現生人類をめぐる混血の問題
現在、現生人類(ホモ=サピエンス)の起源がアフリカにあるという見解は、通説としてほぼ受け入れられていると言ってよいでしょう。現在問題となっているのは、アフリカから世界各地に現生人類が進出したさい、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)のような現在では絶滅した在地の他のホモ属(Archaic Human、Archaic Homo)との間に交雑(混血)があったのか、それともなかったのかということです。
やや評価の難しいところもありますが、地理的・年代的に、現生人類の分布域とネアンデルタール人やエレクトスのような古代型人類集団の分布域は重なっていると考えるのがよさそうですので、交雑があったかどうかはともかくとして、現生人類と古代型人類集団が遭遇した可能性は高いでしょう。
この問題は、現在の古人類学界における主要な論点の一つになっていますが、ミトコンドリアとY染色体のDNA研究からは、これまでのところ交雑の証拠は得られていません。そうした研究では、現代人やネアンデルタール人も含む古人骨から試料を採取していますが、現在までに分析対象となった人は、現存しているまたは過去に存在した人々のうち、ごく少数にすぎません。しかし現代人については、おそらく全員のミトコンドリアとY染色体を検査したところで、母系継承のミトコンドリアと父系継承のY染色体は系統が失われやすいので、交雑の証拠は見つからないでしょう。
つまり、ネアンデルタール人女性Aが現生人類男性Bと結婚して息子Cしか生まれなかったり、娘Dが生まれても、Dと現生人類の夫との間に息子しか生まれなかったりしたら、たとえAの子息CとDに由来する遺伝子が現在まで伝わっていたとしても、ネアンデルタール人型のAのミトコンドリアDNAは、現代人には見つからないことになってしまいます。
逆に、ネアンデルタール人男性と現生人類女性とが結婚した場合も、Y染色体において同様のことが容易に起き得ます(偶発系統損失)。ネアンデルタール人が現生人類にたいして数で劣勢であれば、交雑があったとしても、ネアンデルタール人の遺伝的特徴はミトコンドリアとY染色体では見つからない可能性が高いでしょう。
そこで、核内のDNAを解析して交雑の有無を検証しようという研究もありますが、核内の染色体はミトコンドリアとは異なり、原則として単系統ではなく組み換えもあるので、系統の追跡が困難という問題があります。こうした難点を抱えつつも、現生人類と絶滅した古代型人類集団との交雑の有無についての研究は進んでおり、以下、この議論にかんする最近の論文の一つをすこし詳しく取り上げることにします。
現生人類以外のホモ属は絶滅しており、ネアンデルタール人のゲノム解読はまだ完了してないので、この問題を探る手がかりとして有力なのは、現代人の核ゲノムの解析と、他の現存生物における交雑の例と遺伝学的分析です。
現存生物のなかでは人類と比較的近いヒヒ属(Papio)は、500万年前頃にゲラダヒヒ属(Theropithecus)と分岐し、180万年前頃にアフリカ中に拡散したと推測されています。この点では、500万年前頃にチンパンジーの祖先と分岐し、180万年前以降に世界各地に拡散した人類と類似しているとも言えます。もっとも、人類とチンパンジーとの分岐年代はもっと古くなる可能性もありますが。ヒヒ属はゲラダヒヒ属との間に繁殖力のある混血児を、ヒヒ属と1000万年前に分岐したアカゲザル(Macaca mulatta)との間に、繁殖力のない混血児を産むことが知られています。
ヒヒ属よりさらに人類に近いオランウータンやゴリラやチンパンジーでは、亜種間での交雑が確認されています。しかし、250~85万年前のいずれかの時点で分岐したとされているボノボ(Pan paniscus、ピグミーチンパンジー)とチンパンジー(Pan troglodytes)については、自然状態でも飼育下でも交雑の決定的な証拠はなく、遺伝学の研究も過去の両者の交雑には否定的です。
交雑の有無とは、生殖隔離が生じている(交雑無)か、生じていないか(交雑有)という問題でもあります。一般的に、二つの生物種の分岐年代が古いほど、生殖隔離が生じやすいと言えそうですが、上記の霊長目のように例外もあり、必ずしもそうとはかぎりません。
こうした例外が示唆しているのは、多数の種の境界を定義するにあたって、接合後隔離(両集団間で生殖行為がありますが、生殖能力のない混血児が生まれるため、両集団の混血系統は一代で途絶えます)よりも接合前隔離(両集団間で配偶行動や生殖器の構造などに違いがあるため、生殖行為が行われません)のほうが重要な役割を果たしている、ということです。
接合前隔離は遺伝子浮動にたいする重要な障壁であり、強い性的選択を経験している集団ではとくにそうです。霊長目における接合前隔離の進展の分析はほとんどなされていませんが、霊長目は性的二型が目立つことから、強い性的選択を経験していると考えられます。人類進化史における交雑の有無にかんしても、接合後隔離よりも接合前隔離のほうが重要だったかもしれません。
人類の諸系統間で交雑がかつて起きた可能性は、現代人の核ゲノムの研究から指摘されています。RRM2P4偽遺伝子の研究によると、200万年前近くに分岐したと推定される、対立遺伝子の配列のある二つの系統が判明し、その一方は高頻度でアジア東部集団に見られたのに、サハラ砂漠以南のアフリカ集団にはほとんどまったく見られませんでした。
もう一方の系統は、世界中に分布していました。高頻度でアジア東部集団に見られた系統には、変異がほとんど認められませんでした。これは、古代型集団と現生人類集団との低頻度の混雑、および古代型集団における瓶首効果を示唆しています。
このパターンは、X染色体上のXp21領域でも発見されました。Xp21領域においては、100万年以上相互に完全に孤立して継承されたと推定される二つの系統が発見され、その一方は中央アフリカのピグミー集団でのみ認められました。
こうした研究を説明するには、「孤立・交雑モデル」が適しています。これは、二つの集団がある年代(たとえば150万年前)に分岐し、その後ある年代(たとえば10万年前)までそれぞれ孤立して進化した後に再会し、ある頻度で交雑が生じた、という説明です。
欧州系とアフリカ西部の集団における変異についての最近の研究も、このモデルに合致します(一昨年8月29日分の記事で取り上げました)。また、成長期間に脳の大きさを調整することで知られているマイクロセファリン(MCPH1)遺伝子にかんする最近の研究も、このモデルに合致します(一昨年11月9日分の記事で取り上げました)。
ある集団がある地理的範囲に侵入し、在地の集団と遭遇したときに予想される事態は、(1)安定した共存、(2)一方の集団の消滅(競争的排除)、(3)交雑による一方の集団の消滅、の三つです。(3)の場合、直接的な競争の有無に関わらず、一方の集団の構成員が他方の集団の構成員にたいして、生存競争において有利な点に恵まれていることが条件となります。
外来集団との交雑による在地集団消滅の現在進行中の例はエチオピア狼(Canis simensis、アビシニアジャッカル)で、犬(イエイヌ)との交雑により消滅の危機に脅かされています。エチオピア狼と犬との混血児はエチオピア狼の群れと再会することもあり、このような例は一方の集団から他方の集団へのゲノムの浸透性交雑を可能にします。
このような絶え間ない交雑は、究極的にはエチオピア狼集団の遺伝的消滅をもたらすかもしれません。それは、時として集団の遺伝的浸透(この場合は、エチオピア狼の遺伝子型が、次第に犬の遺伝子型へ置き換わることを意味します)として言及される過程です。
遺伝的浸透は、一方の集団の遺伝子すべての永久の消滅という結果になります。しかし、もしも一方の集団が他方から明白な選択的利点を得ていれば、遺伝的浸透は不完全で、消滅した集団からの系統が、置き換わった集団のゲノムに一時的に存続することになるかもしれません。
たとえばこの場合、犬集団はけっきょくエチオピア狼集団と置き換わるでしょうが、エチオピア狼の遺伝子は、組み換えと遺伝的浮動が最終的にエチオピア狼の痕跡を確かに消滅させるまで、限定された何世代かの間、犬集団において分離し続けるでしょう。この不完全な遺伝的置換は、「人口統計学的浸透」と呼ばれます。
人口統計学的浸透は、選択的に有利な解剖学的現代人の表現型が、「波」として古代型集団に広がった可能性を探る、エスワランモデルの基礎となります。エスワランモデルは、八つまでの遺伝子での突然変異が、解剖学的現代人の表現型の原因である、と推測しています。
エスワランモデルの分析から得られた一つの結果は、古代型遺伝子の現生人類のゲノムへの浸透性交雑は、もっと多くの遺伝子が現生人類的な表現型の原因になる時に消え去ることが予想される、というものです。これは、混血児による一方の親集団との交雑の間に起きる組み換えが、そうした表現型と関連した選択的利点に恵まれている混血児をほとんど産まないからです。しかし、現生人類のゲノムへと浸透する古代型の遺伝子は、それ以降拡大の波に便乗し、ともに伝えられていくことになるでしょう。
エスワランモデルはまた、古代型と現代型の集団間の積極的同類交配を推測しています。積極的同類交配は、交雑の成立とその後に続く混血児による現生人類集団との交雑という両方の可能性を減少させる効果があります。しかし、積極的同類交配という推測のもとでさえ、このモデルではかなりの頻度で浸透性交雑は起きます。注意すべき価値があるのは、現生人類的な表現型が古代型の表現型にたいして選択的利点に恵まれているかぎり、古代型集団はつねに人口統計学的浸透に屈するだろう、ということです。
交雑の適応的可能性を扱った初期の研究には、クインスランドミバエとその近縁種パーキンスミバエを取り上げたものがあります。この研究が示唆しているのは、ストレスの多い熱環境において、交雑集団が純粋なクインスランドミバエ集団よりも活動的だった、ということです。このことから、拡大するクインスランドミバエの増加する生態的耐性は、パーキンスミバエからの浸透性交雑に由来する、と推測されています。
では、古代型人類の遺伝子が現生人類のゲノムに浸透していたならば、それは中立的だったのでしょうか?それとも適応的可能性があったのでしょうか?後者の可能性があることを示唆するのが、上記のマイクロセファリン遺伝子についての研究です。
成長期間に脳の大きさを調整するマイクロセファリン遺伝子(その劣性変異は遺伝性小頭症を惹き起こします)は、とくに狭鼻猿類の起源以来、アミノ酸を変化させる突然変異の割合において明らかな増加があり、この2500~3000万年の間に強い自然的選択を受けてきたように見えます。
マイクロセファリン遺伝子のD系統は、現代人の7割に存在すると推測されますが、これは37000年前に古代型人類(おそらくネアンデルタール人)から現生人類に浸透した、と推定されています。マイクロセファリン遺伝子は、人類における適応的交雑の最初に確認された例となるかもしれません。
古代型人類集団の消滅という事実が示唆しているのは、現生人類集団が世界中に拡散したときに、現生人類的な表現型がじゅうような選択的利点を有していた、ということです。この選択的利点は、古代型人類と現生人類との間に交雑が起きたか否かに関わらず、各地の古代型人類集団を現生人類集団に置き換えてしまう結果になりました。再会前に両者が分岐したのが、もっとも古くて170万年前だとすると、その間に強い接合後障壁は生じにくいでしょう。
その代わりに、積極的同類交配のような接合前障壁が、人類の諸系統の間ではもっとも強い孤立の仕組みとなったでしょう。しかし、強い積極的同類交配でさえ、交雑と古代型人類の遺伝子の現生人類のゲノムへの浸透性交雑を、必ずしも排除しません。じっさい、現代人のゲノムの多数の領域に、孤立・交雑モデルと一致するパターンがあります。
これら浸透性交雑があったと推定されるゲノム領域の多くは遺伝子をコードしておらず、それゆえ選択的に中立です。しかし、上記マイクロセファリン遺伝子の研究は、現生人類集団の急速な地理的拡大と生態的適応が、各地域に適応した古代型人類集団との交雑により促進されたという仮説を、人類学者によって真剣な考察がなされるだけの価値あるものにしました。この仮説が示唆しているのは、現生人類の多様性は、単一のアフリカ祖先集団に蓄積されてきた単なる突然変異の副産物ではなく、むしろ複雑で地域的に活発な進化過程の結果である、ということです。
以上、この論文についてざっと述べてきましたが、この見解が公表される少し前に、現生人類と古代型人類集団との交雑を否定する研究が『米国科学アカデミー紀要』に掲載され、昨年11月9日分の記事にて取り上げました。その研究では、常染色体座の深い系統の存在は、現生人類が古代型人類集団に完全に置き換わったことを否定するものではない、とされました。
その研究にたいして、この論文の著者の一人であるダニエル=ギャリガン博士が反論し、分析された50のゲノム領域がそれぞれ500塩基対ていどしかないこと、現生人類の祖先集団が大規模であると想定していることなどを指摘し、建設的な試みではあると評価しているものの、いぜんとして交雑はあったとの自説を主張しています。
この問題は、今後のさらなる研究に期待したいところですが、現時点では、交雑があったとする見解のほうが妥当であるように思われます。私は、交雑説はかなり劣勢なのかと思っていましたが、私が想像していた以上に、交雑の可能性を指摘する研究は多く提示されているようで、不勉強を恥じるばかりです。今回取り上げた論文の著者の一人であるギャリガン博士は、とくに精力的に交雑説を主張しているようで、ギャリガン博士の今後の研究に大いに期待しています。
参考文献:
Daniel Garrigan and Sarah B. Kingan.(2007): Archaic Human Admixture A View from the Genome. Current Anthropology, 48, 6, 895-902.
http://dx.doi.org/10.1086/523014
Daniel Garrigan, and Michael F. Hammer.(2008): Ancient lineages in the genome: A response to Fagundes et al. PNAS, 105, 2, E3.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0710521105
やや評価の難しいところもありますが、地理的・年代的に、現生人類の分布域とネアンデルタール人やエレクトスのような古代型人類集団の分布域は重なっていると考えるのがよさそうですので、交雑があったかどうかはともかくとして、現生人類と古代型人類集団が遭遇した可能性は高いでしょう。
この問題は、現在の古人類学界における主要な論点の一つになっていますが、ミトコンドリアとY染色体のDNA研究からは、これまでのところ交雑の証拠は得られていません。そうした研究では、現代人やネアンデルタール人も含む古人骨から試料を採取していますが、現在までに分析対象となった人は、現存しているまたは過去に存在した人々のうち、ごく少数にすぎません。しかし現代人については、おそらく全員のミトコンドリアとY染色体を検査したところで、母系継承のミトコンドリアと父系継承のY染色体は系統が失われやすいので、交雑の証拠は見つからないでしょう。
つまり、ネアンデルタール人女性Aが現生人類男性Bと結婚して息子Cしか生まれなかったり、娘Dが生まれても、Dと現生人類の夫との間に息子しか生まれなかったりしたら、たとえAの子息CとDに由来する遺伝子が現在まで伝わっていたとしても、ネアンデルタール人型のAのミトコンドリアDNAは、現代人には見つからないことになってしまいます。
逆に、ネアンデルタール人男性と現生人類女性とが結婚した場合も、Y染色体において同様のことが容易に起き得ます(偶発系統損失)。ネアンデルタール人が現生人類にたいして数で劣勢であれば、交雑があったとしても、ネアンデルタール人の遺伝的特徴はミトコンドリアとY染色体では見つからない可能性が高いでしょう。
そこで、核内のDNAを解析して交雑の有無を検証しようという研究もありますが、核内の染色体はミトコンドリアとは異なり、原則として単系統ではなく組み換えもあるので、系統の追跡が困難という問題があります。こうした難点を抱えつつも、現生人類と絶滅した古代型人類集団との交雑の有無についての研究は進んでおり、以下、この議論にかんする最近の論文の一つをすこし詳しく取り上げることにします。
現生人類以外のホモ属は絶滅しており、ネアンデルタール人のゲノム解読はまだ完了してないので、この問題を探る手がかりとして有力なのは、現代人の核ゲノムの解析と、他の現存生物における交雑の例と遺伝学的分析です。
現存生物のなかでは人類と比較的近いヒヒ属(Papio)は、500万年前頃にゲラダヒヒ属(Theropithecus)と分岐し、180万年前頃にアフリカ中に拡散したと推測されています。この点では、500万年前頃にチンパンジーの祖先と分岐し、180万年前以降に世界各地に拡散した人類と類似しているとも言えます。もっとも、人類とチンパンジーとの分岐年代はもっと古くなる可能性もありますが。ヒヒ属はゲラダヒヒ属との間に繁殖力のある混血児を、ヒヒ属と1000万年前に分岐したアカゲザル(Macaca mulatta)との間に、繁殖力のない混血児を産むことが知られています。
ヒヒ属よりさらに人類に近いオランウータンやゴリラやチンパンジーでは、亜種間での交雑が確認されています。しかし、250~85万年前のいずれかの時点で分岐したとされているボノボ(Pan paniscus、ピグミーチンパンジー)とチンパンジー(Pan troglodytes)については、自然状態でも飼育下でも交雑の決定的な証拠はなく、遺伝学の研究も過去の両者の交雑には否定的です。
交雑の有無とは、生殖隔離が生じている(交雑無)か、生じていないか(交雑有)という問題でもあります。一般的に、二つの生物種の分岐年代が古いほど、生殖隔離が生じやすいと言えそうですが、上記の霊長目のように例外もあり、必ずしもそうとはかぎりません。
こうした例外が示唆しているのは、多数の種の境界を定義するにあたって、接合後隔離(両集団間で生殖行為がありますが、生殖能力のない混血児が生まれるため、両集団の混血系統は一代で途絶えます)よりも接合前隔離(両集団間で配偶行動や生殖器の構造などに違いがあるため、生殖行為が行われません)のほうが重要な役割を果たしている、ということです。
接合前隔離は遺伝子浮動にたいする重要な障壁であり、強い性的選択を経験している集団ではとくにそうです。霊長目における接合前隔離の進展の分析はほとんどなされていませんが、霊長目は性的二型が目立つことから、強い性的選択を経験していると考えられます。人類進化史における交雑の有無にかんしても、接合後隔離よりも接合前隔離のほうが重要だったかもしれません。
人類の諸系統間で交雑がかつて起きた可能性は、現代人の核ゲノムの研究から指摘されています。RRM2P4偽遺伝子の研究によると、200万年前近くに分岐したと推定される、対立遺伝子の配列のある二つの系統が判明し、その一方は高頻度でアジア東部集団に見られたのに、サハラ砂漠以南のアフリカ集団にはほとんどまったく見られませんでした。
もう一方の系統は、世界中に分布していました。高頻度でアジア東部集団に見られた系統には、変異がほとんど認められませんでした。これは、古代型集団と現生人類集団との低頻度の混雑、および古代型集団における瓶首効果を示唆しています。
このパターンは、X染色体上のXp21領域でも発見されました。Xp21領域においては、100万年以上相互に完全に孤立して継承されたと推定される二つの系統が発見され、その一方は中央アフリカのピグミー集団でのみ認められました。
こうした研究を説明するには、「孤立・交雑モデル」が適しています。これは、二つの集団がある年代(たとえば150万年前)に分岐し、その後ある年代(たとえば10万年前)までそれぞれ孤立して進化した後に再会し、ある頻度で交雑が生じた、という説明です。
欧州系とアフリカ西部の集団における変異についての最近の研究も、このモデルに合致します(一昨年8月29日分の記事で取り上げました)。また、成長期間に脳の大きさを調整することで知られているマイクロセファリン(MCPH1)遺伝子にかんする最近の研究も、このモデルに合致します(一昨年11月9日分の記事で取り上げました)。
ある集団がある地理的範囲に侵入し、在地の集団と遭遇したときに予想される事態は、(1)安定した共存、(2)一方の集団の消滅(競争的排除)、(3)交雑による一方の集団の消滅、の三つです。(3)の場合、直接的な競争の有無に関わらず、一方の集団の構成員が他方の集団の構成員にたいして、生存競争において有利な点に恵まれていることが条件となります。
外来集団との交雑による在地集団消滅の現在進行中の例はエチオピア狼(Canis simensis、アビシニアジャッカル)で、犬(イエイヌ)との交雑により消滅の危機に脅かされています。エチオピア狼と犬との混血児はエチオピア狼の群れと再会することもあり、このような例は一方の集団から他方の集団へのゲノムの浸透性交雑を可能にします。
このような絶え間ない交雑は、究極的にはエチオピア狼集団の遺伝的消滅をもたらすかもしれません。それは、時として集団の遺伝的浸透(この場合は、エチオピア狼の遺伝子型が、次第に犬の遺伝子型へ置き換わることを意味します)として言及される過程です。
遺伝的浸透は、一方の集団の遺伝子すべての永久の消滅という結果になります。しかし、もしも一方の集団が他方から明白な選択的利点を得ていれば、遺伝的浸透は不完全で、消滅した集団からの系統が、置き換わった集団のゲノムに一時的に存続することになるかもしれません。
たとえばこの場合、犬集団はけっきょくエチオピア狼集団と置き換わるでしょうが、エチオピア狼の遺伝子は、組み換えと遺伝的浮動が最終的にエチオピア狼の痕跡を確かに消滅させるまで、限定された何世代かの間、犬集団において分離し続けるでしょう。この不完全な遺伝的置換は、「人口統計学的浸透」と呼ばれます。
人口統計学的浸透は、選択的に有利な解剖学的現代人の表現型が、「波」として古代型集団に広がった可能性を探る、エスワランモデルの基礎となります。エスワランモデルは、八つまでの遺伝子での突然変異が、解剖学的現代人の表現型の原因である、と推測しています。
エスワランモデルの分析から得られた一つの結果は、古代型遺伝子の現生人類のゲノムへの浸透性交雑は、もっと多くの遺伝子が現生人類的な表現型の原因になる時に消え去ることが予想される、というものです。これは、混血児による一方の親集団との交雑の間に起きる組み換えが、そうした表現型と関連した選択的利点に恵まれている混血児をほとんど産まないからです。しかし、現生人類のゲノムへと浸透する古代型の遺伝子は、それ以降拡大の波に便乗し、ともに伝えられていくことになるでしょう。
エスワランモデルはまた、古代型と現代型の集団間の積極的同類交配を推測しています。積極的同類交配は、交雑の成立とその後に続く混血児による現生人類集団との交雑という両方の可能性を減少させる効果があります。しかし、積極的同類交配という推測のもとでさえ、このモデルではかなりの頻度で浸透性交雑は起きます。注意すべき価値があるのは、現生人類的な表現型が古代型の表現型にたいして選択的利点に恵まれているかぎり、古代型集団はつねに人口統計学的浸透に屈するだろう、ということです。
交雑の適応的可能性を扱った初期の研究には、クインスランドミバエとその近縁種パーキンスミバエを取り上げたものがあります。この研究が示唆しているのは、ストレスの多い熱環境において、交雑集団が純粋なクインスランドミバエ集団よりも活動的だった、ということです。このことから、拡大するクインスランドミバエの増加する生態的耐性は、パーキンスミバエからの浸透性交雑に由来する、と推測されています。
では、古代型人類の遺伝子が現生人類のゲノムに浸透していたならば、それは中立的だったのでしょうか?それとも適応的可能性があったのでしょうか?後者の可能性があることを示唆するのが、上記のマイクロセファリン遺伝子についての研究です。
成長期間に脳の大きさを調整するマイクロセファリン遺伝子(その劣性変異は遺伝性小頭症を惹き起こします)は、とくに狭鼻猿類の起源以来、アミノ酸を変化させる突然変異の割合において明らかな増加があり、この2500~3000万年の間に強い自然的選択を受けてきたように見えます。
マイクロセファリン遺伝子のD系統は、現代人の7割に存在すると推測されますが、これは37000年前に古代型人類(おそらくネアンデルタール人)から現生人類に浸透した、と推定されています。マイクロセファリン遺伝子は、人類における適応的交雑の最初に確認された例となるかもしれません。
古代型人類集団の消滅という事実が示唆しているのは、現生人類集団が世界中に拡散したときに、現生人類的な表現型がじゅうような選択的利点を有していた、ということです。この選択的利点は、古代型人類と現生人類との間に交雑が起きたか否かに関わらず、各地の古代型人類集団を現生人類集団に置き換えてしまう結果になりました。再会前に両者が分岐したのが、もっとも古くて170万年前だとすると、その間に強い接合後障壁は生じにくいでしょう。
その代わりに、積極的同類交配のような接合前障壁が、人類の諸系統の間ではもっとも強い孤立の仕組みとなったでしょう。しかし、強い積極的同類交配でさえ、交雑と古代型人類の遺伝子の現生人類のゲノムへの浸透性交雑を、必ずしも排除しません。じっさい、現代人のゲノムの多数の領域に、孤立・交雑モデルと一致するパターンがあります。
これら浸透性交雑があったと推定されるゲノム領域の多くは遺伝子をコードしておらず、それゆえ選択的に中立です。しかし、上記マイクロセファリン遺伝子の研究は、現生人類集団の急速な地理的拡大と生態的適応が、各地域に適応した古代型人類集団との交雑により促進されたという仮説を、人類学者によって真剣な考察がなされるだけの価値あるものにしました。この仮説が示唆しているのは、現生人類の多様性は、単一のアフリカ祖先集団に蓄積されてきた単なる突然変異の副産物ではなく、むしろ複雑で地域的に活発な進化過程の結果である、ということです。
以上、この論文についてざっと述べてきましたが、この見解が公表される少し前に、現生人類と古代型人類集団との交雑を否定する研究が『米国科学アカデミー紀要』に掲載され、昨年11月9日分の記事にて取り上げました。その研究では、常染色体座の深い系統の存在は、現生人類が古代型人類集団に完全に置き換わったことを否定するものではない、とされました。
その研究にたいして、この論文の著者の一人であるダニエル=ギャリガン博士が反論し、分析された50のゲノム領域がそれぞれ500塩基対ていどしかないこと、現生人類の祖先集団が大規模であると想定していることなどを指摘し、建設的な試みではあると評価しているものの、いぜんとして交雑はあったとの自説を主張しています。
この問題は、今後のさらなる研究に期待したいところですが、現時点では、交雑があったとする見解のほうが妥当であるように思われます。私は、交雑説はかなり劣勢なのかと思っていましたが、私が想像していた以上に、交雑の可能性を指摘する研究は多く提示されているようで、不勉強を恥じるばかりです。今回取り上げた論文の著者の一人であるギャリガン博士は、とくに精力的に交雑説を主張しているようで、ギャリガン博士の今後の研究に大いに期待しています。
参考文献:
Daniel Garrigan and Sarah B. Kingan.(2007): Archaic Human Admixture A View from the Genome. Current Anthropology, 48, 6, 895-902.
http://dx.doi.org/10.1086/523014
Daniel Garrigan, and Michael F. Hammer.(2008): Ancient lineages in the genome: A response to Fagundes et al. PNAS, 105, 2, E3.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0710521105
この記事へのコメント
ネアンデルタールと現代人の交雑について
5月7日付サイエンスに注目の論文が載っています。
http://sciencemag.org/special/neandertal/
(私は未読ですが・・)
Paleogenetics:
Close Encounters of the Prehistoric Kind
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/328/5979/680
とりあえず、この問題について記事を掲載しましたが、論文をきちんと読んでから、再度記事にするつもりです。