「許昌人」続報
中国河南省許昌市の霊井遺跡で、10~8万年前頃の人類のほぼ完全な頭蓋骨が発見されたことは、今年1月25日分の記事で取り上げましたが、その続報をヤフーのニュースサイトで知りました。ヤフーの引用元は“Record China”の記事で、翻訳・編集の問題もあるのかもしれませんが、この記事にはかなりの問題があります(引用箇所は青字)。
人類の起源に関しては現在、「アフリカ起源説」と「多地域進化説」の2通りが唱えられている。中国が唱える「中国古人類連続進化説」もこの「多地域進化説」に属しており、200万年前の「巫山人」、115万年前の「藍田人」、50万年前の「北京原人」、10万~20万年前の「遼寧・金牛人」、1万~4万年前の「北京・山頂洞人」がそれをほぼ実証していた。ところが5万~10万年前の人類化石だけが唯一未発見のままだった。
とありますが、こうした連続性を認めているのは世界全体では少数派になります。シャベル状切歯を東アジアにおける人類の連続性の根拠とする見解は、シャベル状切歯が更新世のどの地域の人類にも見られる原始的形質であることから、今では否定されていますし、東アジアにおいて、エレクトスが絶滅するずっと前に、古代型サピエンスともハイデルベルゲンシスともされる集団が登場していたことも、多地域進化説の主張する東アジアにおける人類の連続性に疑問を呈する、とされています(ロジャー=ルーウィン『ここまでわかった人類の起源と進化』P176)。さらに、中国に古代型サピエンスがいた頃には、すでにアフリカやレヴァントに解剖学的現代人が出現していたことも、多地域進化説には不利となります。
また、中国が唱える「中国古人類連続進化説」もこの「多地域進化説」に属しておりとあるのも問題で、これでは中国の研究者ほとんどすべてが多地域進化説を支持しているように受け取られかねません。確かに、中国の形質人類学・考古学の研究者の多くは今でも多地域進化説を支持しているようですが、遺伝学の研究者は異なります。
じっさい、中国人研究者が主体となって、現生人類のアフリカ単一起源説を強力に支持する研究が提示されています(Yuehai Ke et al.,2001)。この研究は、163もの集団から12127人分のY染色体を採取し分析したもので、膨大な数の標本が用いられたということで、単一起源説をさらに確固たるものにするうえで、大きな役割を果たしました。
もっとも、東アジアにおける解剖学的現代人の起源に、いわゆる北京原人のような在地の人類の関与はいっさいなかっただろう、とするこの研究の結論については、再考の余地があるとは思います。今年1月28日分の記事で述べたように、アフリカ起源の現生人類が、低頻度ではあれユーラシア各地の在来集団と混血した可能性は高いでしょうから、東アジアでも同様の事態が生じたかもしれません。
しかし、それは形質人類学・考古学の研究者が想定しているような多地域進化説とは異なるものです。さらに2005年にも、中国雲南省の昆明動物研究所が現生人類のアフリカ単一起源説を支持する研究を発表した、との報道があったようなのですが、元記事・論文を見つけることはできませんでした。確かに中国では今でも多地域進化説を支持する研究者が多いようですが、多地域進化説を否定する研究者もけっして少なくない、という判断が妥当なのではないでしょうか。
参考文献:
Yuehai Ke, Bing Su, Xiufeng Song, Daru Lu, Lifeng Chen, Hongyu Li, Chunjian Qi, Sangkot Marzuki, Ranjan Deka, Peter Underhill, Chunjie Xiao, Mark Shriver, Jeff Lell, Douglas Wallace, R Spencer Wells, Mark Seielstad, Peter Oefner, Dingliang Zhu, Jianzhong Jin, Wei Huang, Ranajit Chakraborty, Zhu Chen, and Li Jin.(2001): African Origin of Modern Humans in East Asia: A Tale of 12,000 Y Chromosomes. Science, 292, 5519, 1151-1153.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1060011
ロジャー=ルーウィン著、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、2002年、原書の刊行は1999年)
人類の起源に関しては現在、「アフリカ起源説」と「多地域進化説」の2通りが唱えられている。中国が唱える「中国古人類連続進化説」もこの「多地域進化説」に属しており、200万年前の「巫山人」、115万年前の「藍田人」、50万年前の「北京原人」、10万~20万年前の「遼寧・金牛人」、1万~4万年前の「北京・山頂洞人」がそれをほぼ実証していた。ところが5万~10万年前の人類化石だけが唯一未発見のままだった。
とありますが、こうした連続性を認めているのは世界全体では少数派になります。シャベル状切歯を東アジアにおける人類の連続性の根拠とする見解は、シャベル状切歯が更新世のどの地域の人類にも見られる原始的形質であることから、今では否定されていますし、東アジアにおいて、エレクトスが絶滅するずっと前に、古代型サピエンスともハイデルベルゲンシスともされる集団が登場していたことも、多地域進化説の主張する東アジアにおける人類の連続性に疑問を呈する、とされています(ロジャー=ルーウィン『ここまでわかった人類の起源と進化』P176)。さらに、中国に古代型サピエンスがいた頃には、すでにアフリカやレヴァントに解剖学的現代人が出現していたことも、多地域進化説には不利となります。
また、中国が唱える「中国古人類連続進化説」もこの「多地域進化説」に属しておりとあるのも問題で、これでは中国の研究者ほとんどすべてが多地域進化説を支持しているように受け取られかねません。確かに、中国の形質人類学・考古学の研究者の多くは今でも多地域進化説を支持しているようですが、遺伝学の研究者は異なります。
じっさい、中国人研究者が主体となって、現生人類のアフリカ単一起源説を強力に支持する研究が提示されています(Yuehai Ke et al.,2001)。この研究は、163もの集団から12127人分のY染色体を採取し分析したもので、膨大な数の標本が用いられたということで、単一起源説をさらに確固たるものにするうえで、大きな役割を果たしました。
もっとも、東アジアにおける解剖学的現代人の起源に、いわゆる北京原人のような在地の人類の関与はいっさいなかっただろう、とするこの研究の結論については、再考の余地があるとは思います。今年1月28日分の記事で述べたように、アフリカ起源の現生人類が、低頻度ではあれユーラシア各地の在来集団と混血した可能性は高いでしょうから、東アジアでも同様の事態が生じたかもしれません。
しかし、それは形質人類学・考古学の研究者が想定しているような多地域進化説とは異なるものです。さらに2005年にも、中国雲南省の昆明動物研究所が現生人類のアフリカ単一起源説を支持する研究を発表した、との報道があったようなのですが、元記事・論文を見つけることはできませんでした。確かに中国では今でも多地域進化説を支持する研究者が多いようですが、多地域進化説を否定する研究者もけっして少なくない、という判断が妥当なのではないでしょうか。
参考文献:
Yuehai Ke, Bing Su, Xiufeng Song, Daru Lu, Lifeng Chen, Hongyu Li, Chunjian Qi, Sangkot Marzuki, Ranjan Deka, Peter Underhill, Chunjie Xiao, Mark Shriver, Jeff Lell, Douglas Wallace, R Spencer Wells, Mark Seielstad, Peter Oefner, Dingliang Zhu, Jianzhong Jin, Wei Huang, Ranajit Chakraborty, Zhu Chen, and Li Jin.(2001): African Origin of Modern Humans in East Asia: A Tale of 12,000 Y Chromosomes. Science, 292, 5519, 1151-1153.
http://dx.doi.org/10.1126/science.1060011
ロジャー=ルーウィン著、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、2002年、原書の刊行は1999年)
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