石器時代の現生人類についても、潜在的にはこうした能力があった、とする見解が有力になりつつあります。
ではネアンデルタール人についてはどうなのかというと、そのような見解も提示されているものの、本当に人為的な遺物なのかという疑問も呈されていて、広く受け入れられているとは言いがたいようです。また、シャテルペロン文化よりも前のネアンデルタール人の象徴的行動の証拠を示した論文・書籍となると、ほとんど知られていません。しかしこの論文によると、ネアンデルタール人の象徴的行動は遅くとも6万年前にさかのぼります。
この論文ではネアンデルタール人の象徴的行動の有無が検証されていますが、とくに顔料使用の可能性について検証されています。欧州の中部旧石器文化遺跡の少なくとも70ヶ所において、着色素材(おもに黒色の二酸化マンガン)の塊や、丸砥石と漆喰のような顔料の処理に関係する道具が認められました。
遺物の複製の使用や顕微鏡での使用痕の分析などから、ネアンデルタール人が異なる道具と方法で顔料の素材を加工していたことが判明しました。たとえば、鉛筆やチョークのような感じで用いることができるよう加工したり、粉末にして接着剤と混ぜ合わせたりしたと思われます。こうした顔料の使用は、ネアンデルタール人にも象徴的思考能力があったとする見解と整合的です。
以上、この研究の一端について見てきました。今回はひどい誤読をしているような気もするのですが、シャテルペロン文化以前にも、ネアンデルタール人が顔料を使用していたのは間違いないようです。ネアンデルタール人にもある種の象徴的思考能力があった可能性は高いと思いますが、それが現生人類とほとんど同じようなものだったのか、それともある面で大きな違いがあったのかとなると、さらなる検証が必要になるのでしょう。
社会的関係や物事の意味を色で表現することになる顔料の使用は、現代的な行動・象徴的思考能力の指標とされています。この能力が、上部旧石器・後期石器時代以降の現生人類にあることは広く認められていますが、最近では、中部旧石器・中期石器時代の現生人類についても、潜在的にはこうした能力があった、とする見解が有力になりつつあります。
ではネアンデルタール人についてはどうなのかというと、そのような見解も提示されているものの、本当に人為的な遺物なのかという疑問も呈されていて、広く受け入れられているとは言いがたいようです。また、シャテルペロン文化よりも前のネアンデルタール人の象徴的行動の証拠を示した論文・書籍となると、ほとんど知られていません。しかしこの論文によると、ネアンデルタール人の象徴的行動は遅くとも6万年前にさかのぼります。
この論文ではネアンデルタール人の象徴的行動の有無が検証されていますが、とくに顔料使用の可能性について検証されています。欧州の中部旧石器文化遺跡の少なくとも70ヶ所において、着色素材(おもに黒色の二酸化マンガン)の塊や、丸砥石と漆喰のような顔料の処理に関係する道具が認められました。
遺物の複製の使用や顕微鏡での使用痕の分析などから、ネアンデルタール人が異なる道具と方法で顔料の素材を加工していたことが判明しました。たとえば、鉛筆やチョークのような感じで用いることができるよう加工したり、粉末にして接着剤と混ぜ合わせたりしたと思われます。こうした顔料の使用は、ネアンデルタール人にも象徴的思考能力があったとする見解と整合的です。
以上、この研究の一端について見てきました。今回はひどい誤読をしているような気もするのですが、シャテルペロン文化以前にも、ネアンデルタール人が顔料を使用していたのは間違いないようです。ネアンデルタール人にもある種の象徴的思考能力があった可能性は高いと思いますが、それが現生人類とほとんど同じようなものだったのか、それともある面で大きな違いがあったのかとなると、さらなる検証が必要になるのでしょう。
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